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RYOZAN PARK オーナー
竹沢 徳剛さんインタビュー

RYOZAN PARK オーナー竹沢 徳剛さん
竹沢 徳剛さん
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コミュニティから生まれる、
此れからの暮らし方

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「巣鴨・大塚・駒込には多様性を受け入れる懐の深さがある」

ーー「RYOZAN PARK」を立ち上げたきっかけを教えてください。
「きっかけは東日本大震災です。当時、私はアメリカで暮らしていました。アメリカは移民がつくり上げた国。彼らは、出身地は違っても、自分はアメリカ人だと胸を張って言います。その多様性を認める文化こそ、国の活力を支えているものだと思います。震災後、現地の友人をはじめ、さまざまなバックグラウンドをもった日本出身の学生たちとともに支援活動を行いました。その中で、震災で疲弊した日本が元気になるためには、多様性を受け入れる社会が必要だと思ったんです。国籍や人種に関係なく、夢に向かって努力する人を受け入れ、ひとつの家族のように暮らす。そんな新しいかたちのコミュニティがこれからの日本にとって大切だと考えました」

ーー新しいかたちのコミュニティを実現するものとして、シェアハウス、シェアオフィスを選んだのはなぜでしょうか。
「幼少期から、母方の実家が商売をしていることもあり、家族はもちろん、たくさんの大人に囲まれて暮らしていました。その原体験が多様性の中で暮らすことにつながり、シェアハウスというかたちにたどり着きました。仕事は生活の一部ですから、そこにシェアオフィスを共存させることで、暮らす場所であるシェアハウスと、働く場所であるシェアオフィスがつながっている、村のような状態をつくりたいと思いました。そしてそんなコミュニティを、自分が生まれ育った巣鴨でつくりたいと思ったんです。まずは自分の周りにいる人から元気にする。最初は小さな流れでも、同じ想いをもった仲間が集まれば、いずれは川の流れのようになり、社会を変える動きにつながると信じています」

「まずは、生まれ育った巣鴨で、新しいコミュニティをつくりたかった」

ーー竹沢さんにとって、地元巣鴨をはじめ、大塚、駒込という地域には、どんな魅力がありますか。
「それぞれに個性があるので、ひとまとめに考えるのは難しいですね。たとえば豊島区でもほかに池袋や目白、雑司が谷などもあります。こんなにも多彩な街から成り立つこのエリアは、いろいろな木からできている広葉樹林のようだと思うんです。明治神宮の森は、永遠の森を目指して、さまざまな種類の広葉樹を集めてつくられたといいます。森を守るコツは放っておくこと。放っておいても生態系は循環します。このエリアも同じで、多様な人が無理せず共生できるところだと思います。そういう“ごちゃごちゃ”しているところだからこそ、おもしろいカルチャーも生まれるのではないでしょうか。中でも巣鴨、大塚、駒込は、昔ながらと最先端の暮らしが混在するところ。言い換えれば、多様性を受け入れる、懐の深い地域だと思います」

「人との絆。それを忘れないことが未来を切り開く活力になる」

ーーそこで「RYOZAN PARK」が目指すものを教えてください。
「今後も、東京の村をつくるという“RYOZAN ビレッジ構想”を進めていきます。そのために家族向け、カップル向け、高齢者向けのシェアハウスなどを考えていますし、留学生や大学生が議論できるセミナールーム付きの学生寮、クリエイターが集うカフェなどもおもしろいと思っています。村は、いろいろな人が集い、“暮らす”、“働く”、“子どもを育てる”ことをシェアし、ともに生きるコミュニティ。江戸時代の長屋や昔の大家族のようなコミュニティですね。さらに現代の村に欠かせないのは、志をもってその場所に集う人たちを受け入れ、応援すること。昼ごはんを食べて仕事に戻るときに『行ってらっしゃい』と声をかけてくれる定食屋があったり、RYOAZAN PARKのように新しいことをはじめようとする人たちを温かく迎えてくれたりと、昔ながらの風情を残しつつも、新しいカルチャーを生み出す気風をもつ素地が巣鴨、大塚、駒込にはあります。“おひとりさま”という言葉がもてはやされるようになって久しいですが、なんだかんだ言っても一人って寂しいと思うんです。家族のような温かみは、人間が本能的に求めるもの。基本的なものですが、とても大切なものではないでしょうか。そして人と人との絆こそ、いまの日本に必要なものだとも思っています。未来を思い描くなんて大それたことはできませんが、大切なものを忘れず、いまを一生懸命に生きることが明日の活力になり、その先に未来が開けると信じています」

RYOZAN PARK オーナー 
竹沢 徳剛さん

竹沢 徳剛さん

大学卒業後、ワシントンDCのアメリカン大学大学院を経て地元新聞社の記者となる。
東日本大震災をきっかけに帰国。
2012 年「RYOZAN PARK巣鴨」、2014年「RYOZAN PARK大塚」を開設。

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