

INTERVIEW 3
公募制異動

公募制異動
柳田 晃佑
KOSUKE YANAGIDA
- 高崎支社
- 営業部事業課
- 開発・不動産グループ
- 2005年入社(エリア職)
公募制異動は、業務を続ける中で新たな目標を見つけた社員の意欲に応えるとともに、生活環境の変化など個人的な事情に対応するため2013年にスタートした。エリア職の社員向けで、業務の領域と勤務地域を希望して応募できる。

駅ビル・駅ナカへの興味が膨らみ運転士から不動産の開発担当に。
私は高校卒業後にJR東日本に入社し、高崎支社で駅の業務と車掌をそれぞれ約2年半、運転士を約5年ほど務めたのち、2014年に公募制異動で支社の営業部に移りました。乗務員はやり甲斐に満ちた仕事だったのですが、もともと駅ビルや駅ナカの開発にも関心があり、高崎線や湘南新宿ラインなどに乗務して首都圏のさまざまな駅を見るうちに興味が膨らんで公募制異動に応募しました。応募にあたっては上司や「師匠」として尊敬する運転士の先輩にも相談しましたが、以前から開発業務への興味を話していたこともあり、私が本気で次の一歩を踏み出そうとしているのを理解し、快く応援してくれました。出身地である群馬の魅力をより高め、交流人口や定住人口をもっと増やしたいとの想いから、勤務地域の希望は現状のままの高崎支社にしました。
希望が叶って現在の部署に異動してからは、業務知識をしっかり身につけられるよう、不動産の貸付担当に始まり、駅ビルやホテルの維持管理、そして開発と、ステップを踏んで仕事の幅を広げてきました。乗務員とはまったく違う仕事に移ることに多少の不安もありましたが、そうした気持ちを見越して担当業務を与えてくれていたのです。一方で、早くから責任ある仕事を任せてもらえる面もあり、初めて開発業務に携わったのは異動から3年後の維持管理を担当していた頃でした。任されたのは高崎線・宮原駅の
NewDaysKIOSKの開発。開発案件としては小規模なものですが、実現までにはさまざまなハードルがあり、それを乗り越え施設をオープンさせた先にはお客さまや運営会社の方たちの笑顔があるという、開発業務の醍醐味を実感することができました。

ゼロからの再スタートでも着実に成長できる環境がある。
正式に開発担当になって初めて手がけた案件は、上越新幹線・上毛高原駅で、みなかみエリアの魅力を駅から発信する物販・飲食を融合した駅ナカの情報発信型店舗の開業でした。地元の行政や企業と連携して開発を進めたもので、開業時にはみなかみ町長なども招いた2018年11月のオープニングセレモニーの企画・運営にも携わりました。そして今、主な仕事になっているのが高崎駅の開発です。管内で2番目に乗降客数の多い駅であり、周辺で大規模な公共施設の開発が進んでいるのが高崎駅。2019年秋には高崎芸術劇場がオープン、2020年には大型コンベンションセンターのGメッセ群馬も完成する予定で、それらと連動した駅開発の基本構想を練っているところです。関越自動車道の高崎インターや高崎玉村スマートインターチェンジからも近いので、乗用車利用の方も呼び込める駅になればと考えています。
私の上司は東京駅の開発などにも携わった経験豊富な方で、都心で進行中の開発プロジェクトの見学にもよく同行させてもらっています。担当の方からどのようなスキームで実施しているのかなど細かな内容も教えていただけるので、非常に勉強になっています。駅ビルや駅ナカの開発には多くの方の協力が欠かせないため、こうした見学を通して私自身が社内やグループ会社の人脈を広げることも考慮していただいているようです。私もこれまでいくつかの開発案件を担当して、人脈づくりや関係者との信頼構築はこの仕事における重要な要素だと感じてきました。そうした中で関係者に対しては「ご協力をいただいている」という「感謝の意」を持つことが大切だと気づき実践しています。
開発担当になってから1年にも満たず、大規模な開発におけるコンセプトの立て方やマーケティングの手法、建築基準法や消防法などの法令関係の知識など、学ぶべきことはたくさんあります。ただ、自分の意見は自由に発言でき、経験の浅い私の考えでも前向きに検討し、任せるべきところは任せてくれる環境なので、チャンスは積極的につかみ成長に活かしたいと考えています。公募制異動を快く受け入れ応援してくれた運輸区の上司や先輩、同僚には、開発業務で確かな成果を残すことが最大の恩返しだと思っています。そのためにも、自分のスキルアップに貪欲に取り組み、地域の魅力アップに貢献していくつもりです。

運転士を務めていた頃も自分の技術力向上には常に努力していて、運行時間の正確さや停止位置の確かさ、ブレーキの正確さなど運転技術を採点する運転士の競技会で、管内の最優秀賞を受賞したこともあります。それでも開発業務への興味が薄れることはなく、公募制異動に応募しました。今も休日に、話題のレストランやカフェに夫婦で出かけているほどなので、たくさんの人が集まる施設への興味や、それを自分でつくりたいという気持ちは、もとから私の芯にあったもののようです。