日本一豪華な鎧を所蔵する八幡宮。
国の重要文化財の御社殿も必見!
次に向かったのは、『南部一之宮 櫛引八幡宮』。
鎌倉時代に八戸の礎を築いた南部氏の総鎮守で、ここに残りの国宝が2つともあるのだとか。
『櫛引八幡宮』では、慶安元年(1648年)に28代重直公が造営した本殿、旧拝殿、神明宮、春日社、正門も国の重要文化財に指定されており、本殿の屋根の曲線や河童の伝説を伝える彫刻は必見です。
アウトドア派も国宝好きも、魚介目当ても満足
この連載では、青森県在住のダンス&ボーカルユニット・RINGOMUSUME(りんご娘)が、地元・青森のエリア別にオススメする旅のコンテンツを紹介しています。
次に向かったのは、『南部一之宮 櫛引八幡宮』。
鎌倉時代に八戸の礎を築いた南部氏の総鎮守で、ここに残りの国宝が2つともあるのだとか。
『櫛引八幡宮』では、慶安元年(1648年)に28代重直公が造営した本殿、旧拝殿、神明宮、春日社、正門も国の重要文化財に指定されており、本殿の屋根の曲線や河童の伝説を伝える彫刻は必見です。
境内をひと通り散策したあとは、いよいよ国宝とご対面。
1つは、鎌倉時代に作られた「赤糸威鎧」。
南北朝時代の南朝の天皇で98代目の長慶天皇のものとされ、大袖と兜に菊一文字の装飾があることから「菊一文字の鎧」として知られています。
「神社にある理由ははっきりしていないのですが、南北朝の争いの中で、南朝側についた南部家を頼って長慶天皇がこちらに来た時に奉納されたのでは、と考えられています」と、権禰宜の營田賢さんは説明します。
もう1つの国宝が「白糸威褄取鎧」で、南北朝時代のもの。
南朝の天皇で97代目の後村上天皇から、根城南部家7代目・信光公が拝領したと伝わっています。
「褄取り」とは三角形の模様のことで、この様式で兜・鎧・大袖がすべて残っているのはこの鎧だけなのだとか。