東京感動線

第38回のゲストは
菅原聡さん
(NPO法人「GLOBE PROJECT」代表)
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DIALOGUE RADIO
-IN THE DARK -

交流・体験
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志村:聡さん、こんばんは。
菅原:季世恵さん、こんばんは。
志村:今日はありがとうございます。
菅原:こちらこそありがとうございます。
志村:私、聡さんとお会いしてもう10年以上経ってますよね。
菅原:そうですね。
志村:イノベーターの方々を集めてプレゼンをするみたいなところで出会ったんですよね。
菅原:そうですね。
志村:はい。で、聡さんは、10年経った今は、どんな活動をされていらっしゃるのですか?
菅原:あのときの「GLOBE PROJECT」といって、スポーツを通じて社会問題を解決するという活動を続けてはいるんですけれども、民間の企業でも働きながらこの活動を続けていたんですけれども、この8月にですね、「一般社団法人Green Innovation」という組織を作りましてイノベーターを育成するというのをテーマに、これから仕事をしていく予定です。
志村:うーん、聡さんが今度はイノベーターを育てていくってことなんですね?
菅原:そうですね、僕が育てるというよりも、1人でイノベーションを起こすことは誰も出来ないので、1人でも多くイノベーションを起こしていく人をみんなで増やしていく、もっと言葉を・・・なんだろうな、言い換えると、人のせいにしないというイメージです。未来を人のせいにしない。なので、政府がいけないとか、大企業がいけないとか教育がいけないっていうのではなくて、未来を自分はこんな風に変えていきたいんだ、変えるんだっていう人を支援したり、仲間を作ったり、サポートしたりしていくようなコミュニティを作っていきたいなと思っています。
志村:あ〜そうなんだ、素晴らしい、そうですよね、否定をするのは簡単かもしれないけど、でもそこで否定するってことは何か違った希望があるから本当は否定してるんですもんね。
菅原:そうですね、そうするとそれを希望の方を自分で作ったらいいっていうことですね。
菅原:はい。
志村:でもそもそもは、聡さんがそういうイノベイターとかイノベーションに興味を持ったのはいつ頃からだったんですか?
菅原:興味を持ったきっかけは、20歳のときなんですけれども、大学生の時に1年間大学を休んで放浪してたんですけれども、そのときの出会いがこの活動のきっかけになっています。

志村:あ、1年間も放浪したっていうのは、日本国内を?
菅原:えっと世界をですね、30ヶ国ぐらい1人で回ってたんですけれども。
志村:へぇ・・・どうして放浪しようと思ったんですか?
菅原:きっかけは2つあったんですけど、1つが高校2年生のときに父が急死しまして、それまでは、高校からいい大学からいい会社に入れば幸せだと思ってたんですけど、父が43歳で亡くなって、すごく家族としては悲しかったんですね。父もきっと悔しかっただろうなと思って、まだしたいこともたくさんあっただろうし、子供の成長を見たかっただろうし、母との時間ももっと過ごしたかっただろうしっていう中で、じゃあ何が幸せなんだろう?っていうのがわからなくなったんですね。その問いに答えるために勉強して大学に入って、で、世の中のことをよく知ろうと思って新聞を読んだり、本を読んだり、授業を聞いたりしたんですけど、それでもわからなくて、どうしたらわかるだろうと思って、自分の目で世界を見て回って、色んな人と話して触って感じれば、何をすべきなのか、どうしたら幸せになるのかがわかるんじゃないかなと思って、旅に出たっていうのがきっかけです。
志村:そうだったんですね。1番最初どこの国に行ったんですか?
菅原:1番最初はタイに行って、あ、ごめんなさい、インドに1ヶ月修行に行って。で、すごく楽しくて、これはいけるなと思って、その後世界一周を東南アジア、中央アジア、ヨーロッパ、中近東、アフリカを上から下まで降りて、その後アメリカに行って、アラスカで犬ゾリをして、そこから帰ってきたという感じです。
志村:へえ〜そうか〜、それで・・・
菅原:あ、そうですね、そのときの2人の少年との出会いがきっかけで今の活動をしているんですけれども、1つ目がですね、本当にあの世の中のことを知りたいと思って世界一周をしていて、紛争地帯に行ったんですね。アフリカのウガンダの北部にあるアルアという場所で、コンゴとの国境沿いにあるので、コンゴの人たちの難民キャンプがあるんですけれども、そこで会った15歳のギフトくんという男の子がいて、彼との出会いが今の活動のきっかけになっています。どんな出会いかというと「World Food Programme」の職員の方に付いて中に入れてもらったんですけれども「何で難民になったのか?」ってインタビューを子供たちにしていて、それにくっ付いて色んな子供たちのインタビューをしてる横に付いてたんですけれども、ギフトくんは15歳の男の子で、12歳のときに自分の村を襲われて、家族が全員亡くなってしまって、残った村人は30人ぐらいで、その隣のアルアっていう村まで3週間かけて来ていたんですね。で、川の水を飲んで、マンゴーの木の下で寝て、何とかその村にたどり着いて、で、彼はコンゴでは結構裕福な家に住んでいたので、物乞いがしたくなかったんだけれども、もう3日間飲まず食わずですごくお腹が空いて、大きな門の家のところに着いたときに、そこの人を呼んで「掃除でも洗濯でも何でもするので、食べ物か飲み物をくれないか」と言ったら、「どこの部族だ、隣の部族に飲ませる水はない」って笑いながらそこの家族に追い出されて、たまたま翌日難民キャンプの職員に拾われてここにいるんだという話をしていて、あぁそうなのかと思って聞いてたんですけれども。で、そんな形で難民キャンプにいて、大変な暮らしをしていて、彼に何でも質問していいよと職員の方に言われて質問をしたんですね。で、僕将来何をしたらいいかわからなくて旅をしていたので、行く先々で将来の夢を聞いて回っていたんですね。

志村:あ、聡さんが子供たちに対して?
菅原:はい。で、聞いていくと、例えばタイとカンボジア、フランスとか中東でも、子供たちの夢がスポーツ選手っていうのが1番多くて、で、経済的な貧富の差に関わらず、子供の将来の夢が一緒なんだっていうのをちょっと感動しながら聞いて回っていて、難民キャンプのその子供のギフトくんにも聞いたんですね。そしたらサッカー選手って言うかなと思ったら「自分の村を襲った部族を殺しに行くこと」って言われて・・・びっくりしたんですね。将来の夢が人を殺しに行くこと・・・イメージがつかなくて、でも彼の立場に立ったら、言葉を選ばず言うと、そう思うよなと思って・・・・。で、そのコンゴの紛争って何で起きてるかご存知ですか?
志村:教えてください。
菅原:はい。希少鉱石のタンタルっていうレアメタルを巡った紛争なんですけれども、今も続いているんですね。
志村:あ、今も?
菅原:はい、今も続いていて、これは何かというと、携帯電話とかパソコンに使われるものなんですけれども、充電池にものすごく極少量入っていても、熱くなるのを防ぐものでして、これがコンゴで5割から6割採れて、それ以外はカナダとオーストラリアの一部でしか採れないというレアメタルなんですけれども、これを巡って紛争が起きているんですね。
志村:なるほど、そうなんだ・・・。
菅原:で、その鉱石を巡って武装勢力が鉱山で児童労働をさせていて、鉱石を採って、大企業に売って、その企業から携帯電話会社に行って、そこから僕らの手元に来てるんですね。で、何が言いたいかというと、僕たちも関係してる話なんですよねこれ。
志村:そうですね、私も持ってますから、そこにも入ってるわけですね、パソコンにも携帯電話にも。
菅原:そうなんです。なので遠くの国に可哀想な子供達がいるから何かしてあげようっていう話じゃなくて、自分にも関係してる問題なんだっていうのを初めて目の当たりにして、何かしなきゃいけないし、僕は全然世の中のことをわかっていなかったなと思って・・・というのがこの活動のきっかけの1つです。
志村:そうか。
菅原:はい。で、もう1つ彼に質問をして「何をしてるときが1番幸せ?」と聞いたら「サッカーをしてるとき」って言ったんですね。で、たまたまそのとき僕はサッカーシャツを着ていて、交換する?って聞いたら、僕の服は穴空いてるけどって恥ずかしがりながら交換したらすごく喜んでいて・・・なんですけど、やらなきゃいけないことはこんなことじゃないなと思って、もっと現実を知らなきゃいけないと思って、その後紛争地帯に行ったんですね。そのときウガンダの北部のグルというところがまだ紛争していて、10年ちょっと前に紛争は終わったんですけれども、その頃はまだ紛争していて、紛争地帯に入って、そこで元少年兵の子と会わせてもらったんですけれども、少年兵っていうのは大体12〜13歳ぐらいの子が拉致されて、兵士にさせられるというものなんですね。拉致をされるんですけど、兵士になるのなんて嫌じゃないですか。なのでみんな大体拉致をされた後も逃げるんですね。逃げるんですけど、足が遅いので大体途中で捕まって、2度と逃げないように罰を受けるんですね。

志村:罰を・・・。
菅原:はい。どんな罰を受けると思いますか?
志村:どんな罰なんだろう・・・・逃げられなくするんですよね・・・?
菅原:そうですね。
志村:うわ・・言葉にするのも・・想像はするけど言葉にするのは辛いですね・・・・・・。
菅原:そうですね。あのう、そのグルではそんな子がたくさんいたんですけど、1番仲のいい友達に、耳か鼻をそがせる・・・というのをやっていて、そうすると、自分も逃げたときこうなるよっていう意味なんですよね。で、それでも逃げるんですけど、絶対に逃げない方法が1つあって、それが、逃げる場所を無くすんですね。
志村:・・・逃げる場所を無くす・・・要するに自分のお家とかですか?
菅原:そうです。
志村:親元ということですか?
菅原:はい。
志村:ひどいね・・・・
菅原:ひどいですよね・・・。僕がそのとき会ったチャールズくんっていう18歳の子がいるんですけど、元少年兵のヴィレッジがあって、そこはNGOが支援してた場所なんですけど、そこで彼に会って、彼は15歳の時に、お父さん帰ってくるの遅いなと思って家の外に出たときに拉致をされて、3日後に家の前に立たされて、出来なかったらお前もお母さんも殺すぞと言われて、泣きながら斧を振って、で、お母さんの一命は取り留めて、今もご存命なんですけど、3年間その後兵士として働いて、たまたま政府軍に保護されて、今ヴィレッジに戻ってきているという状態のときのチャールズくんに会って・・・ただお母さんと一緒には暮らしてないんですね。
志村:そっか。
菅原:元少年兵だけのヴィレッジで暮らしていて、で・・・そんなことが起きていて思ったのが、こんなに人は深く傷つけられるべきではないし、そんなことのために生まれてきていないなと思っていて。
志村:本当にそうだよね。

菅原:はい。で、彼に何でも聞いていいよとNGOの職員に言われたんですけど、もう聞けることなんてないなと思いながら、ただ、何か聞こうと思って「将来の夢は何?」ってまた聞いたんですね。そしたら「お医者さんになりたい」と言って、そしたら横からNGOの職員が茶々を入れてきて、「いやでもこいつ全然勉強しないからドクターにはなれないと思う、けど絵を描くのが上手いから、自転車の修理工とかがいいと思ってるんだよね」と言ってきて、で、「絵が上手いらしいね、ちょっと見せてよ」と言って見せてくれたのが、全部戦争の絵で・・・おぉ・・・と・・・・・。で、「何をしてるときが今1番ハッピーなの?」と聞いたら「サッカーしてるとき」って言ったんで一緒にサッカーをしたんですね。そしたらそのときだけ本当に18歳の少年の目をしていて楽しそうで、で、スポーツってすごいなと思って、少し話が戻るんですけど、僕も実はスポーツに救われたことがあって、父が急に亡くなったときにラグビー部が100人ぐらいいたんですけど、そのメンバーがみんなお通夜に来てくれて、泣いてる同期までいて、あぁ自分の居場所ってここにあったんだと思って。その後父が亡くなって悲しいっていうのもあったんですけど、一生懸命走ってるときとか、部室で仲良く他愛もない話をしてるときがあって、救われて、そんな風にどうしようもない状況の中で何かに夢中になれることとか、仲間がいることとかっていうのは、すごく人生において大事なんじゃないかなと思って、この紛争だったり戦争だったり貧困だったりっていう問題の解決には、政治的な、経済的なアプローチがもちろん必要なんですけれども、このスポーツというものも何かできないのかなと思って、その学生の時に始めたのが、「GLOBE PROJECT」という、スポーツを通じて社会課題を解決しようという活動です。
志村:そうか〜。
菅原:はい。
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志村:具体的にはその「GLOBE PROJECT」はどんなことをするんですか?
菅原:フットサル大会をするんですけれども「KICK THE MINE CUP」といって、地雷のなくなるフットサル大会をします。その日走り回ったコートと同じ分だけ安心して走り回れる場所が出来るという大会です。
志村:あーそっか、要するに地雷があるところに行って・・・?
菅原:そうですね、日本でフットサル大会をするんですけど、その参加費が地雷原に寄付をされて、地雷原で除去する人たちに寄付をされて、彼らが除去してくれるという。そうすることで現地でも安心して走り回れる場所に変わるという大会です。
志村:そうか、そこでは安心して、フットサルが出来るんですね。子供たちが遊べるし。
菅原:そうですね。
志村:今どのぐらいの面積になってるんだろうね?
菅原:7万平方メートルがこの活動を始めてからなくなったんですけれども、タイとカンボジアの国境沿いなんですけれども、まだ250万平方キロメートル広がっているというような状況です。
志村:そうですか・・まだ仕掛けられてはいるんですよね、きっとね・・・?
菅原:世界では増えていて、今シリアとかも町がだんだんと戻ってきて帰還する人も増えてきている中で、地雷を設置されて逃げられたりとかしているので、今被害が増えてるような状況ですね。
志村:そっかぁ・・・。聡さんはそれでも地雷を撤去しながらという活動をずっと続けてきてるわけですもんね。
菅原:僕がやってるというよりも、現地でやってる人がいて、その方をサポートさせてもらっていて・・・というような感じですね。
志村:ということは現地にも?
菅原:毎年行ってるんですけど、今コロナで去年から行けてないんですよね。
志村:あーそうですよね。
菅原:もう終わったら早く行きたいなと思っています。
志村:そう私もいつか行きたくて。
菅原:ぜひぜひ、行きましょう。現地の地雷除去員の人たちもすごく楽しい人たちなので。
志村:そうですか〜。やっぱりさっきの話聞いてると、スポーツってすごいですね。
菅原:そうですね〜。言葉とか宗教とか国境とかを瞬時に超えますからね。
志村:うん、ほんとだね。18歳だったその方はもう成人してるわけですもんね。
菅原:もう30歳。

志村:そうですよね。今はどうしていらっしゃるんだろうね・・・?
菅原:そうですね、会いたくて4年前探したんですけど結局会えなくて・・・。
志村:そっか・・・戦争の絵を描いていたその人が、お医者さんになれていたらいいね・・・。
菅原:そうですね、お医者さんでなくても・・・なにか、前向きに生きていたらいいですよね。
志村:うん。本当にそう思う。でもそういう風な子供たちが世界にはいるんですよね?
菅原:そうですね。
志村:さっきおっしゃっていた、パソコンとか、携帯電話に使われている石は、私も使っているし、そして聡さんも使っていて、みんながその恩恵を受けているんだけれども、それによって苦しんでいる人たちがいるわけじゃないですか。なんかそういうのって知らないから、聡さんが現地に行って知って、そして今このような活動になってると思うんだけど、知ること大事ですね、知った上で想像する。
菅原:そうですね、まず知ること。この問題をバックアップしているのは、本当に知らないっていう無知だったり、知っても変わらないっていう諦めだったり、あとは無関心。そんなの関係ないって思う気持ちだったりっていうものが、問題を問題のままにしているなと思っています。また知ることで、そこの課題を解決するようなプロダクトだったりサービスも今どんどん生まれているので、紛争鉱石を使っていないダイヤモンドやジュエリーを使ってる「HASUNA(ハスナ)」っていうブランドがあったり、あと希少鉱石レアメタルのタンタルも、紛争地帯から採って来ていないものを使っている「Fairphone(フェアフォン)」というものも、日本ではまだ発売されてないんですけど、ヨーロッパでオランダのスタートアップが作っていて、僕も持ってるんですけど、まあそんな風にして代替え案がどんどんどんどん生まれているので、そっちの方に、自分がイノベーションを起こさなかったとしても、起こしているものをフォローしたり、サポートしたり、購入したりすることは出来るので。
志村:そうですよね、そうすると自分もそれに対してはちゃんと繋がっていけて、ポジティブに変えいてる人になれるわけですもんね。
菅原:そうですね。
志村:聡さん、今日ってね、オリンピックの閉会式でもあるんだけれども、でも実は長崎に原爆が落ちて、もうすぐ終戦記念日なんですよね。
菅原:はい。
志村:で、私はこのときに平和であることとか、そして争うってこととかを考えるタイミングのときだなっていつも思うんですね。忘れてはいけないことだし、自分たちは過去に起きたことじゃなくて、今も起きてるんだぞってことを知ることが大事だと思ってるんですけど、今のお話を伺っていても今もリアルに紛争地帯もあるし、戦ってる国もあるじゃないですか。何か・・・そういうのを聡さんはどういう風に感じていらっしゃるのかな?ってことを伺ってもいいですか?

菅原:そうですね、何か出来ないかなと思って色んなアクションを起こしているんですけれども、まず知ることと、そして諦めないこと。自分が行動したって何も変わらないって思わずに、何か行動することで変化を起こせるんだと信じて行動を起こしていくことが大事なんじゃないかなと思っています。
志村:うん。あのう、DIALOGUE IN THE DARKってね、発案したアンドレアス・ハイネッケっていう博士は、お母さんがユダヤ人で、お父さんがドイツ人で、お父さんはドイツ軍の中心にいる人だったんだと思うんだけど、お母さんの親族はみんなアウシュビッツで死んでしまった。で、ハイネッケは文化としては、その相反する両親を持っていているわけですよね、親として。そうするとハイネッケは、平和って何なんだろう?とか争いは何なんだろう?ってずっと考え続けていて、でその争いの元になることは色々あるんだろうけれども、でもその前に対話をしたらどうだろう?と思って、ダイアログを生み出したんですよね。私はだからそのことをハイネッケから聞いて、この活動をずっと続けよう日本でも、って思ったんですね。で、聡さんにとって、戦いとかね、平和とかっていうのは、どういう風に・・まあ、今もずっとお話をしてくださっていて、そこにヒントはいっぱいあるんだろうけど、でも、例えば戦争って「どうして戦争はいけないの?」って子供はよく聞きますよね。どういう風に聡さんだったら答えますか?
菅原:僕だったら「誰も自分を殺されたくないよね。だから、戦争はしちゃいけないんだよ」って言うと思います。
志村:うん。
菅原:何か、自分ごとに置き換えて考えるっていうのが、本当に大事だなと思っています。例えば地雷問題をこの10何年やってきた中で、色んなことを言う人がいるんですね。地雷は無くならないよとか、地雷は実は守るためにすごく優秀な武器なんだとか、あとはすごくコストが安い、コストパフォーマンスが良い武器なんだとか、あとは国境がある時点で地雷は無くならないよとか・・・言うんですけど、そんなことじゃなくて、1番大事なのはその場所に行って被害に遭う人の立場に立ったときに、これは絶対にあってはいけないし、そんな被害に遭いたいとは誰も思っていないし・・・っていう当事者の立場に立って考えることが大事だなと思っています。
志村:本当だね・・・それは自分ごとですね、本当に。戦争っていう風な・・・まあ、戦争を知らない私達の時代の人たちが、戦争を体験した方たちに聞く話と共に、でも過去のものじゃなくて自分にも起きるかもしれないっていうことって、ありますよね?
菅原:今も起きているし、僕たちは加担しているし、っていう想像力が大事なんだと思います。
志村:そうですよね。知らない内に加担してるんですよね。
菅原:はい。
志村:うん・・・本当にそう思う。
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志村:戦争で1番問題になるのって、まあ戦争が起きやすいことって、やっぱりなにか自分には無いものを欲するっていうところが多いって私は思うんですけど、それをちょうだい?って言うよりは、もう奪うしかないみたいなこと?
菅原:そうですね。資源を巡った戦争や紛争は、その問題の背景の中にあることがすごく多いんですけれども、まさにレアメタルを巡ったものもそうですし、中東での戦争も元々オイルを巡ったものであったり、今はオイルから水に変わってきたりしてるとは思うんですけれども・・・
志村:そうですよね、水も日本だって蛇口ひねれば出てくるじゃないけど、湧いてもいるし、すごく大事な大事な水も、知らない内に・・・
菅原:どんどん買われてますからね・・・うん・・・
志村:そうですよね・・・でもそれを・・・本当は理想とすると難しいかもしれないけど、でも理想とすると、本当は誰かが誰かの物を奪うんじゃなくて、それをシェア出来るぐらいのところまで持って行けたらたらいいんですよね、本当は。
菅原:そうですね。
志村:簡単な言葉で片付けられないことだけれども・・・でも争うことも出来るのが人間だけど、分け与えようってことが出来るのも人間だなって私は思うんですけど、後は解決しようっていう力を向けて行く、知恵と共に。それは、どうしてこんなに難しくなっちゃうんだろう・・・?
菅原:どうしてですかね・・・・・色んな問題が複雑に絡まり合っているので、こうだから解決出来るよって今一言で言えたら、もう解決してるんでしょうね。
志村:そうでしょうね・・・。
菅原:だからこそイノベーターが必要だし、1人では解決出来ないし、色んな問題を解きほぐして、それぞれに解決をしに行く人。で、その解決しに行く人たちが仲間になって、助け合えるようなコミュニティを作っていくことが大事だなと思っています。なので、企業だけでも出来ないし、政府だけでも出来ないし、市民だけでも出来ないし、アカデミアだけでも解決出来ないことが本当にたくさんあるので、協力、共同して、対話をして、共創していくことが本当に大事だろうなと思っています。
志村:本当ですね。やっぱり、もうそこを越えて関わることが大事ですよね。
菅原:そうですね。
志村:聡さんは、そのようなことも何かなさってるんですか?
菅原:そうですね、今月ですね、「GLOBE PROJECT」だけでなくて、政府や企業や市民やアカデミアが、もっと対話と共創出来るようなプロジェクトを作ろうと思って「Green innovation」という団体を立てて活動していく予定です。
志村:それがじゃあ1番の中心になってくるんですね。
菅原:そうですね。

志村:なんか私ね、こうやって聡さんみたいに若い方が、
菅原:そんなに若くないですけどね。
志村:いや、私からすると大分若いんですけどね?
菅原:いえいえ・・(笑)
志村:そう、そういう若い方が、今の世の中をこういう風にしないといけないなとか、したいなと思って、そして行動を起こして行くのが、平和を作っていくってことなんだろうなと思うと、なんかね、で、意外と今20代30代の人たちで頑張ってる人いるじゃないですか!
菅原:いやすごいですよ、僕はもう、Z世代って言われる20代、20代前後の方達に会うことが最近多いんですけど、さっき言ったようなサステナビリティであったりとか、商品にストーリーがあることとかはもう当然のことなんですよね。そういうものを購入したいし、そういう世界にしたいしっていうのが、僕らと同世代の人と話してる以上にスッと入ってきますね。
志村:あ〜そっか。
菅原:いや本当に未来の方が明るいですし、でも彼らに託すっていう話でもないと思っていて、僕も、僕らも、もっと頑張らなきゃいけないし、世代を超えてどんな良い未来を作れるのかを対話しながら、知恵であったりとか、ギフトを集結させて、もっと良い未来を作れるといいですよね。
志村:本当にそう思う。それを補完し合うとより強くなってきますよね。1人で全部じゃなくて。
菅原:そうですね。
志村:うん。聡さん、そろそろね、お時間になってくるんですけど、このラジオを聞いて下さっている方にいつもギフトをいただいているんです、ゲストの方から。で、明日・・・未来なんだけど、明日をより豊かにするために言葉をいただいているんですね。聡さんから、今日このラジオを聞いて下さった皆さんに、何かメッセージがあったら教えて欲しいんですけど。
菅原:はい。あのう、明日・・・季世恵さんが言った通り未来って、見ることは出来ないけれど、作ることは出来ると思うんですね。
志村:あぁそうか〜。

菅原:あのう、僕その質問されたときに思い出した映画があって、これまでの話とちょっと脈絡がないんですけど、『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』っていう映画ご存知ですか?
志村:知りません。
菅原:リチャード・カーティスっていう監督が『ラブ・アクチュアリー』とか『ブリジット・ジョーンズの日記』とかの監督なんですけど、すごい素敵な映画を作られる方で、もうこれで辞めにするって言って作った映画なんですけど、家族をテーマにした映画で、主人公はタイムリープ出来るんですね。タイムトラベル出来て、その家系のお父さん、男性だけ・・・男性だけっていうのは何故かあれなんですけど、タイムトラベルが出来て、お父さんから人生を豊かに生きる秘訣を1つ教わるんですね。それは、1日を2回繰り返すと、すごく充実した人生を送れるよと。1日目では気付かなかった色んなことに気付けて、人に優しく出来たり、余裕を持てるよって言われるんですけど、主人公は途中でそれをしなくなるんですね。何でかって言うと、自分が亡くなる最後の日に、今日が最後の1日でタイムトラベル出来るとしたら、ここに戻りたいと思って戻った1日。そのときに新鮮な気持ちでその1日を過ごせたら、それ以上幸せなことないじゃないですか。
志村:そうですね、うん。
菅原:何が起きるかなって思うんじゃなくて。そんな風に自分が亡くなる最後の日にタイムトラベルが出来て、戻ってきている1日を、明日過ごしてると思ったら、こんな素敵な1日ないなと思っていて。でも本当は人ってみんなそんなかけがえのない1日を過ごしているんだなと思うと、あぁなんて素敵な1日を毎日過ごせているんだろうなと思っていて・・・そんなかけがえのない素敵な1日を迎えられているんだなと思うと、なんかちょっといい日になるかなって思いました。
志村:そうか〜、毎日が特別な日ですもんね。
菅原:そうですね。
志村:その未来は、自分が作れるってことですね〜。
菅原:作れる・・・と思ってます。
志村:うん、未来は見えないけど、作ればいいんだ。
菅原:はい、作ることは出来る。
志村:私は明日を自分で作ろう・・・。いや〜ありがとうございます。
菅原:ありがとうございます。
志村:なんか自分が主体的でいることが大事なんだなってことを、色んな意味で今日教わりました。
菅原:ありがとうございます。
志村:本当に。ありがとうございました。
菅原:ありがとうございました。