講座の舞台を旅する
第6回 第1部 北の関ヶ原合戦と上杉家の思惑

「景勝と義光、
戦国の両雄が治めた地へ」

講座の舞台となった山形県の地図
伝国の杜 米沢市上杉博物館

伝国の杜 米沢市上杉博物館

上杉氏ゆかりの貴重な品々や国宝を収蔵。景勝が築いた米沢藩の歴史や文化などを中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を常設展示。上杉文化に関する企画展や、置賜の歴史、美術、郷土ゆかりの作家や作品を取上げた展示も行う。

  • 住所/米沢市丸の内1-2-1
  • 交通/JR「米沢駅」よりバスで「上杉神社前」下車、徒歩約3分
  • 電話/0238-26-8000
講師/阿部 哲人氏の写真

歴史とは、昔の文書や記録を土台に組み立てていくものです。上杉家に関する文書が、その時代の姿のまま保存されている館所蔵の国宝「上杉家文書」からは、史実だけでなく、文書の書き方やかたちなども知ることができます。

長谷堂城跡公園(長谷堂城址)

長谷堂城跡公園(長谷堂城址)

上杉軍を率いる直江兼続と最上義光が激戦を繰り広げた長谷堂城の戦い。圧倒的に多勢の上杉軍の侵攻から、最上軍は長谷堂城を死守した。山の随所に堀や曲輪などの防御施設が残る。高い防御力から亀ヶ城とも呼ばれた。

  • 住所/山形市長谷堂(城山)
  • 交通/JR「山形駅」よりバスで「長谷堂」下車、徒歩約6分
  • 電話/023-641-1212(山形市公園緑地課)
講師/阿部 哲人氏の写真

直江兼続は長谷堂城での戦況を知らせる景勝の家臣宛の手紙に、関ヶ原の戦況が分かれば敵も負けを認めるだろうと書いています。当時、たった1日で東軍が勝利するとは、誰も考えていなかったと思います。

米澤藩主上杉家廟所

米澤藩主上杉家廟所

上杉謙信の遺骸がある墓所。廟所内には杉木立の中に歴代藩主の廟が整然と立ち並んでいる。江戸時代初期から後期までの歴代藩主の廟が一つの場所に並置されることは珍しく、近世大名家墓所の代表例といわれている。

  • 住所/米沢市御廟1-5-30
  • 交通/JR「米沢駅」よりバスで「御廟所西口」下車、徒歩約5分
  • 電話/0238-23-3115
講師/阿部 哲人氏の写真

北の関ヶ原で敗れた上杉景勝は上洛し、徳川家康に謝罪。米沢30万石に移封されます。領地は約4分の1に縮小しますが、上杉家は江戸時代も大名として存続しました。

霞城公園(山形城跡)

霞城公園(山形城跡)

関ヶ原の戦いの功績によって57万石の大大名となった義光は、三の丸を建設して城を拡大。城下町・山形は繁栄を極めた。現在、城跡一帯は霞城公園として整備され、復元された二の丸東大手門の櫓内は期間限定で公開している。

  • 住所/山形市霞城町1-7(管理事務所)
  • 交通/JR「山形駅」より徒歩約10分
  • 電話/023-641-1212 (山形市公園緑地課)
講師/阿部 哲人氏の写真

最上義光が居城とした山形城。後に発見された天守閣の図面から、義光は奥羽の有力大名の象徴として、天守閣を築こうとしていたのかもしれないともいわれています。

最上義光歴史館

最上義光歴史館

最上家の資料を収集、保管、調査研究し、一般公開。長谷堂の戦いの様子を今に伝える「長谷堂合戦図屏風」(複製)や、この戦いで直江兼続の鉄砲隊から狙撃された義光の命を救った「三十八間総覆輪筋兜」などを展示。

  • 住所/山形市大手町1-53
  • 交通/JR「山形駅」より徒歩約15分
  • 電話/023-625-7101
講師/阿部 哲人氏の写真

義光は家康からの信頼が厚く、北の関ヶ原において、奥羽の領主を統率する立場にありました。上杉が伊達ではなく、最上を攻めた理由は、ここにあったと思います。