戦略渦巻く
前田家の宝刀

石川県一帯を治め、華やかな文化を金沢にもたらした前田家は、数々の名刀を保有してきた。そのうち三振りと、前田家から白山比咩(しらやまひめ)神社に奉納された一振り(写真/剣 銘 吉光)は、現在国宝に指定されている。この名刀中の名刀である四振りのうち三振りは、徳川家からもたらされた。名工として知られる吉光(よしみつ)、正宗(まさむね)、郷義弘が作った刀は、両家の婚礼の際に引き出物や贈答品としてやり取りされている。

この時代の刀剣のやりとりは、どのような意味を持っていたのか。天下人などに愛された来歴を持つ刀剣を所持することは、その威信をまとい、重みを担うこと。贈ることは、相手にそれだけ重きを置いていることを示すと同時に、献上なら臣従や恭順を、下賜(かし)なら敬意と礼を尽くせという意味が込められたという。徳川家と前田家は緊張関係が強かったため、その意味はより重かった。写真は3歳で徳川家から前田家に嫁いだ珠姫ゆかりの寺・天徳院(てんとくいん)。

前田家が行った華やかな工芸振興は、徳川家の疑念や警戒を解くために行われた文化政策だったといわれているが、両家の緊張関係を洞察すると違う側面も見えてくる。「いざという時には軍事に転用できるよう、職人の技術を維持・向上させる目的があったのでしょう」と石川県立美術館の学芸員・村瀬博春さん。文化で凌駕する手だてとしての工芸は、強大な徳川家に切りかかるもう一つの刃だった。写真は前田家の工芸振興を象徴する焼き物、古九谷(こくたに)。