青森・山形・宮城

考現学の祖・今和次郎が描いた東北

〜大地に根ざした
暮らしへのまなざし〜

考古学に対し、現代の社会現象から世相や風俗を分析する「考現学」を提唱した、建築家・今和次郎(1888〜1973)。自らも東北出身であり、戦前戦後を通して暮らしの改善のために東北を、日本を見つめ続けた今のまなざしに迫る。
写真/今和次郎と今によるスケッチ「岩手県御明神村の農衣」(工学院大学図書館蔵)

講師/黒石 いずみ氏
(青山学院大学総合文化政策学部客員教授)

銀座のカフェー服装採集の写真

今和次郎の民家調査と考現学

今和次郎は大正時代の末期、仲間とともに東京・銀座や深川の風俗を数多くのスケッチで記録した。行き交う人々の服装にその素材、カフェーに出入りする人の行動や従業員の制服など、その描写と書き込みは実に微細にわたる。彼は、そのように「現在われわれが眼前に見るもの」を対象として「現代」を読み解く調査研究手法に「考現学」という名を与えた。
その萌芽は、民俗学者・柳田國男との出会いにある。青森県弘前市に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)図按科を卒業後、和次郎は早稲田大学建築学科助手の職に就いた。1917年(大正6年)、柳田が主宰する「白茅会(はくぼうかい)」に入会し、農村部の民家調査に参加する。
やがてそのまなざしは東北へも向けられた。東京での風俗調査のスケッチに、彼の東北への思いがにじむ。街の華やかさの裏にある出稼ぎ者の貧しい暮らしぶり。その詳細な描写に、近代化を進める都市と取り残される地方の落差が言葉にするより雄弁に描き出されているのである。

写真/今和次郎 吉田謙吉「銀座のカフェー服装採集」(工学院大学図書館蔵)

雪国試験家屋の写真

東北ルネッサンス 農村研究から積雪地方農村経済調査所の活動へ

大正後期から昭和初期にかけての東北は、度重なる冷害と飢饉、三陸地震津波などの被害にさらされた。農村部は著しく疲弊し、さらに金融恐慌が拍車を掛けた。そのような背景下で1933年(昭和8年)、農林水産省により山形県新庄市に「積雪地方農村経済調査所(雪調/せっちょう)」が設置された。その役割は東北復興にあり、農村・農家の生活を改善し、経済的な自立に導くことを目的としていた。
雪調は、農家に副業を奨励し、工芸品の開発には柳宗悦らの民芸運動を取り入れた。あるいは、農家への啓蒙や東北の魅力を伝えるため、山形を舞台としたドキュメンタリー映画の制作を支援するなど、その活動はさしずめ「東北ルネッサンスの拠点」といえるような様相を呈した。
今和次郎は、民家研究の専門家としてこの活動に加わり、農村調査に基づき住宅改善計画を提案する。さらに、それを具現化する試験農家家屋の設計建築も手掛けた。この試験家屋は現存しないが、設計図や資料、そして現存する和次郎設計の郷倉などから、彼が求めた「暮らしの質」に迫る。

写真/積雪地方農村経済調査所 雪国試験家屋(工学院大学図書館蔵)

台所のスケッチの写真

現在に生きる東北考現学

現在、考現学は独立した学問分野としては存在しえなくなっている。しかし、その視点や手法は、さまざまな分野のフィールドワークに生かされている。例えば、1960年代に各地で展開された歴史的な街並みの調査、1970年代の路上観察学や都市文化の研究などに、その継承が見てとれる。
今和次郎が考現学において大切にしたのは、その土地に住む人の生活の構造を把握し、何を重んじるべきかを考察することである。そのために、住む人の一人ひとりに目を向け、暮らしの細部から人々の心理までも読み解こうとした。
本講座の講師、黒石氏は、旅先で感じる珍しさや不思議、あるいは土地の人や文化に触れて抱く違和感、そこから生じる好奇心こそが、考現学的に土地と人を理解するためのシーズ(種)であると考える。今和次郎ゆかりの地である山形県新庄市や、東日本大震災の被災地である宮城県気仙沼市において、大学教員として学生らと行ってきたフィールドワークから現在の考現学を考える。

写真/仮設住宅の台所のスケッチ2012(黒石研究室蔵)

講師:黒石いずみ氏の写真

講師:黒石 いずみ氏

秋田県生まれ。青山学院大学総合文化政策学部客員教授。東京大学工学部建築学科卒業、同大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程・博士課程修了。ペンシルバニア大学芸術学部大学院建築学専攻博士課程修了。Ph.D.取得。今和次郎を中心に日本の近現代の都市や地域、建築文化とデザインの歴史を、生活の場の意味の変容や国際交流の視点から幅広く研究する。著書に『東北の震災復興と今和次郎―ものづくり・くらしづくりの知恵』(平凡社)など。