青森

鳥瞰図絵師・吉田初三郎と八戸

~大正・昭和の観光ブームを
築いた商業画家~

日本の鉄道網の発達とともに、明治から大正、昭和に至るまで、旅行案内図として流行した鳥瞰図。中でも名を馳せた作り手こそ、八戸ゆかりの絵師・吉田初三郎だ。その人となりと、超絶技巧の秘密を探る。
写真/昭和12(1937)年『八戸市鳥瞰図』(八戸クリニック街かどミュージアム蔵)

講師/小倉 学氏
(八戸クリニック街かどミュージアム館長兼学芸員)

吉田初三郎の写真

商業画家の顔と
地域プロデューサーとしての顔

大正から昭和にかけて活躍した吉田初三郎。彼の鳥瞰図は、旅行案内図として一世を風靡した。全国各地から依頼を受けて描いた作品は数千点にのぼるともいわれている。まぎれもなく、当時の観光ブームを築いた立役者の一人だ。昭和7(1932)年に八戸を訪れ、種差海岸の風景に魅入られた彼は、この地に画室を構えて活動の拠点とした。卓抜した絵師として有名な初三郎だが、彼はまた別の顔も持っている。それは、地域活性のプロデューサーとしての顔である。その才覚は、生来備わったものだったのだろう。
八戸においても、彼は地域を巧みにプロモーションし、種差海岸の国の名勝指定に大きく貢献した。また、八戸以前に拠点としていた愛知県犬山市でも、なんともユニークな地域活性プロジェクトを興し、その成果は同市に今も息づいている。あまり知られていない、「元祖町おこし」ともいえる初三郎の業績を紹介する。

写真/昭和4(1929)年の『旅と名所 観光改題第二十三号』より、鳥瞰図を制作する吉田初三郎。多くの弟子と分業で作業に当たっていた(八戸クリニック街かどミュージアム蔵)

十和田湖鳥瞰図の写真

ここが凄いよ、初三郎!
超絶技巧を徹底解説

初三郎式鳥瞰図の人気の秘密はどこにあるのだろう。構図・描法の巧みさと緻密さから、彼は『東海道五十三次』を描いた天才・歌川広重になぞらえられた。一方、風景画・俯瞰図の形式の上で最も類似性が高いのは、江戸末期から明治にかけて活躍した歌川貞秀の作品と思われる。貞秀は、横浜絵の第一人者として知られ、精密な鳥瞰図も描いた浮世絵師だ。
また、初三郎の時代には、おびただしい数の鳥瞰図が旅行案内として発行されている。画力の優れたものもあれば、拙いものもあり、ピンからキリまで実に多様である。広重と貞秀の作品、そして東北が描かれた同時代の鳥瞰図と、初三郎のものとを見比べ、その特徴と絵図に込められた技巧の数々を紹介。初三郎図の人気の秘密を解き明かす。

写真/昭和8(1933)年の「十和田湖鳥瞰図」。巨大な水がめのように描かれた湖が印象的(八戸クリニック街かどミュージアム蔵)

鳥瞰図の折本の写真

今でも使える旅行案内図・
鳥瞰図の楽しみ方

初三郎の鳥瞰図は、技巧が尽くされた絵画であり、優れた旅行案内図であるだけでなく、当時の町の様子を切り取った貴重な記録といえるだろう。詳細に見ていくと彼は鳥瞰図の中に、その地域の文化までも描き込もうとしていたことがうかがえる。八戸を描いた戦前と戦後の鳥瞰図を比較すると、彼が描いた当時の八戸の姿が見えてくるはずだ。八戸や青森だけでなく、東日本を中心に、地域の文化が色濃く描かれた数々の鳥瞰図を取り上げる。
最後に、時を隔てた今、初三郎の鳥瞰図をどのように役立てるかを探る。街は時代により大きく変化するが、地形、名勝・旧跡、寺社など、それほど変わっていない部分もある。当然、その意味では案内図として機能するのだが、もう一歩踏み込んで、初三郎式鳥瞰図を手に旅をする、さまざまな楽しみ方に迫った。

写真/各地の名所・名物が描かれた鳥瞰図の折本。表紙絵も初三郎が手掛けていた(八戸クリニック街かどミュージアム蔵)

講師:小倉 学氏の写真

講師:小倉 学氏

八戸クリニック街かどミュージアム館長兼学芸員。1977年、青森県生まれ。大学進学を機に上京し経営学部を卒業後、日本・東洋絵画史などを学ぶ。2012年、吉田初三郎の鳥瞰図のコレクターだった産婦人科医で前館長の父・秀彦氏と共に、街かどミュージアムを開館。初三郎および伝統木版画の研究、展覧会企画、講演で普及活動を行っている。
八戸クリニック街かどミュージアム
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