トランヴェール Train Vert
トランヴェール 2021年3月 群馬・埼玉

2021年 3月号 特集
群馬、埼玉。
渋沢栄一を旅する

令和6(2024)年、渋沢栄一と東京駅が刻まれた新1万円札が発行される。幕末から開国、昭和のはじめまで日本の激動期を駆け抜け近代化に奔走した渋沢は、不屈の精神で勝ちを引き寄せ、近代日本経済の父と称されるほどの成功を収めた。ゆかりの地が多く残る群馬、埼玉を旅し、財界人として実業界をけん引した明治期の前半生に迫った。(写真提供/朝日新聞社)

鉄道王が残した遺産

SLぐんま みなかみの写真

渋沢栄一は、財界人として日本の鉄道の黎明期を支えていた。明治6(1873)年、政府の要職を辞したのち、 私設鉄道会社の設立に乗り出す。自身が経営に直接携わることはほとんどなく、発起人や株主あるいは斡旋、助言という形で縁の下から支えたという。関与した数十にも及ぶ鉄道会社のうち、日本鉄道は日本初の私鉄として知られ、現在の東北本線や高崎線などになる数多くの路線を建設した。写真はJR高崎駅と水上駅間を走るSLぐんま みなかみ。

明治41(1908)年ごろの日本煉瓦製造株式会社の写真

写真は、最盛期の明治41(1908)年ごろの日本煉瓦製造株式会社。渋沢が故郷の埼玉県深谷市に設立した会社であり、ここで焼かれた赤レンガは、大正3(1914)年、辰野金吾の設計により竣工した東京駅丸の内駅舎の構造にも使われた。工場の旧事務所は、現在では日本煉瓦史料館として公開されており、写真や資料などから当時の様子をしのぶことができる。(深谷市文化振興課蔵)

備前渠鉄橋の写真

日本煉瓦製造株式会社の工場と最寄りの深谷駅の間には専用鉄道が敷かれ、都市整備のために大量に必要となったレンガを運び出していった。写真は、明治時代に工場と深谷駅を結ぶ専用鉄道が走っていた、備前渠鉄橋(びぜんきょてっきょう)、重要文化財に指定されている。鉄道が走っていた当時の写真は、史料館に展示されている。(写真提供/深谷市文化振興課)