世界に広まったHAIKU

俳句をいち早く英米に伝えた日本人がいた。野口米次郎、彫刻家イサム・ノグチの父である。野口は18歳で大学を中退して渡米、著名な詩人ホアキン・ミラーのもとへ押しかけ、住み込み書生となる。そして日本文化に惹かれたミラーに俳句を教えるうち、英語俳句を作るようになった。3行で表現する英語俳句の形式を作ったのは、この野口だ。野口は講演会や執筆活動を通して俳句の魅了を英米に伝えた。アメリカ生まれの詩人エズラ・パウンドはその影響を受け、「地下鉄の駅で」という短い詩を作り、高く評価された。