トランヴェール Train Vert
トランヴェール 2020年8月 北海道・青森

2020年 8月号 特集
アイヌ民族は交易の民だった

国立アイヌ民族博物館がオープンし、日本の先住民族、アイヌ民族が注目を集めている。最近の研究では、狩猟の民であったという従来の概念を打ち破り、実は「交易の民」として広く活躍していたと分かってきた。その足跡を北海道、青森にたどる。

広大な北の海は
我らが庭

駒ヶ岳

薄雲をたなびかせ、山裾を優雅に広げた北海道駒ヶ岳が、噴火湾(内浦湾)の向こうに姿を現した。南端に函館を擁する渡島(おしま)半島東岸のシンボリックな山だ。縄文の昔から、多くの人々が津軽海峡を渡り、本州と行き来した。その航海では、この駒ヶ岳が重要な目印の一つとなっていただろう。
近年、北東北や道内での縄文遺跡の調査研究が進み、有史以前の海を介した人と物の交流が、少しずつ明らかにされてきている。

ラッコ毛皮

明治になるまで、アイヌの交易に金銭取引は確認されていない。交易は、物々交換ともてなしで行われたと考えられている。文献を残すことがなかった時代、アイヌの間で口承されてきた英雄叙事詩「ユカㇻ」に、それをうかがわせる次のような場面が伝わっている。アイヌの首長は晴れ着を身に着け、毛皮などの土産を持参して和人の村を訪れる。数日間の滞在中は大歓待を受け、和人から土産をもらって村へ帰ったという。
写真はアイヌの交易品だったラッコの毛皮。こうした本州では希少なお宝を和人に供給していたのだ。
(アイヌ民族文化財団蔵)

二風谷コタン

日高山脈の麓には、総延長104キロにも及ぶ沙流川(さるがわ)が流れている。その流域の平取(びらとり)町付近には、15~17世紀ごろに形成されたアイヌの集落“コタン”があった。現在はかつてのアイヌ集落を復元した二風谷コタンがある。復元された住居“チセ”が立ち並び、周辺には博物館や歴史館、工芸館などの施設も充実している。アイヌの民俗や文化に関わる豊富な資料を眺めながら、交易の民としてのアイヌに思いを馳せてはいかがだろうか。