長篠合戦と
領国の立て直し

戦国時代最強の軍団といわれた武田軍が、大敗をした「長篠合戦」。相手は、その後日本を統一することになる織田信長・徳川家康の連合軍で、場所は、現在の愛知県新城市になる。武田軍は遠征の上、倍以上の軍勢と戦うことになり、負けてしまう。(大阪城天守閣蔵)

勝頼は、誠実な領主であった。山の利用をめぐり争う2カ村の村人を、休暇中の温泉に呼び、休み返上で騒動に裁決を下し、争いを鎮めている。当時「志摩の湯」と呼ばれていた温泉は現在、湯村温泉となっている。甲府市内にあり交通の便もよいため、旅館やホテルが立ち並び、賑わっている。

勝頼が造った「新府城(しんぷじょう)」は、現在の韮崎(にらさき)市にあった。現在の山梨県、長野県を主な領土としていた勝頼にとって、領土の中心に当たる場所であり、自らの精神的なバックボーンである諏訪大社にも近づいたことになる。