寝台特急カシオペアの運行開始25周年を記念した
エピソード募集にたくさんのご参加をいただき、
ありがとうございました。
数々のカシオペアへの思いがこもった
エピソードやお写真のなかから一部を
ご紹介いたします。
1.母と私のカシオペア(りゅう様)

私が初めてカシオペアに乗ったのは2017年の8月。その後も何度か乗車するうちに「カシオペアの旅に母も連れていってあげたい」とふと思うようになり、自分で働いて稼いだ給料で初めて母を旅行に招待したのがカシオペア紀行の旅でした。
母は大満足でそれから毎年のように親子で乗車し今や私達親子でのカシオペアの旅は毎年恒例のものとなっています。その中でも2021年に運行された周遊カシオペア紀行の旅は4日間カシオペアの旅を満喫でき、また自由時間で母リクエストの五稜郭にも訪れることができ、とても心に残る思い出の旅となっています。
その他にも車内で初めて会う人達とのラウンジカーでの語らいやカシオペアの運行を支えてくださるスタッフさん達とのふれあい等、沢山の思い出をくれたカシオペア、これからも親子共々愛し続けていきます!
2.思い出話とともに東京へ(ぬー様)

私ではなく、母と祖母のエピソードです。
戦前に疎開や結婚を機に大阪から北海道へ移住してきた祖母には、東京に弟がいました。
しかし、不慮の事故で弟に先立たれ、東京でお葬式をあげることになりました。大の飛行機嫌いだった祖母は、年齢的に腰も重く「葬式には行けない」と言っていたのですが、同居していた祖母の娘である私の母が、最寄り駅のみどりの窓口に行ったところ、たまたまその夜のカシオペアが1室空いておりました。そして祖母と母は、二人でカシオペアに乗り、東京に向かいました。
初めて乗ったせっかくの豪華な寝台列車は、楽しい旅行での乗車ではなく、弟の葬式に向かう道中の辛い旅路でしたが、祖母と母は2人きりの部屋で、亡くなった弟の思い出話を親子でし、つらい気持ちが少し救われたそうでした。
さすがに、北海道へ帰路でまたカシオペアに乗ることはかなわず、東北新幹線、特急はつかり、急行はまなすを乗り継ぎ、家路につきました。
祖母からは「やっぱり東京に行ってよかった」と、祖母が亡くなるまで、笑顔の祖母から何度もこの話を聞くことになりました。
3.20代、友達と(てっちゃん様)

社会人なりたてで、お金も無い20代でした。何とか乗りたいなと友達を誘い乗りました。
希望の札幌行は人気過ぎて乗れず、上野行での乗車でしたが、乗れて本当に良かったと思います。ウエルカムドリンク、フランス料理。まさに豪華寝台列車の名に相応しい列車でした。
画像は盛岡~仙台間を走行中のラウンジカーから臨む朝日です。またこのような、夜間も走り抜けて目的地に向かう寝台特急に乗れればいいなと思います。
4.大切な人との夢の時間(yuu81様)

私とカシオペアのエピソードは、令和5年5月5日に新婚旅行で乗車した「カシオペア紀行」です。
私は寝台特急が好きで、幼少期は「トワイライトエクスプレス」や「日本海」に憧れて育ちましたが、気付けばサンライズ号を除き定期寝台列車は廃止に。カシオペア紀行は旅行商品のため、乗る機会はないと諦めていました。
転機となったのは結婚でした。偶然妻も鉄道が好きで、ダメ元で新婚旅行にカシオペア紀行を提案したところ、「いいよ」と。しかし当時はコロナ渦で新婚旅行とはいかず、チャンスが来たのは入籍から3年経った令和5年。JR東日本びゅうツーリズム&セールス主催の盛岡行にスイートメゾネット利用で申込みました。
上野駅13番線に名物の推進回送でやってくるE26系客車。機関車はスーパーエクスプレスレインボー塗装のEF81 95号機。EF81が牽引する寝台特急を見て育った私にとって、田端のスーパースターが牽引する豪華寝台列車に大切な人と乗車するという、まさに最高の役者が揃っていました。展望スイート前で駅員さんに撮っていただいた、妻との記念写真が思い出の1枚です。
15:50に上野駅を発車。部屋で乗車記念証を受け取ってからラウンジカーに移動。EF81を眺めながら流れる車窓を堪能しました。
夕食はダイニングカーにて。人生初の食堂車で人生初のフランス料理。添乗員さんに新婚旅行だと伝えていたためか、アテンダントさんからお祝いメッセージが書かれたポストカードをいただきました。カシオペアクルーのサービス精神に感動しました。夜食のパブタイムも予約できたので、2回食堂車を満喫できました。
食後は個室2階のリビングで妻と語らいながら夜の車窓を楽しみ、シャワーを浴びて1階のベッドで就寝。客車は騒音源が少なく、静かで快適に眠れました。
翌朝7:22に盛岡駅に到着。15時間32分の乗車時間は夢のように過ぎ去っていきました。その先のツアーも素晴らしい観光地や料理を楽しむことができ、3年越しの新婚旅行は一生忘れられないものになりました。
カシオペアで幼少期の夢を叶え、大切な人との時間を過ごせた私は幸せです。フラッグシップの座を譲り、北海道に行かなくなった今もなお、乗客に夢と感動を与え続けるカシオペア。これからも多くの人に愛され、EF81とともに末永く走り続けることを切に願います。
5.車窓の景色はどれも特別(shmaru_0813様)

カシオペア号、運行開始25周年おめでとうございます!カシオペアは小さい頃から憧れの列車でしたが、大人になるまでは駅や沿線で眺めるしかできませんでした。
社会人になって初めてカシオペアに乗車することができたのですが、その時は北海道新幹線の開業を翌年に控えているタイミングでした。北斗星は定期運行を終え、カシオペアも今後の存続がわからないと囁かれていた中、定期運行終了までに運良く上りと下り合わせて5回、家族や恋人と乗車することができました。
カシオペアの車内から眺める景色はどれも特別で、今も忘れられません。
上り列車では噴火湾のきれいな夕焼け、ダイニングカーでのディナータイム終盤に見えた函館の裏夜景、深夜に青函トンネルを抜けた後に部屋で寝転がりながら眺めた満天の星、東北地方の朝焼け…。
下り列車では、途中から車窓が雪景色に変わり、未明に青函トンネルを抜けると車窓に広がる北海道の雄大な景色…。
また、車内から駅のホームにいる見知らぬ人と手を振り合ったり、朝・夕食時やパブタイムにダイニングカーの温かいスタッフさんとお話ししたり、夜のラウンジカーで車掌さんやほかの乗客と過ごしたひとときは、寝台特急ならではの至福の空間でした。
写真は、当時飽きずに何度も一緒にカシオペアに乗ってくれた恋人と撮った写真で、今は妻です。
ダイニングカーの朝食後に撮った写真ですが、流れる景色を見ながらのお食事って、今となってはなかなかできることではないので、貴重な体験でした。
私たちは札幌に住んでいますが、カシオペアに乗って東京へ出かけられる又は地元札幌に帰ることができるというのはすごく特別感がありました(むしろ、カシオペアに乗ることが旅の一番の目的でした(笑))
結局カシオペア紀行になってからは一度も乗れていませんが、このエピソードを打っていたらまた乗りたくなってきたので、近い将来乗りに行きたいです。
できればまた札幌でカシオペアと再会したいです。
最後になりますが、カシオペア号は今も私たちの心の中で走っていますし、この先も永遠に走り続けると思います。
カシオペア号ありがとう!
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