「TRAIN SUITE 四季島」を支える想い

Vol.692025/1/31

太宰治記念館「斜陽館」館長
舛甚ますじん 富美子の想い

文豪を育んだ、津軽の冬と太宰文学の原点を体験してほしい。

「TRAIN SUITE 四季島」冬の二泊三日コースでは、旅の二日目に青森県津軽地方、作家・太宰治の生家を記念館とした「斜陽館」を訪れる。
真っ白な雪の世界に佇む、贅を尽くした津軽の大地主の邸宅。ここは文豪を育んだ「家」にして、世界に知られる、文学の聖地でもある。
ここで案内人を務めるのは、地元・金木町出身の館長・舛甚富美子だ。ふるさと津軽が育んだ、世界に誇る文豪の色濃い魅力を、津軽人らしく、ユーモアたっぷりに伝え続けている。


津軽の大地主・津島家の六男坊として生まれた太宰治

斜陽館では、「TRAIN SUITE 四季島」の2018年12月からの「冬のコース」が始まって以来、毎冬お客さまをお迎えしてきました。
ここは作家・太宰治(本名・津島修治、1909‐48)の生家です。1907(明治40)年に、太宰の父である津島源右衛門が贅を尽くして建てた、広大な屋敷を保存・公開しています。源右衛門は、田畑250町歩(約75万坪)を持つ津軽の大地主で、この地に銀行や電力会社を立ち上げた実業家でもあり、戦前、衆議院議員、貴族院議員も務めた名士でした。
太宰は、その源右衛門と母との間に11人兄弟の10番目、6男として、新築して間もないこの大屋敷に生まれました。幼い頃から叔母や子守のタケに育てられたので、自分は父母の本当の子ではないのではと思い悩むような子でした。ある時、その疑念は深まり、使用人たちに自分の生い立ちを聞いて回ったところ、彼らがみな太宰を生まれた時から知っていたので、実は自分が平凡な身の上だったことに、かえってがっかりしたというエピソードが伝わっています。この広い屋敷の暮らしのなかで、幼い太宰は、やがて兄弟間にある身分の違いに悩んだり、愛する子守のタケとの辛い別れのドラマも経験します。
戦後、この屋敷は人手に渡り、その後は旅館となっていましたが、現在は五所川原市の施設として、太宰治記念館「斜陽館」になり、2004年には国の重要文化財にも指定されています。


築百年を超える大邸宅から伝わる、“えふりごぎ”を育んだ暮らし

「TRAIN SUITE 四季島」のお客さまが斜陽館にいらっしゃるのは、真冬の厳しい季節。青森駅からバスで到着されるお客さまをお迎えし、津軽の雪景色をご堪能いただきながら、津軽の気候風土、この町が津軽三味線発祥の地であること、そして津島家の歴史などをご説明します。 館内では、展示資料室で愛用品等をご覧いただき、太宰が生まれた部屋、津島家の大仏壇、金融業を営んでいた当時の店舗、贅沢な洋間の応接室、母の部屋でのエピソード等を交えながら、唯一無二のこの大屋敷の物語を順にご案内していきます。
この金木周辺は、江戸時代から北前船の寄港地である十三湊とさみなとから岩木川を遡って津軽藩にさまざま物資が運ばれてくる土地でした。物資ともに華やかな文化も伝わり、旅芸人などもやってきたようです。大正の頃、太宰の父は地元に芝居小屋を建て、小学生だった太宰はこの芝居小屋に通って刺激を受け、この屋敷の中で弟や親戚の子を集めては、家族にも芝居を披露していました。
子どもの頃の太宰は、腕白でありながら秀才で、そしてとても心根の優しい人であったようです。地主の家に生まれた自分と、小作人の子どもたちとの境遇の違いを嘆き、自分を特別扱いする大人たちに抵抗することもありました。
小さい頃から本を読むのが好きで、仲間を楽しませるユーモアセンスにも溢れていたそうです。おしゃれにもこだわりがあって、そんな人は、津軽弁で“えふりごき”(お洒落者、見栄っ張り)というんです。
太宰は、津軽の典型的な“えふりごき”な人でした。


津軽の風土と太宰文学のふるさとへ

私は、地元・金木町の出身で、観光の仕事に憧れ、若いころから観光業(ガイド業)に携わってきました。縁あって、斜陽館に勤務して18年になります。昨年の12月に館長に就任しました。地元で観光に携われることに感謝し、日々のお客さまとの対話を楽しみながら働いています。
来館されるお客さまは国内からばかりではなく、海外からの方も多いです。最近はアニメをきっかけに太宰に興味を持った中高生も増えています。ただ混雑しない時期を狙って一人旅でここにいらっしゃるのは、やはり男性の太宰ファンでしょうか。太宰が過ごした、この同じ空間自体を静かにしみじみと味わいたいということかもしれません。
冬の津軽は、雪の世界と共にあります。地吹雪が強い日は、視界がまったく雪に閉ざされる日もあります。そして、毎日、それも日に3度も雪かきをするようになれば、あっという間に一日が過ぎてしまいます。ご近所同士で、「もううんざりね」、「こんなに頑張っているのにどうして痩せないのかしら(笑)」という会話も絶えません。この雪の世界は、幼い日の太宰もきっと見ていた風景ではないでしょうか。
「TRAIN SUITE 四季島」のお客さまをご案内していて、「昔、太宰治に心酔していた友人のことを思い出しました」、「久しぶりに太宰を読み直したくなった」、そんな嬉しい声をいただくことがあります。
いまや世界的にも有名になった太宰文学の原点がこの場所には、いまも生きています。訪れてくださったことを契機に、ぜひ津軽の風土や、太宰の人生や作品世界により興味を持っていただけたら嬉しいです。
太宰治記念館「斜陽館」館長 舛甚ますじん 富美子 [ 文=鈴木伸子 撮影=小山一成 ]