プレスリリースインデックスへ
JR東日本からのプレスリリースを年度別に掲載しています。(JR東日本広報部)
 
2002年1月18日
 

「(仮称)旧新橋停車場復元駅舎」1月21日着工
≪ 明治5年に開業した新橋駅を再現 ≫

 
【添付資料6】
<これまでの経緯>
1. 汐留地区の経緯
汐留地区は、江戸前島の先端付近の湿地帯に位置すると推定されており、寛永年間(1624〜1644)に埋め立てが進み、港や荷揚げ場が造られ、江戸城を囲む大名屋敷が立ち並ぶ重要なエリアでした。
明治期に入り、明治5年新橋・横浜間に鉄道が営業を開始し、汐留は、わが国における鉄道発祥の地として文化あるいは経済の重要な拠点となりました。
大正3年に、東京駅の開業に伴い貨物専用駅となり、新橋駅を汐留駅に改称し、大正及び昭和期を通じて鉄道貨物基地として大きな役割を果たしました。
昭和61年の貨物駅の廃止を経て、昭和62年に国鉄清算事業団に帰属しました。
2. 鉄道遺構の保存等の経緯
0哩標識については、昭和11年の貨物駅改良工事竣工にあわせてホーム、軌道等を設置して0哩標識周辺が整備されました。
昭和33年に、0哩標識が鉄道記念物に指定され、昭和40年には文化財保護法による国の史跡に指定されました。
汐留駅は昭和62年に国鉄清算事業団に帰属したが、平成3年度から埋蔵文化財調査を行っており、江戸期の大名屋敷の境堀、建物基礎、陶器等が発見されるとともに、明治期の鉄道遺構として、鉄道開業当時の旧新橋停車場の駅舎基礎、プラットホーム及び軌道敷が発見されました。
汐留地区で発見された江戸期の遺構等については、記録保存することとなりましたが、明治期の鉄道遺構については、鉄道発祥の地という歴史的な意義から約1,824m2を現状で保存することとなり平成8年12月10日に「旧新橋停車場跡」として国の史跡に追加指定されています。
国鉄清算事業団は、当該史跡を含む汐留地区の土地を売却するにあたり、鉄道の歴史、文化等を活かした街づくりを進めるため、平成8年12月に「旧新橋停車場跡保存復元方策等検討委員会」を設置し、鉄道遺構の保存及び旧新橋停車場の復元方法等について具体的な検討を進めてきました。
平成10年3月、東日本鉄道文化財団は、その基本方針をまとめた国鉄清算事業団から保存・復元等の運営事業の引き受けを要請され、その要請に応えることとなりました。
3. 旧新橋停車場の変遷
文献名
『鉄道諸建築箇所分費用綱目』(明治5年 鉄道寮)
『鉄道庁事務書類第3巻26号』(明治24年 鉄道寮)
『逓信省公文書 建築27』(明治33年 逓信省)
『建築工芸叢誌』(大正2年 建築工芸協会)
『日本国有鉄道百年史2』(昭和45年 日本国有鉄道)
『汐留・品川・桜木町百年史』(昭和48年 日本国有鉄道)
年 号 旧新橋停車場関連 鉄道一般
1870(明治3)
3 芝口汐留付近の測量に着手 (建築副長英人ダイアックが第1杭打設)
11 新橋〜横浜間の軌条敷設に着手 (5年7月完成、軌条は英国製長さ24フィート[7.3m]の鍛鉄双頭軌条、単線で31km余、国産材木使用)

3 鉄道建設を統轄する機関として民部・大蔵省に鉄道掛を築地の旧尾張藩邸に設置
10 工部省設置、鉄道掛は工部省の所属となる  
1871(明治4)
4 新橋停車場本屋着工 (設計者:米人建築家R.P.ブリジェンス、木骨石張り、瓦葺き)
12 新橋停車場乗降場着工
2 横浜停車場本屋工事
8 鉄道掛が鉄道寮となる
9 横浜停車場本屋落成
1872(明治5)
4 新橋停車場本屋落成
6 新橋停車場乗降場落成
9 新橋〜横浜間開業
3 横浜停車場乗降場落成
5 品川〜横浜間仮開業
1873(明治6)
12 2階渡り廊下新設[木造]
(2階事務室相互連絡のため)
(17年9月の台風で吹き飛ぶ)
 
1874(明治7)
5 左右の出札所を広間中央の改札口付近一ヶ所にまとめて新設
  (同時に左右の待合所を拡張) 駅舎正面に車寄せを設置
 
1877(明治10)  
1 工部省の鉄道寮は鉄道局となる
1891(明治24)
5 新橋停車場便所の改築
 
1900(明治33)
6 新橋停車場乗降場上家増築
(144尺)
 
1914(大正3)
12 新橋停車場は汐留に、烏森は新橋にそれぞれ改称
12 東京駅開業
1923(大正12)
9 関東大震災により新橋停車場本屋焼失
9 関東大震災により横浜停車場本屋焼失
 
<< BACK