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誰もが夢見る時間旅行、水戸でできるってご存じですか?
歴史講談が楽しめる地図を片手に、水戸の町を歩けば、
たちまち線路はお城の堀に、神社の参道斜面は登り窯に。
江戸時代の水戸の姿が見えてくるというわけです。
いざ、城下町水戸へ参りましょう!
パンフレットの地図で、水戸の町を歩きましょう。
スマートフォンやタブレットで
QRコードを読み取ると、
その場所に隠された水戸の歴史が楽しめます。
地図には水戸の歴史が眠る場所が示されています。興味のある場所まで出かけましょう。
水戸観光案内所、JR常磐線主要駅、弘道館、
偕楽園見晴亭 など
時は慶長14(1609)年、徳川頼房が城主となり水戸藩の歴史は幕を開けます。水戸黄門でおなじみ2代・光圀、偕楽園や弘道館を開いた9代・斉昭、さらには最後の将軍・慶喜が幼少を過ごした地と、名君そろい踏みの水戸は、江戸時代の町割りもよく残した、梅のように歴史が香る町です。水戸駅から偕楽園を中心に広がる城下町の歴史を、少しだけお教えいたしましょう。
水戸城は、北を流れる那珂川と南の千波湖に挟まれた舌状台地の先端に築かれました。当時の千波湖は、水戸城の南側まで東西にのびる長く広い湖でしたから、これを天然の要害として利用したのです。しかし、このような地形の上に城と町を配したため、水戸は他の城下町とは少し異なる特色を備えることになりました。それは「双子町の城下」です。
初代・頼房は城下の大規模改修にあたり、城の西側の台地を上町と名付けて五重の堀をめぐらせ、東側の低湿地は埋め立てて新たに下町を造成。そのどちらにも武家地と町人地が配されたため、“双子”の構造となったのです。城下は、城を取り囲むように形成されるのが一般的ですから、水戸のような「双子町の城下」は珍しい例といえます。
東側の下町は、埋め立てられた土地で、良い井戸水が得られなかったため、上水道が敷設されました。江戸や金沢などの大規模な城下町ならともかく、水戸のように35万石の城下町で上水道施設を備えていたのも他に例がありません。
一方、西側の上町は起伏に富んだ地形の丘陵部にあり、今も坂の多い街です。水戸の街には、鉄砲町、大工町など古くからの地名が引き継がれていますが、坂の一つ一つにも名前があり、今に伝えられています。ちなみに、五重に築かれた堀の西端は現在の大工町の交差点にあたり、その名残が見られます。地形からその特徴を体感できるのも、城下町水戸の大きな魅力です。
歴代の水戸藩主の中でも名君と称えられるのは、2代・光圀と9代・斉昭です。光圀は国民的な存在ですが、最後の将軍・慶喜の実父である斉昭も、幕末の歴史を語る上では欠くことのできない人物の一人といえるでしょう。
文政12(1829)年に30歳で家督を継いだ斉昭は、積極的に藩政改革を進め、併せて文武両道に秀でた人材を育てるために、藩校として弘道館を創設したことでも知られています。歯に衣を着せずにものを言い、将軍や幕閣に対しても、おもねることなく数々の進言をする一方で、藩政を支える農民も大切にした優れた藩主でした。
斉昭が尊敬していた光圀は、『大日本史』の編さんという大事業に着手し、推し進めた名君。学問を重んじて水戸藩に多くの識者を招き、人材育成にも努めました。斉昭もまた、藩政改革においては門閥にとらわれず、優秀な藩士を取り立てて要職に就け、人事の刷新を図りました。そうして知力と武力を兼ね備えた藩士らが、幕府や他藩、そして勤王の志士らにさまざまな影響を与えていくのです。
幕末の志士たちを奮い立たせ、維新の原動力となったともいわれる尊王攘夷運動。その発信源が水戸です。
天皇を頂点とし崇拝する「尊王」の考え方は、光圀に始まる『大日本史』の編さんを通じて水戸藩に根づいたもので、後に「水戸学」と呼ばれる学風の根幹でした。
「攘夷」は江戸後期、日本近海に外国船が出没し始めたことから、これを打ち払うべしと起こってきた考え方です。もとは別々だった2つの思想を結びつけ体系化したのが、斉昭の師である会沢正志斎(せいしさい)や、斉昭の藩政改革を支えた藤田東湖(とうこ)ら、斉昭の側近を務めた学者たちでした。
特に正志斎が著した『新論』は、勤王の志士らにとってバイブルのような書物となり、水戸学の名声を高めました。斉昭の時代には、水戸学をより深く知ろうと、多くの志士が水戸を訪れています。その中には、後に幕末の志士の指導者となる若き日の吉田松陰の姿もありました。
やがて日本が開国へと向かう中、安政の大地震により、「水戸の両田」と謳われた斉昭の重臣、藤田東湖と戸田忠敞(ただあきら)の2大巨頭を亡くし、さらに悲嘆のうちに斉昭が逝去すると、藩政は混迷。藩内抗争が熾烈化する中、水戸浪士による桜田門外の変、天狗党の乱が勃発し、水戸の歴史は維新にいたる動乱へと突き進んで行ったのです。
水戸には、こういったさまざまな往時の面影が、城下町の痕跡とともに残されております。幕末の古地図にちりばめられた歴史のエピソードをお供に町を歩けば、心はいつしか江戸時代。それでは皆さま、歴史発見の水戸漫遊へ、いざ参りましょう。
筑波大学大学院博士課程。文学博士。江戸時代の古地図や旅、茨城県内の近世・近代の景観変化などを主に研究。『茨城「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない茨城県の歴史を読み解く!』(じっぴコンパクト新書)、『国絵図読解事典』(共編著/創元社)など著書多数。
茨城県水戸市出身。東京女子大学史学科卒業後、落語・演芸誌の編集者を経て、2009年6月神田紅に入門。2013年、二ツ目昇進。2024年春、真打昇進。三代目松林伯知を襲名。古典の他、『水戸黄門漫遊記』など水戸が舞台の講談や新作講談も多数手がける。出囃子は『黄門囃子』。