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特集2020/03/27

義肢装具士 臼井二美男さんの講演会を開催しました!

2020-03 27

義肢装具士 臼井二美男さんの講演会を開催しました!

写真左:水谷憲勝さん、中:臼井二美男さん、右:須川まきこさん

今回は、義肢装具士の臼井二美男さんに、当社社員に向けて講演会を行っていただきました。臼井さんは、30年以上にわたって、義肢装具士として切断障がい者の義足製作に携わり、切断障がい者のスポーツ参加をサポートしてきた、この分野の第一人者です。シドニー2000パラリンピック以降、リオ2016パラリンピックまで5大会連続で日本代表選手のメカニックとして同行しています。
この日は、臼井さんが設立した切断障がい者のための陸上クラブの選手会長 水谷憲勝さん、義足のアーティスト・イラストレーターの須川まきこさんも登壇され、義足ユーザーとしての思いを語ってくださいました。

できないのではなく、やらなかっただけ。

 冒頭、臼井さんは「実物に触る機会はめったにないと思うので、ぜひ触ってみてください」と、小学4年生の男の子が使用していた義足と、シリコン製の義手を会場内に回覧しました。参加者の皆さんは、実生活の中で使用されていた義足や義手を手に取り、その構造や重さ、感触などを興味深い面持ちで確かめました。続いて、臼井さんが設立した陸上クラブの活動が取り上げられたニュース映像を紹介してくれました。その中で登場した女性は、小学校2年生のときに病気で足を失い「走ることを諦めていた」と語っていました。その気持ちを変えたのが、臼井さんたちとの出会いです。

スポーツ用の義足は筋力が弱いとうまく履きこなせないため、はじめは転んでしまうこともあったようですが、トレーニングを重ねて走れるようになってくると“諦めていた気持ち”に変化が現れます。そして小学校1年生の運動会以来、実に11年ぶりに陸上競技の大会に参加し、見事に完走! 現在も、臼井さんのクラブで走り続けているそうです。
「できないのではなく、やらなかっただけなんだ」と気づいたこの女性のように、障がいのために走ることを諦めていた人たちも、自身の持つ可能性を知ると「頑張ろう!」と思えるようになると臼井さんは語ります。

歩くことからはじめ、「走りたい」という気持ちをサポート。

義肢装具士として臼井さんが勤務するのは、義肢装具の製作から装着訓練に至るまで一貫したサービスを提供する、民間における国内唯一の総合的なリハビリテーション施設です。30名の義肢装具士が所属し、施設ではもちろん、各地の病院や身体障がい者更生相談所に出向いて義肢装具の相談や製作を行っています。また、付属診療所には医師や理学療法士が所属し、義肢や装具を作るための医学的診断やリハビリテーションなども行っているそうです。

 最近は、義足に特化したリハビリテーション、筋力トレーニング、ストレッチなどを行っていることがテレビやインターネットで紹介されることも多く、難しい症例の方が全国から訪れるようになったといいます。現在は、約5000名の方が定期的に施設へ通っているそうです。
「せっかく義足を作っても、筋力がないと履きこなせないこともあります。まずは入院中に固くなった股関節やひざ関節を揉みほぐし、歩くための体づくりから始めることが大切なんです。」と臼井さんはリハビリテーション施設の重要性を語ります。
また、東京2020パラリンピック競技大会開催を控えて盛り上がりを見せているのが、臼井さんが設立した陸上クラブの活動です。30年前には約4名で発足したクラブでしたが、現在のメンバーは218名。中には理学療法士や若手の義肢装具士、ボランティアの方々も含まれており、今もメンバーは少しずつ増えているそうです。
「ここで指導しているのは『義足で走る』ことです。義足ユーザーは、歩くことはできても走ることは難しいのが現実です。そういったことに気付いたのが30年前でしたが、欧米に目を向けると、当時からパラリンピアンが出ています。日本は『障がい者もスポーツをやる』という意識が遅れていることに気づき、それ以来『パラリンピアンのように走れなくてもいいから、とにかく外に出て体を動かそう』と声をかけ合い、活動を続けています。」と設立時からの思いを語ってくださいました。

 練習は基本的に週1回。臼井さんや理学療法士が付き添い、伴走しながら走り方を指導しているそうです。まずは“走りやすい義足”を参加者に貸し出し、少しずつ大会出場を目指していきます。その一方で、競技目的ではなく純粋に「走りたい」という気持ちから参加する60代、70代の義足の方も増えているそうです。現在は、小学校3年生から75歳まで、とても幅広い年齢層の方が参加しているといいます。
「パラリンピックアスリートを育成したいと考えると10代の方に頑張って欲しいという思いはありますが、高齢の方が『外に出たい』『走ってみたい』と考えるのはとてもいいことです。日本全体の高齢化が進む今日、障がい者スポーツの意義はそこにもあるのかな、と考えるようになりました。実際、3歳でも75歳でも『走ってみたい』という強い思いを持つ人はいるし、その思いをサポートしていると、自然と目標を持って上を目指す選手が出てくるものです。だからこそ、だれでも幅広く受け入れることを心がけています」と障がい者スポーツに挑戦することが多くの人の生きがいにつながっているといいます。

スポーツに取り組むことで、自立意識が生まれる

 ここで臼井さんは例として、13歳で両足を膝上切断した女性の取り組みを紹介します。
「一般に、両足膝上切断だと車椅子で生活する人が多いんです。でも彼女は、テレビでパラリンピックを見て、海外には自分と同じ状態でも車椅子を使わずに走っている選手がいることを知ったんです。歩くだけではなく『走りたい』と考え、チャレンジしてきました。」と語ります。普通の義足で歩くことからトレーニングをはじめ、杖を使わずに通学できるようになりました。大学進学後はパラ陸上部に所属し、大会で両足を膝上切断した人たちの階級であるT61クラスで世界記録を出しました。

 「両足切断で走れる人は、世界的にも多くはありません。けれど、先端技術を取り入れて義足が進歩したこともあり、走るための環境は整ってきています。スポーツに取り組むことは、体幹が強化されてバランスが良くなるだけでなく、自立意識を生む効果もあるので、ぜひ多くの人に挑戦して欲しいですね」と障がい者スポーツを通じて、日々周囲からのサポートを受ける切断障がい者の方が自立意識をもてるようになることの重要性を語ります。
一方で、障がい者が利用できるスポーツ施設は、まだ47都道府県のすべてに開設されるには至っていません。また、生活用義足とは違い、障がい者スポーツ用義足には公費のサポートがないため、育成段階では経済的に厳しい状況が続いているそうです。

自分の体を受け入れるプロセスとして絵を描く

 「障がい者スポーツの観点でお話をしてきましたが、走るのが苦手な人、もともと運動音痴の人など、スポーツに拒否反応を示す人はけっこう多いんです」と臼井さんは語ります。そうした人たちにも前向きになって楽しんで欲しい。そんな思いを義足のアーティスト 須川さんと共有する中で始まったのが、義足ファッションショーです。
須川さんは、14年前、悪性肉腫のために股関節切断という大手術を経験し、義足を履くようになりました。

 「命に関わる病気になり、さらに義足という二重の衝撃が受け入れ難く、辛い時期を過ごしました。」と語り始めます。もともとデザイン事務所に勤務し、イラストを描いていたことから、「自分の体を受け入れるプロセスとして」義足の女の子を描き始めたそうです。
「足を失った自分の体にすごくコンプレックスを感じました。でも、ファッション雑誌に並んでいても違和感のない“キレイな義足”があれば、自分の体を受け入れられそうな気がしたんです。そこで、まだ入院中で点滴も取れていない時期から、ベッドの上で義足の女の子のイラストを描き始めました。」と語ります。須川さんが足を失ったのは31歳の時。イラストを描くことで少しずつ自分の体を受け入れることができたそうです。
「でも、10代で思春期の女の子が義足になったらどうやって乗り越えるのだろう?」
そう考えた須川さんは、自分が描いたイラストを“義足の後輩たち”に見せました。するととても喜んでくれたため、その後は個展を開くたびに“義足を履いたキレイな女の子”のイラストを描くようになったそうです。

認識が変われば、見える風景も変わる

 絵を描くことで自分の病気と障がいを乗り越えてきた須川さんは、さらに一歩踏み出し、ファッションショーの企画を手がけるようになりました。
「発端は、2011年に原宿でゲリラ的にファッションショーをやろう、という企画でした。実はその頃、私はまだ自分が義足であることを隠しがちだったんです。でも企画を通じて『義足だけどこんなに元気に、ファッショナブルにすごしているよ!』ということを、地方にいてなかなか義足の情報を知らない方や、義足のために外出を躊躇している方への思いもあって、全国発信したいと思ったんです。」と須川さんは当時の思いを語ります。

 義足を隠すことなく原宿の街を闊歩する須川さんの姿に、当時は賛否両論があったといいます。それでも須川さんは「時代はきっと私たちの価値観に追いついてくる」という強い信念を持って表現し、発信することを選び、今日まで頑張ってきたのです。
ここで須川さんは、2016年に行われたファッションショーの映像を紹介してくださいました。参加メンバーのコスチュームは義足がキレイに見えることを重視して須川さんがデザインしたものだそうです。

 「ステージに立つことの醍醐味は、普段はコンプレックスに感じている義足がチャームポイントになることです。義足を主役にして、堂々と見せられることが気持ち良くて。『認識が変われば見える風景も変わる』ことを経験できたことが、すごく良かったです。」と自身の義足に対する認識が変わることで、周囲からの認識も変えていくことができることに気づいたそうです。

 東京2020オリンピック・パラリンピックを機に、共生社会の実現が課題となっていますが、共生社会の理念はまだまだ浸透しているわけではありません。須川さんが示唆する通り、「共生社会の実現という価値観に『追いついてくる』時代を、私たちみんなで創っていくことが大切だと感じました。

風を切って“走る”ことの気持ち良さ

 続いて、臼井さんの陸上クラブで選手会長を務める水谷憲勝さんが登壇しました。水谷さんは2001年にバイクの事故で足を切断。自分に合う義足が見つからずに困っていたところ、臼井さんと巡り会い、義足で自然に歩くことができるようになったそうです。そして臼井さんの誘いを受け、障がい者陸上クラブの設立に参加しました。
「初めて板バネのスポーツ用義足を履いた時は、昔の“走る実感”が戻ってきたように感じました。」と水谷さん。そこから半年ほどトレーニングを重ね、全力疾走ができるようになったそうです。

 水谷さんには会場で、スポーツ用の義足を使った走りを実演いただきました。あっという間に生活用からスポーツ用の義足に履き替え、会場内の通路を想像以上のスピードで疾走。そのまま会場の壁を突き抜けてしまうのではないかと思われる力強い走りを間近に見た参加者からは、感嘆の声とともに拍手が湧き起こりました。

 ここで臼井さんが「水谷さんは何気なくやっていますが、これは膝周りの筋力があるからできるんです。初心者はなかなかうまくいきません」と、解説。その上で「たとえば30年後には、日常生活も全力疾走も、すべて一つの義足で対応できるようになるかもしれない」と、未来の可能性を語ってくださいました。

駅と鉄道の設備に期待すること

 ここからは臼井さんと、義足ユーザーのお二人に、駅や鉄道を利用する際に感じることについて、忌憚のない意見を伺いました。
関西出身の須川さんからは、「大阪の鉄道車両は優先席のカラーリングが目立つのでわかりやすくていい」と、アーティストならではの意見をいただきました。
水谷さんは、「駅のエスカレーターはなぜ上りばかりなのでしょう」と疑問を提起。「誤って踏み外すと一番下まで落ちてしまうから、本当は下りの方が怖いんです。できれば下りエスカレーターを優先して設置してほしい」という思いを語りました。ただ全体としては、エスカレーターや洋式トイレを備えた駅が多くなっているので、「車椅子を必要とする人でも外出しやすくなった」と評価してくださいます。

 また、臼井さんは「これまでアテネとロンドンで地下鉄に乗ったが、ロンドンやヨーロッパの方は車いすや足の悪い方に対して反応が早く、反射的にすぐに席を立って、ちゃんと声をかけます。それに比べると日本人は、考えてから動いている。以前よりは席を譲る人が増えてきたと思うけれども、スマートフォンなど個人の時間に没頭していて、なかなか気づけない。」と世界と日本との意識の差を語ります。
また「やはり安全がまず第一に重要であり、次にサービス。そのサービスのなかで、より様々な方にどこまで寄り添うことができるかが大切な時代がやってくる」とお話しいただきました。

 参加者からは「地方駅の中には、設備や係員の配置が十分でない駅もたくさんあります。そうした駅で不便を感じた経験があれば、ご意見をお願いします」と質問がありました。
須川さんは「最近は田舎の駅でもエレベーターが設置されるようになったので、とても助かっています。でも、設備もなく係員さんもいない駅に、それと知らずに降りてしまったらどうするんだろう、と思ったことはあります」とのこと。臼井さんからは、「地方だと、自分でボタンを押すことによって車両のドアの開閉をするものがありますが、車いすの人にとってはぎりぎり届く高さのように思います」とお話いただきました。
お二人の意見を受けて、社員同士の連携とコミュニケーションの重要性と、普段からの「声かけ・サポート」の大切さを改めて考えるきっかけとなりました。

 3名の方のお話を踏まえ、個性がそれぞれ輝く共生社会の実現に向けて、私たちができることについて考え続け、行動につなげていきたいと思います。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

臼井二美男(うすいふみお)
1955年群馬県生まれ。28歳から義肢装具士として義足製作に取り組む。89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作を開始。91年、切断障がい者を対象とした陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」(現・スタートラインTOKYO)を設立、多くのパラリンピアンを輩出している。義足を必要としている人のために日々研究・開発・制作に尽力している。

特集

特集2020/03/27

東京2020パラリンピック日本代表内定のパラ水泳・木村敬一選手の講演会を開催いたしました!

2020-03 27

東京2020パラリンピック日本代表内定のパラ水泳・木村敬一選手の講演会を開催いたしました!

 今回は、ロンドン2012パラリンピック、リオデジャネイロ2016パラリンピックメダリストで、東京ガス株式会社に所属するパラ水泳の木村敬一選手に、JR東日本社員に向けて講演会を行っていただきました。講演に先立ち、東京ガスの東京2020オリンピック・パラリンピック推進部長である八尾祐美子さんにもお話をうかがいました。

東京ガスが目指す
東京2020大会後の未来

 2015年より東京2020大会のオフィシャルパートナー(ガス・ガス公共サービス)である東京ガスでは、東京2020大会を迎えるにあたり、「大会運営への支援・貢献」と「共生社会実現に向けた機運醸成」という2つの柱を掲げ、さまざまな活動を行っています。「大会運営の支援・貢献」では、安全安心な大会の成功を目指したエネルギー面での先進的な取り組みとして、大会会場のひとつである武蔵野の森総合スポーツプラザへ導入している、空調システムにガスを供給しております。「共生社会実現に向けた機運醸成」では、パラリンピックスポーツの観戦応援(2018年度のべ約1600人の社員が参加)や、東京ガスや関係会社に勤めるアスリートによるパラリンピックスポーツの体験会実施といったパラリンピックスポーツの支援に加え、片手でも楽しく簡単にできる料理方法の提案(「片手でクッキング」)、車いす利用社員のガス工事現場同行による作業員への啓発機会提供など、多岐に渡る取組みを行っています。

パラリンピックスポーツの支援を通して得られること

 八尾さんは、パラリンピックスポーツの支援を通して得られることは大きいとも話してくださいました。
「パラリンピックスポーツ大会の会場では、その種目に応じさまざまな障がいを持つ方を目にすることができます。パラリンピックスポーツを体験、観戦することで、障がいが身近な存在になります。そしてごく自然に認識し、配慮できるようになるのです」
 現在、日本は超高齢化社会、外国人増加によるグローバル化、加齢とともに身体が不自由になる加齢障がい者の増加などの課題に直面しつつあります。

多様な人々への自然な配慮ができるようになれば、それぞれの立場に立って本当に必要とされるサービスを考えることができます。この多様化した現代社会において、社会課題の解決は私たち企業人にとっての共通の課題であり、またビジネスチャンスでもあるはずです。

木村選手と水泳の出会い、
パラリンピック体験談
~“自分がどうしたいか”が大切~

 続いて、いよいよ木村敬一選手の登場です。
「こんにちは!」とさわやかなあいさつから始まり、まず聞かせてくださったのは、水泳との出会いとパラリンピックの体験談です。木村選手が水泳を始めたのは10歳の時です。滋賀県で生まれた木村選手は、生まれつき全盲でありながら体を動かすことが好きで、安全に思いきり体を動かせるようにとスイミングスクールに通い始めました。中学校は、「大勢の中でさまざまなことを学んでほしい」とのご両親の考えに背中を押され、東京都内の視覚特別支援学校に入学。寮生活をしながら水泳部で練習に励み、中学3年生の時、19歳以下の視覚障がい者による世界大会で日本代表に選ばれるほどの実力に。それが、パラリンピックという舞台を意識するきっかけになりました。高校時代は水泳部で一人黙々と練習に打ち込む日々を過ごし、2008年、高校3年生で初めてのパラリンピック出場を手にしました。

 大学入学後は水泳普及研究会に所属し、健常者の仲間と練習に励みました。そこで知ったのは、「集団で練習するすばらしさ」。隣で頑張る仲間の存在がいかに人を動かすか、を思い知らされたそうです。2012年、大学4年生の時にロンドン2012パラリンピックに出場し、念願のメダルを獲得することができました。
「ここまでが多分、自分のアスリートとしての折り返し地点かなと思います」と木村選手。
東京ガスに入社し、次なる目標は金メダル。リオデジャネイロ2016パラリンピックに向けて走り出した木村選手は、大学時代の水泳の恩師(野口智博先生)にコーチング指導を受けるとともに、外国人選手に負けない肉体づくりを目指して食生活も改善。朝練習後からエネルギーをしっかり確保できる食事を1日5食食べ続けたそうです。
 そうして臨んだリオデジャネイロ2016パラリンピック。三種目が終了し、銀・銅メダルは獲得できましたが、目標としていた金メダルには届きません。そのうえ、ハードなスケジュールがたたり疲労はピークに。見かねたコーチから、四種目の決勝は欠場も提案されたそうです。しかし木村選手は悩みに悩んだ末、「泳ごう」と決断。そのとき自身ができる限りの準備を行い予選7位から順位を上げ3位に。4枚目のメダルを獲得できました。
「この5日間は人生で最も苦しい時間でしたが、泳ぎきった自分に誇りを持ってもいいかなと今は思えます。それに最終的に人間って、“自分がどうしたいか”だけで動けるんだと知ることができたのは、リオでの収穫でした」
 私たちの知らない厳しい舞台の裏側まで教えていただくことができました。

パラ水泳の特徴と楽しみ方

 次に聞かせてくださったのは、パラ水泳の特徴についてです。ルールは基本的に水泳競技と同じですが、パラ水泳は障がいの程度に応じてクラスが分かれ、同レベルの障がいの選手同士が競い合うのが原則です。視覚障がいでは、全盲の木村選手がいる最重度のクラスをはじめ、3段階に分かれます。また、一般の水泳と比べて泳法に違いはありませんが、大きく2点の違いがあるそうです。1点は、壁の接近を知らせる「タッピング」。特製の棒を使いプールサイドから選手の体を軽く叩くのだそうで、会場では実際に使用しているタッピングバーが回されました。

肩幅より長いサイズで、棒先の丸くて大きなスポンジのような素材はビート板を切り抜いたもの、柄は釣り竿を利用しています。
 「水泳においてターンとタッチはタイムや順位を左右する重要な局面になります。パラリンピック水泳をご覧になる時は、タッピングのスキルや選手とタッパーとの呼吸にも注目すると面白いと思います」
 もう1点はゴーグルです。不正防止のため、レンズを黒く塗りつぶし光が入らないよう加工し、目隠しをして泳ぐことが義務付けられています。

 「日本の選手はメーカーに特注したゴーグルを使っていますが、海外ではレンズをただペンキで塗り潰すだけ、という国もあります。タッピングの棒も、モップの柄とテニスボールの組み合わせだったりするので、日本の細やかなこだわりはすばらしいと感じます」
 パラ水泳、特に視覚障がい者のレースでは、一部のルールや用具など一般の水泳と多少の違いはありますが、基本的なルールは同じで誰が一番速いかを決めるだけなので、レース自体楽しく見ていただけるのではと木村選手はお話しくださいました。

ボルチモアを拠点として学んだ「やるべきことをすべてやる大切さ」

 木村選手は、2018年春からアメリカのボルチモアに練習拠点を移しています。目標としていた金メダルに届かなかったリオのパラリンピックを終え、次の4年間を同じ熱量を持って過ごすため、大きな刺激を取り入れて自分を磨こうと考えての決断でした。新たな地では語学学校に通い苦手な英語の習得にも力を入れているそうです。現地の大会にも出場し、アメリカ人のタフさも目の当たりにしました。
「試合中の食事は、日本人選手ならレースによる内臓疲労を考慮して、消化のいいうどんかそばを選ぶことが多いですが、彼らは『敬一、今日はファストフードのハンバーガーでいいか?』『今日は気分を変えてピザを食べに行こう』って言うんです」
 木村選手はユーモラスな表現で会場を盛り上げます。また、日本人が練習や試合の前後に当然のようにじっくりと行うウォーミングアップやクールダウンも、彼らはほとんどしないといいます。
「それは瞬時に力が発揮できる体だから。私が真似をしてもケガをするので、今は日本にいた時よりも体のケアを行うようになりました。ケアやテクニックなど、日本人は勤勉だからやるのではなく、勤勉になってできることを全てこなさなければ世界で戦うことができないのだとアメリカで学ぶことができました」

東京2020大会への想い

 東京2020パラリンピックについて思うことも聞かせてくださいました。東京2020大会の開催決定を機に、試合では多くの歓声に包まれるようになり、選手として幸せを感じるといいます。
「本番ではこれ以上の大歓声の中で泳げると思うと、今から楽しみでしょうがないです」
しかし、オリンピック、パラリンピックの合同イベントが増え、肩を並べて表現される機会が増えても、木村選手はオリンピック選手への尊敬の念を持ち続けています。
「小さい頃から激しい戦いを勝ち抜いた天才たちが出場できる場がオリンピックだと思っています。一方、パラリンピックの選手層はまだまだ決して厚くありません。僕たちパラリンピック選手は、オリンピック選手に対するリスペクトを忘れてはいけないと思っています」
東京2020大会への盛り上がりが加速する波の中で、最高の競技パフォーマンスが求められていると日に日に実感しているという木村選手。その期待に応えてくれる瞬間を、ぜひとも会場に足を運び、大歓声の応援とともにしっかりと目に焼きつけたいものです。

視覚障がい者の一人として、鉄道へのご意見

 視覚障がい者の一人として鉄道へのご意見も聞かせてくださいました。
1つめは、視覚障がい者の転落事故のこと。誰が悪いということよりも、事故をどのように防ぐかを考えることが大事だとしたうえで、昨今はホームドアの増加はもちろん、声をかけられる機会も増えて、ホームの安全性の高まりを実感しているそうです。
 2つめは、視覚障がい者が駅で一番困ることについて。それはトイレなのだそうです。
トイレは駅構内で見つけにくく、探している時は切羽詰まった状況。ようやくトイレを見つけ向かおうとした瞬間、警備の方が声をかけてくださり、エレベーターを案内してくれた、こう聞くと特に疑問は感じませんが、問題はその状況だと木村選手は続けます。
「エレベーターを待つよりも歩くほうが、気が紛れてマシな場合もありますよね。何が言いたいかというと、人はそれぞれ希望が違いますし、こういうやり方をすれば万事解決という方法はないと思うのです。視覚障がい者にとって何にも言わずに引っ張っていかれるのは一番怖いことなので、まずは希望することに耳を傾けてもらえたらうれしいです」
ホーム上よりもコンコース、それもターミナル駅などの大きくて複雑な駅ほど困ることが多いことも教えてくださいました。また、車内で優先席を譲られることも多いという木村選手は、「正直、優先席を譲っていただいても自分が座るべきか考えてしまいます。優先席は本来どのような人が座るべきなのか、ということを改めて考えて、障がい者だからと一括りにしないほうがいいのかもしれません」
 一人ひとり、求めることは異なります。それは障がいがある・なしにかかわらず、あらゆる人に共通すること。前出の八尾さんからの「さまざまなお客さまの立場に立って、それぞれのニーズに応える」というお話にも通じるのではないでしょうか。

盛り上がった、木村選手への質問タイム

 最後は、木村選手への質問タイムが設けられ、さまざまな質問が飛び出しました。「アスリートにとって企業スポーツとはどうあるべきか?」との問いには、「どんなスポーツでも、人気があってファンも多ければ自然と応援してくれるようになり、企業もそれについてきてくれると思う。だから、まずは僕ら選手が強くなり、社会や企業に応援してもらえるようなパフォーマンスを見せることが大事なのでは」と企業、そして日本を代表する選手として回答をいただきました。

また、「海外のバリアフリーで印象的だったことは?」との問いには、アメリカのバスにはリフトが常設され、車いす利用者が常に何人も乗車していることを挙げ、「その乗降に時間はかかるけれど日本のように時間厳守ではないから成立する。でも公共交通機関としてはどうなのかを考えさせられた」と教えてくださいました。

 木村選手が投げかける具体的な例とユニークなお話の数々は、さまざまな気づきを与えてくださり、共生社会の実現のために私たちが今すぐできることは何なのかを深く考えさせてくれる貴重な機会となりました。

JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。

 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会への運営支援を行っていきます。

木村敬一(きむらけいいち)
1990年9月11日生まれ。滋賀県出身。東京ガスに所属。2歳の時に病気で視力を失い、10歳から水泳を始める。高校3年生で北京2008パラリンピックに出場し、大学4年生ではロンドン2012パラリンピックにて銀メダル1つ、銅メダル1つを獲得。リオデジャネイロ2016パラリンピックでは銀メダル2つ、銅メダル2つを獲得。2019年、ロンドンでのパラ水泳世界選手権の100mバタフライで優勝し、東京2020パラリンピック日本代表に内定。2018年4月からアメリカに拠点を移し練習に励む。

特集

特集2020/03/06

車いすラグビー日本代表チームドクター 田中洋平先生の講演会を開催いたしました!

2020-03 06

車いすラグビー日本代表チームドクター 田中洋平先生の講演会を開催いたしました!

 今回は、車いすラグビー日本代表のチームドクターであり、JR東京総合病院リハビリテーション科の医師・田中洋平先生に、当社社員に向けて講演会を行っていただきました。また、田中先生にご協力いただき、車いすラグビー日本代表の羽賀理之選手、今井友明選手が講演会へお越しくださいました。
9月20日にラグビーの世界大会が開幕し、日本中でラグビー気運が高まる中でのご講演。会場は静かな熱気と好奇心に包まれていました。

障がい者スポーツのルーツ

 講演はまず、障がい者スポーツについてのお話から始まりました。

 障がい者スポーツは、1948年、ドイツ出身のユダヤ系神経外科医であるルートヴィヒ・グットマン医師が実施した車いす患者のためのアーチェリー大会が発祥だといわれています。これは第二次世界大戦で脊髄を損傷した兵士のリハビリテーションの一環でした。
「『失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ』という言葉をグットマン医師は残しています。障がいを負うと、足が動かない、足がない、などとマイナスのことばかりに関心が向きがちですが、そうではなく、残った機能を最大限に生かすように努力しなさい、というのが先生の教えです」。

 日本でも障がい者スポーツの発展に貢献した重要人物がいます。それは、東京1964パラリンピック日本代表選手団長を務めた中村裕医師。九州大学医学部卒業後イギリスに留学、前述のグットマン医師に教えを請いました。「保護より機会を」をモットーに、障がい者の職業的自立を目指す「太陽の家」を、自身の出身地である大分県別府市に設立したほか、いくつかの障がい者スポーツの大会も開きました。その後、1989年にIPC(国際パラリンピック委員会)が設立され、シドニー2000オリンピックでは、オリンピックと同じ年、同じ場所でパラリンピックを行うことが正式に決定されます。

 そして2011年、日本の障がい者スポーツ界に関わる大きな動きが起こります。『スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない』と明記されたスポーツ基本法が制定されたのです。翌年、この法律を基にスポーツ基本計画が策定され、障がい者スポーツが国策として推進されることになりました。「リハビリテーションの医療に従事し、障がい者スポーツについて学ぶうち、障がい者にこそスポーツが必要なのではないか、スポーツが障がい者の健康増進や社会参加のきっかけになるのではないか、という思いから、私は障がい者スポーツに携わるようになりました」。

車いすラグビーとの出合い

 今、パラリンピックにはさまざまな競技があり、その数は夏季競技だけでも22競技あります。オリンピック競技と同じルールという競技もありますが、ボッチャやゴールボールなどパラリンピックにしかない競技もあります。その中の一競技である車いすラグビーと田中先生との出合いは、5年ほど前のこと。「障がい者スポーツ医の資格を取得後、日本障がい者スポーツ協会から車いすラグビーの大会ドクターを依頼される機会がありました。お引き受けして競技を見たところ、競技の激しさや戦略性に魅了されるとともに、選手が楽しそうにプレーしている姿を目の当たりにし、この競技をサポートしたいと思うようになりました」。

チームドクターの役割と夢

 1977年にカナダで考案され、2000年のシドニー2000パラリンピックから公式競技に認められた車いすラグビー。四肢麻痺など手足に障がいのある選手が、4対4の男女混合で戦うチームスポーツです。競技用車いすには、車いす同士の衝突・タックルが認められ機敏に動き回れる攻撃型と、相手をブロックするバンパーのある守備型と2タイプがあります。轟音をたててぶつかりあう、その激しさから「マーダーボール」と呼ばれることも。
 そのような激しいスポーツに携わるチームドクターとは、一体、どんな仕事なのでしょうか。「表には出ない存在なのでわかりにくいかもしれませんが、簡単に言えば、選手の活躍をコートの内外でメディカルの立場から陰で支える仕事です」と田中先生はおっしゃいます。

 その具体的な仕事内容は主に4つ。
 1つ目は、メディカルチェックを通じた体調管理と助言です。メディカルチェックは、強化指定選手であれば毎年1回必ず受けなくてはいけません。これにより、チームドクターは選手の健康状態を把握し、安全に競技に参加できるかどうかを判断します。メディカルチェックの結果でしばしば見られるものに、脂質異常症(高脂血症)や鉄欠乏性貧血があります。これらは頸髄損傷者では比較的よく見られる異常でもあります。脂質異常症や貧血については、近年、栄養士と協力して食事管理に取り組んだところ、異常のある選手を減らすことができたといいます。

2つ目は、大会や遠征でのメディカルサポート。現場での応急処置や、病院搬送の必要性の判断、遠征時のICTを利用した遠隔サポートなどがあります。車いすラグビーは健常のラグビーと違って車いす同士のぶつかり合いなので、負う外傷も異なります。車いすラグビーの競技中に多いのは、手指の骨折、肩関節や肘関節周囲の損傷などです。

3つ目は、障がいに伴って起こるコート外での病気の相談。多いのは、蜂窩織炎(ほうかしきえん・毛穴や傷口から細菌が進入して、皮膚の深い部分の組織が炎症をおこす感染症)、滑液包炎(かつえきほうえん・皮膚と骨との間にある、摩擦を軽減するための滑液包という袋状の組織がおこす炎症)といった皮膚の炎症や、褥瘡(じょくそう・床ずれ)。また、頸髄損傷による感覚の鈍さから起きる熱傷(ねっしょう・やけど)などもあるそうです。

4つ目は、アンチ・ドーピングについての相談です。車いすラグビーの選手を含めた障がい者は、自分の障がいによっては薬を使わざるを得ない場合があり、その薬が禁止薬物に該当してしまうこともあるのだそうです。そこで、チームドクターとして選手による「治療使用特例」の申請手続きを手伝うことが重要になります。なぜなら、事前にこの手続きを行うことによって、禁止物質であっても例外的に使用することができるからです。「申請には主治医による書類の記載が必要なので、チームドクターは選手と主治医をつないで申請をサポートすることも、一つの大きな仕事です」。

 チームドクターは、選手一人ひとりの障がいをよく理解し、服薬状況を把握することが必要で、適切なアドバイスや知識の啓蒙まで行うことも重要なのだということが、田中先生のお話を通して、よく伝わってきます。

 そして田中先生は、チームドクターとしての夢を語ってくださいました。「障がい者スポーツは医学的な知見に十分な蓄積がなくて、まだ手探りのところも多いのですが、私はチームドクターとして、得られた知見を車いすラグビーに還元しつつ、幅広く障がい者のために役立てたいと願っています。車いすラグビーがメダルを獲得できることはもちろんうれしいですが、それだけでなく、さまざまな障がい者がスポーツを行うにあたり、どんなケガが起こりやすいのか、どんなことに気をつければ安全にスポーツができるのか、といった正しい知識を広めるのも目標にしています」。

スポーツを通じた共生社会の実現

 田中先生が考える、パラリンピックのレガシー。それは、障がい者の健康増進、障がい者の社会参加、そして何より健常者の心のバリアフリーです。「どうしても障がい者というと、よくわからない、あまり関わりたくない、そのように思う方もいるのではないかと思います。障がい者スポーツの盛り上がりをきっかけに、健常者の方にはできるだけ障がい者を身近に感じてもらい、困っている時には気軽に手を差し伸べられるような社会になってほしいと思います。それが理想的な共生社会なのではないでしょうか」。
 日本の車いすラグビーは、2018年の世界大会で強敵オーストラリアを決勝で破り優勝しました。世界ランキングは現在(2019年9月時点)2位です。日本チームの強さを知ると、ますますこの目で試合を観戦したくなります。
 「来年の東京2020パラリンピックでは、車いすラグビーは8月26日から8月30日に国立代々木競技場で行われます。選手はきっと活躍してくれますので、ぜひ足を運んでいただいて応援してほしいです」。
 田中先生の思い描く共生社会を実現させるために、私たちにできることは何か。それはパラリンピックスポーツの試合を実際に観て応援し、生の迫力を知るということが、ひとつの大事な足がかりになるのではないでしょうか。

障がい者スポーツを垣根なしに楽しんでほしい

(写真左:羽賀理之選手 右:今井友明選手)

 講演に続いて、車いすラグビー日本代表の羽賀選手、今井選手によるトークタイムが行われました。車いすラグビーの楽しみ方について伺うと、「健常ラグビーとは異なり、障がいが重い=筋肉量が少ないプレーヤーが、同じチームの屈強なプレーヤーのために体を張って相手をブロックし、ゴールまで導くというのが見どころです。相手チームのプレーヤーの行くルートをいかに先読みしてブロックを行うのか、というところも見てもらえるとうれしいです」と羽賀選手。

 一方、今井選手は、初めは車いす同士をぶつけるなんて野蛮な競技だと思ったそうです。
「だからこそ細かくルールがあり、それをきちんと守れば安全な競技です。車いすもぶつかるための道具であると同時に体を守るための道具でもあり、車いすラグビーはみんなが楽しめるスポーツだと思います。ですから、観る方も、障がい者スポーツとか健常スポーツとかという垣根なしに楽しんでください。カジュアルにわいわい騒ぎながら観てもらうのがスポーツの醍醐味だと思いますから」というお話が印象的でした。

 また、JR東日本のサービスについて感じることもお伺いしました。普段の移動は自家用車が多いという羽賀選手。
「電車を使う時は楽しい気分になります。ただ、やはり車いすでは自分一人で改札を通れなかったり、好きな時に電車を乗り降りできなかったりと、ストレスに思う時もあります。海外では無人の改札でも不自由なく利用できた経験があるので、障がいのある人でも自由に乗り降りできる環境が少しずつでも整っていけばいいなと思います」。お父さまがかつて鉄道の乗務員で、ご自身もその仕事に憧れたという今井選手も頷きます。「ハード面を変えることはすぐには難しいと思うので、ソフト面、いろいろな人のサポートに期待したいです。心のバリアフリーという面でも、身近な乗り物であるJRを通して人と人をどんどんつないでいってもらえたらうれしいです」。

 そんなお話を伺うと、安全で安定した誰にでも使いやすい鉄道を、私たちひとりひとりの「心のバリアフリー」を通して実現することの大切さを思わずにはいられません。

大迫力のデモンストレーション

 続いて、羽賀選手、今井選手は車いすラグビーのタックルのデモンストレーションを披露してくださいました。機敏に動けるようタイヤがハの字に開いて付いた競技用の車いすに乗った両選手は、すばやく会場の左右に分かれて距離を取り向き合います。今井選手の「いきます!」の声に合わせて、両選手はハンドリム(車いすの左右についている大車輪の外側にある、大車輪より少し小さな輪のこと)をゆっくりと数回こぎ、すーっと接近すると、真正面で衝突。ガツンと、重い金属音が会場中にめいっぱい響き渡りました。同時に、車いすがふわっと後ろに浮き上がります。想像以上の迫力ある衝撃と音に誰もが圧倒され、一瞬、会場は静まり返りましたが、すぐに拍手が湧き起こりました。

 「基本的に、真正面でぶつかることはなかなかないのですが、相手が油断している時にこのようにタックルすることがあります。車いすラグビーは倒れるのが悪いプレーで、倒したほうがナイスプレーです。ここも盛り上がる場面のひとつですね」と今井選手。倒れたほうがいけないとは意外なことで驚きましたが、本当にタフさを要するスポーツなのだと痛感します。

 また、会場からも体験希望者を募り、多くの手が上がる中、代表して2人ずつ、2組の方が挑戦することに。そのうちの1人として、司会者からの指名により阪本常務執行役員が体験することになりました。参加者たちは選手に手助けをしてもらいながら競技用車いすに乗り込み、一通りの操作方法を教わったところで、スタンバイ。選手1人と参加者1人が先程と同じように離れた位置に立ち、向かい合います。

 会場中が固唾を飲んで見守る中、いざ、タックル! 1人、また1人と、目の前でぶつかるたびに衝撃音が響き、歓声と拍手が上がりました。「衝撃が体にボーンときました」、「選手が向かってくるときも勢いがあって怖かった。これが実際の試合だったら倒れるだろうし、迫力あるスポーツだと実感できました」など、体験者たちは興奮を隠しきれない様子です。

 最後に体験した阪本常務執行役員からは、「ものすごい衝撃です。びっくりしました。講演の中でも『共生社会の実現』のお話をいただきましたが、その実現のためには、まず相手のことをよく知ることが大切なのだと思います。お話を聞き、体験し、応援するなどのことを通じて、よく知り、知識をつけて、自ら考えてみること。この繰り返しが共生社会実現への一歩と感じました。」とのお話がありました。

 今回の講演会では、田中先生のチームドクターという仕事のお話を通して、障がい者や健常者の垣根のない共生社会を実現させたいという思いを知ることができ、それには「心のバリアフリー」が必要であると私たちに再認識させてくださいました。また、日本代表選手のデモンストレーションという貴重な体験により、車いすラグビーへの関心がさらに高まり、ぐっと身近なスポーツになったことは間違いありません。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。

 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

田中洋平(たなかようへい)
JR東京総合病院リハビリテーション科に医師として勤務。2011年に整形外科専門医、2013年にはリハビリテーション科専門医と日本障がい者スポーツ協会公認の障がい者スポーツ医の資格を取得。
2014年に車いすラグビーと出合い、車いすラグビー日本代表のチームドクターに。国際大会でのメダル獲得に向け、選手たちを医療面でサポートする。

特集

特集2020/03/06

パワーリフティング西崎哲男選手の講演会を開催しました!

2020-03 06

パワーリフティング西崎哲男選手の講演会を開催しました!

 今回は、商業施設や博物館などさまざまな賑わいのある集客空間のプロデュースを手掛ける株式会社乃村工藝社をお招きし、同社所属のアスリート社員でパワーリフティングの西崎哲男選手と、執行役員 東京2020オリンピック・パラリンピック推進室室長の原山麻子さんに当社社員に向けてご講演いただきました。原山さんからは西崎選手に対する社員の応援体制や、乃村工藝社の東京2020大会に向けた取組みについて、西崎選手からは「心のバリアフリー」をテーマにご自身の経験談を交え、お話いただきました。さらに、西崎選手と一緒にパワーリフティングを体験するイベントも行われました。

 2014年、乃村工藝社は西崎選手を初めてのアスリート雇用として採用しました。

入社当初は、多くの社員の方が西崎選手を知らず、翌年の国内大会でも、応援に駆け付けたのは5名。このような状況を踏まえ、社員一丸となった応援を実現するため、競技への理解を深めるための取組みに着手したそうです。

 どのような競技なのかを社員が体験するイベントをはじめ、リオデジャネイロ2016パラリンピック競技大会出場にはどのような条件をクリアしなければいけないかについての社内共有、東京本社・大阪事業所へのトレーニングルーム設置、パワーリフティング部を作るなどして関心を集めたところ、今では西崎選手の出場する大会に大勢の社員が応援に来るようになったそうです。また、応援を通じて社内に様々な「つながり」が生まれ、各部門間のコミュニケーションの活性化が図られたそうです。
 また、乃村工藝社では、東京2020オフィシャルサポーター契約を締結したことをきっかけに、「ツナガリングプロジェクト」を立ち上げ、オリンピックとパラリンピックをスポーツ・文化・教育など多面的に捉え社員全員それぞれが自分との接点を見出すことで東京2020大会を自分事化してもらうためのイベントの実施など、社員、サポーター企業、そして全国のあらゆる人たちとつながって、東京2020大会を盛り上げていこうとされています。

 そんな、乃村工藝社の心強いバックアップと仲間たちの応援を受けて、西崎選手は東京2020大会への出場を目指して日々練習に励んでいます。
 西崎選手は小学校・中学校では野球部に入っていましたが、団体競技は向いていないと感じ、高校ではレスリングに競技変更をしました。2001年、23歳のとき交通事故で脊椎を損傷し、車いす生活を余儀なくされました。当時のショックは大きかったものの、家族や同僚、友だちが、西崎選手を特別扱いするのではなく、事故前と同じように自然に接し、支えてくれたおかげで早く立ち直れたといいます。
 当初、西崎選手は陸上競技でパラリンピック出場を目指していましたが、北京、ロンドンと出場はかなわず、娘さんが生まれたこともあって、陸上競技を引退しました。しかし、2013年に東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決定すると、「ぜひ出たい!」という思いが湧いたそうです。リハビリや陸上競技のトレーニングでも馴染みがあり、やっていて楽しかった“ベンチプレス”を使った「パワーリフティング」に競技を転向し、東京2020パラリンピックの出場を目指すことにされました。

社会に対して感じる違和感

日本ではダイバーシティ、インクルージョンなどという言葉が多用されていますが、西崎選手は車いすで生活をする中で、人のふるまいに“違和感”を覚えることがあるそうです。
 スロープやエレベーターなどが整備され、ハード面でバリアフリーが進んでいたとしても、こうした“心のバリアフリー”(様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支えあうこと)が進んでいないと感じることがあるそうです。

 また、障がい者に対しての親切を、西崎選手にとっては過剰に感じることも。
 「ある駅で新幹線下車後に駅員さんに案内をお願いしたとき、朝の混雑時に『車いすの方が通ります』と大声で叫んでくれたのですが、お気持ちはうれしいものの、ちょっと恥ずかしい思いもありました。また他の駅では、エスカレーターの切り替えを駅員さんにお願いしたところ、逆方向の方たちを一斉に止めることになり、申し訳なさを感じました。」と、障がい者の方でも対応方法にはそれぞれのニーズがあり、必要以上に特別に扱われることに違和感を感じる方がいらっしゃることもご自身の経験として話してくださいました。

“バリアフリー” “ダイバーシティ”という言葉がなくなる日

 続けて、西崎選手はご自身が考えるよりよい社会の在り方について語ってくださいました。
 「人と付き合う時に、違いというのは本質的な問題ではなく、その人とどう関係性を築きたいか?友だちになりたいか?自分にとって気が合うかどうか?ということが先に来るのではないでしょうか。」と西崎選手は言います。「しかし、現実には違いにとらわれすぎている。障がい者には無条件に優しくしないといけないと思っている方や、障がい者だから一方的に様々な主張をして良い、と思っている方もいて、とてもいびつな関係になっているように感じます。物理的にも心理的にも、障がい者と健常者が区別されない、心のバリアフリーどころか、バリアが強化されているように思います。」と話を続けます。

 心のバリアフリーを実現するためには、“環境づくり”、“コミュニケーション”、“自分を知り、理解を求める”という3つの行動が必要だと西崎選手は考えています。
 1つめの“環境づくり”とは、小さな頃から障がい者など多様な人と当たり前に接する機会や、教育を受ける機会をつくること。それにより、相手がなにを困っているんだろう?と、自分のことのように考えて行動できるようになるのではないかということです。

 たとえば、競技を始めてから海外へ行く機会が増えた西崎選手は、環境において、日本と海外との違いを実感することがあるそうです。
 「試合でドバイに行ったときのことです。車道から段差のある歩道にあがろうと困っていたら、タクシーの運転手が降りて周りの人と手伝ってくれたり、カザフスタンでは上り坂で苦労していたら、気づいたら小学生が車いすを押してくれていたり。困っている表情を見て、何に困っているのだろうと考えて、自然に手を出してくれている。自然な対応なので、こちらも自然に受け入れることができます。」と、海外で体験した“自然”な対応の数々について語ってくれました。

 「東京2020大会が決まってから、小学校で体験会やお話をすることが増えました。そのため、全国的にみても子供たちが自分で車いすを操作して行動できる人と接する機会は増えたと思いますが、それでも自分ではなかなか動けない障がい者の人に会うなど接する機会はまだ少ないと思います。小さい頃からそういった人たちと当たり前のように触れ合える環境づくりをすることが、大切なのではないでしょうか。」と西崎選手は続けます。

2つめの“コミュニケーション”とは、自分がその人とどのような関係性を築きたいか。「障がい者を理解しようとすることは特別なことではありません。障がいがあるからこれは聞いてはいけないのでは?と小さい壁をつくると、なかなかすべての壁はなくならない。」と西崎選手は言います。

 「障がいがあろうがなかろうが、自分にとって、この人はどんな人だろう?と興味をもてるのかどうか。その判断が必要なのではないかと思います。」そして、例として原山さんとのエピソードを話してくださいました。「僕は、乃村工藝社に入社してしばらくは自分がお客さんのように感じていました。原山が試合を見に来たとき、僕は数カ月前にケガをして、復帰直後で記録が伸びていなかったのですが、『なぜ記録が伸びてないの?』と聞かれ、初めてケガの話や練習環境について話しました。それからご飯に行くようになったのですが、僕の自宅がある大阪では、原山に僕の車いすを貸して、一緒に車いすでご飯を食べに行きました。周りから見れば、原山の行動は不思議な感じに受け取られるかもしれません。しかし原山は『上司であり、友達だと思っているから、興味も持つし知りたいと思う。』といいます。原山が僕のことを知ろうとして、同じ立場になろうと思ってくれたことがとても驚きでした。」と話してくださいました。

 3つめの“自分を知り、理解を求める”とは、日頃から自分の弱さや他の人とのちがいを認識したうえで、自分の考えを理解してもらうよう努力すること。相手を知ろうという姿勢で接すれば、率直に質問を投げかけてくれるようになると西崎選手は話します。
 「多目的トイレや車いす用駐車スペースが何でこんなに広いの?と質問をしてくれれば、その理由を説明することができます。それを聞いた人が、今度その友だちに説明してくれれば、理解してくれる人の輪をもっと広げることができるようになります。この、3つの行動で心のバリアフリーが実現したとき、“バリアフリー”や“ダイバーシティ”という言葉自体がなくなり、自然とお互いが支え合える社会になる。そんな社会になってほしいし、自分自身も努力していきたい。」と西崎選手は語ってくださいました。

パワーリフティング競技とその魅力

 パワーリフティングとは、いわゆるベンチプレスのこと。ベンチ台に仰向けに寝た状態で、バーベルを頭上のラックからはずし、胸の上に下ろして一旦静止した後、バーベルをまっすぐ水平に押し上げます。胸で跳ねたり、腕の左右のバランスが崩れて傾いたりすると記録は残りません。審判3人で判定し、2人以上が成功と認めたら、記録として認められます。パワーリフティングは脊椎損傷、下肢切断、脳性麻痺などで足に障がいがある下肢障がい者の選手が対象ですが、他の種目と大きく違うのは、障がいの程度によるクラス分けがないこと。10階級の体重の区分に分かれて重さを競います。

西崎選手は、3つの観点からパワーリフティングの魅力も語ってくださいました。

 1つ目の魅力は、シンプルなスポーツだということ。西崎選手は体重の2倍を上げますが、世界では3~4倍近くを上げる人もいるそうです。
 2つ目の魅力は、観客と選手の一体感。「パワーリフティングは、『3秒のドラマ』とよく言いますが、ベンチ台に横たわると一気に緊張が高まり、自然に会場は静まる。成功すれば、会場から感動の拍手が送られる。その一体感が魅力です。」

 3つ目の魅力は、バリアフリーな競技だということ。単純に重いものを押し上げるという競技のため、健常者も障がい者も関係なく一体になって楽しめるという魅力を語ってくださいました。障害の有無によって分け隔てることなく同じゴールへ向かえるパワーリフティングは、まさに“共生”のスポーツといえます。
 さらに驚いたのは、「障がい者が健常者の記録を上回ることが珍しくない」ということ。同じ59キロ級で健常者と比較すると、健常者の世界記録は171キロに対して、障がい者は211キロ。なんと、障がい者のほうが20~30キロ上まわっているのだそうです。私たちは、少なからず持っていた「健常者のほうが重いものを持ち上げられるだろう」という先入観を変えさせられる結果となりました。

会場の一体感を味わう

 今回、講演会のプログラムの一つとして、講演会参加者によるパワーリフティングの体験会と、西崎選手による試技を行っていただきました。
 まず体験会では、東京支社財務部に所属し、パワーリフティングの選手でもある、金谷晃央さんに試技をしていただきました。
 バーの重さは110キロ。金谷さんが集中力を高めると、会場全体がシーンと静まり返ります。金谷さんの呼吸が整ったら、西崎選手による「スタート」の掛け声が。金谷さんがバーを胸の上に一旦下ろして静止し、きれいなポーズで押し上げました。「ラック」という声で下ろすと、周りから拍手が沸き起こりました。

 続いて、会場から希望者を募り、代表して3名の方が体験をしました。
 体験者が、各々の限界に挑戦する中で、その集中力が会場全体に伝わると会場が静まり返ったり、限界に挑戦する姿を見て「がんばれ!」「ファイト」などと自然に声援があがったりと、「会場全体が自然と一体になる」という状況を体験することができました。体験者も「観衆の前で初めて上げたのが貴重な体験だった」「皆さんの声援のおかげで上げることができました」などと、体験会を通じてパワーリフティングの魅力を実感する機会となりました。
 そして最後に、西崎選手にもパワーリフティングの試技を行っていただきました。今回は重量を求めるのではなく、目標回数にチャレンジすることになりました。会場のリクエストに応えて、60キロのバー×50回に目標を設定。いよいよ準備開始です。西崎選手が息を吐くと、会場全体が静まり、固唾を飲みながら見守ります。集中力が高まったところでバーを持ち上げると、西崎選手は「1、2、3・・・」のカウントに合わせて、美しいフォームでリズムよくバーを押し上げはじめました。 30回を過ぎたあたりから、ところどころで持ち上げるリズムが途切れはじめると、会場のあちこちから「がんばれ!」という声援があがります。西崎選手は最後の力を振り絞り、「48・・・49・・・50」と目標回数まで上げ切りました。会場には大きな拍手が湧きおこり、しばらくの間、鳴りやまないほどの盛り上がりとなりました。
 「30回の手前でまずいな・・・と思って止まってしまいましたが、皆さんの声援のおかげで、がんばれました。ありがとうございました。」と、まだ息があがったままの西崎選手が答えると、再び、会場は大きな拍手の渦で包まれました。

 最後に東京大会への抱負を語ってくださいました。
 「乃村工藝社の提供価値に『歓びと感動を』というのがあるのですが、僕はリオで結果を残せず、応援してくれる人と共有できませんでした。だから、東京2020パラリンピックへの出場を確実に決めて、会社の人はもちろん、皆さんにも『歓びと感動を』をお届けできるようがんばりますので、応援よろしくお願いします。」

 今回の講演会では、西崎選手の“心のバリアフリー化”に対する想いをお聞きすることができたほか、体験会を通じて障がいの有無を意識することなく、自然にコミュニケーションが生まれる状況を体験することが出来ました。これは、バリアフリーやダイバーシティという言葉を頭で理解するだけでなく、時間と体験を共有し、会場全体が一体感を共有することで、社員ひとりひとりが自分ごととして理解する貴重な機会となりました。

 参加者からは、「障がいのある方だから、と決めつけてかかることが心のバリアにつながる場合もあるのだと気付かされた。本当のバリアフリーとは何か考えることができた非常に良い機会でした」「健常者も障がい者もない世の中、仕組み、交通機関を目指して何ができるか考えたいと思いました。自分の子供たちにもぜひ今日の話をしたいと思います。気を遣わせない設備、仕組み、対応を心がけていきたいです」など、意識が変わったという前向きな声が多く寄せられました。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020大会の運営支援を行なっていきます。

西崎哲男(にしざきてつお)
1977年4月26日生まれ。奈良県吉野郡天川村出身。乃村工藝社所属。アスリート社員として競技活動や空間づくりへのアドバイス、全国で体験会・講演活動などを行い共生社会の普及を行っている。
パワーリフティングの2階級における日本記録保持者、全日本選手権6連覇中。2017年の第18回全日本パラ・パワーリフティング選手権大会男子59キロ級(138キロ)優勝・日本記録達成。2019年の第2回パラ・パワーリフティングチャレンジカップ京都男子54キロ級(142キロ)優勝・日本記録更新。2019年7月18日の国際大会で8位入賞。2019年10月9日に行われた東京2020テストイベント「READY STEADY TOKYOーパワーリフティング」では男子49kg級に出場し、3位銅メダルを獲得。
https://www.nomurakougei.co.jp/tokyo2020/athlete/

特集

特集2019/10/31

日本パラリンピック委員会副委員長 髙橋秀文さんの講演会を開催しました!

2019-10 31

日本パラリンピック委員会副委員長 髙橋秀文さんの講演会を開催しました!

 今回は、日本障がい者スポーツ協会常務理事、日本パラリンピック委員会副委員長を務める髙橋秀文さんに、当社社員に向けて講演を行っていただきました。

 髙橋さんが東京ガス株式会社から日本障がい者スポーツ協会に出向したのは2015年4月のこと。それまで障がい者の方と関わった経験もなく、知識や関心も全くなかったと言います。障がい者スポーツのことも、当時は “かわいそうな人がする特別なスポーツ”だとネガティブに考えていたそうです。「しかし、その認識はたった3~4年で大きく変わりました。」と髙橋さんは語りはじめます。

“障がい者スポーツ”へのイメージ

 髙橋さんの認識が変わったきっかけは、障がい者スポーツに取り組む人々の表情を見たこと。できないことを嘆くのではなく、自分にできることを活かして、スポーツを楽しんでおり、“障がい者スポーツ”という言葉が持つイメージよりもはるかにポジティブな光景だったそうです。実際に、髙橋さんが関わってきたパラスポーツの選手の方々も、明るく前向きな方々ばかり。障がいを乗り越えてきた経験や、さまざまな人に助けられている自覚があるので、精神的にタフで明るく、周囲に対しても常に思いやりを持っているそうです。

 パラスポーツの理念は”失われたものを数えるのではなく、残された機能を最大限に活かす”こと。「これは、日頃の私たちの生活にもいえることで、「これからの未来の時間で何ができるかを考える」と捉えることもできます。皆さんの人生にとっては、今日という日が一番若い。“人間の可能性は常に無限大”です」と、髙橋さん。

パラリンピックの意義

 痩せている人、背の低い人、声の大きい人・・・健常者にもさまざまな人がいるように、障がい者にも全盲の人、腕がない人、耳が聞こえない人など、さまざまな人がいます。髙橋さんが考える「共生社会」とは、「みんなちがって、みんないい社会」。そして、「パラリンピックの意義は、人間の無限の可能性が広がっていることを気づかせてくれる、そしてその先の共生社会について考えさせてくれるというところにある」と続けます。
例えば、両腕のないパラ卓球の選手はどうやって競技を行うかというと、口でラケットをくわえてラリーをします。これだけでもすごいですが、では、サーブはどうするかというと、足の親指と人差し指でボールをあげて、口でくわえたラケットで打つそうです。「これを見て、『あれができない、これができない』とは言えません。改めて人間の可能性に驚かされます。」と髙橋さんは言います。
「パラリンピックは、オリンピックと同じようにメダルの数を競うだけのものではない。社会変革の祭典であるというところに大きな意義があるのです。」と髙橋さんは語ってくださいました。

 そして「エレベーターの設置が進む等、東京2020パラリンピックの開催をきっかけに、バリアフリー化が進むという側面もありますが…」
物理的なバリアが減少しても、日本には依然として心のバリアが残っている、と髙橋さんのお話は続きます。

日本人の“無関心”を
変えていかなければいけない

 「私を含め、数人で移動していたときのことです。中には全盲の方と、車椅子の方がいました。」
髙橋さんたちが電車に乗ろうとすると、車両は少し混雑していたそうです。障がい者優先のスペースにも4人の男性が立っており、詰めてくれる様子がないため、髙橋さんは「障がいのある方が乗るので、少し空けていただけませんか。」と声をかけました。しかし、4人ともただ小さく頷いただけで、動いてくれなかったそうです。
「彼らにも何らかの事情があったかもしれませんが、結局私たちはその車両に乗れませんでした。」
外国人旅行者が、髙橋さんの娘さんを手助けしたエピソードも話してくれました。娘さんは、ベビーカーを使う際には、エレベーターのある駅を乗り継ぐため、髙橋さんの家へ遊びにくるには片道2時間かかるそうです。
「その日は到着が早かった。理由をたずねると、外国人旅行者の男性がベビーカーを階段の上まで運んでくれたそうです。自分のスーツケースを放っておいて。日本人も周りにいたそうですが…」
物理的なバリアフリーも大切ですが、本当に大切なのは、“心のバリアフリー”であり、日本にはその意識が足りていないと高橋さんは訴えます。

 「こういった日常の事例は、障がいのある方や困っている方への“無関心”が原因です。」
これは日本人全体の意識の問題であるとして、さらにロンドン2012大会のときに行なわれた“凱旋パレード”を例に説明してくださいました。ロンドン2012オリンピックで過去最高の38個のメダルを獲得した日本は、その輝かしい成果を祝うため、8月20日にロンドン2012オリンピック日本代表選手団の凱旋パレードを行いました。メディアでも宣伝され、当日は50万人もの観衆が大声援をおくっています。
ところが「これがまずかった。」と髙橋さんは肩を落としました。
「ロンドン2012パラリンピックの開幕は8月29日。ロンドン2012パラリンピックが始まる前に、ロンドン2012オリンピックの選手だけでパレードをしてしまったことになります。」
一方、ロンドン2012オリンピックで史上最高のメダル数を獲得したイギリスは、ロンドン2012パラリンピックの閉幕を待って、合同のパレードを行なったそうです。
「ロンドン2012パラリンピック日本代表選手団も金メダルを獲得したにも関わらず、帰国後のパレードもなかった。」
 この一件は国内のメディアであまり報道されなかったため、日本人の多くが知らないままになっています。しかし、「日本は障がい者に対する関心の薄い国」と世界に対して思われかねない事例になってしまったと髙橋さんは言います。

「見ればわかる」「見れば変わる」
全競技会場を満員に!

 そのような状況の中「世界初の夏のパラリンピック開催2回目の国」として、世界中の注目が集まる今、東京2020パラリンピックを成功させるために、ぜひ実践してほしいことがあると髙橋さんは言います。
「この講演の後、誰でもいいので2人に『パラリンピック、面白そうだよ』と声をかけてください。」

 1人が2人に声をかけ、その2人がさらに2人ずつに声をかけ・・・これを22回繰り返すと、420万人が東京2020パラリンピックを観戦することになると髙橋さんは言います。これは、東京2020パラリンピックの全試合、全会場が満員になる人数だそうです。
「各国で東京2020パラリンピックの試合が放送されたときに、すべての国へ“満員の会場”を届けることが『日本は障がい者に関心の薄い国だ』というイメージをくつがえす最高のアピールになるはずです。」
笑顔でVサインをつくり、“2の22乗”を強調する髙橋さん。引き締まっていた会場の空気がぱっと明るくなり、笑い声もこぼれました。

 障がい者スポーツの普及活動や、これまでのさまざまな事例を髙橋さんからお聞きして、パラスポーツ、そして、共生社会の実現に向けて、多くの気づきをいただく大変貴重な機会となりました。 心のバリアをなくし、物理的なバリアをなくし、みんなが個性を尊重し、可能性を感じられる。そんな共生社会の実現に向けて、私たちは本業である旅客鉄道輸送サービスの更なるレベルアップを図るとともに、皆で、東京2020大会の全会場を満員にしましょう!

  JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会に参加する全ての皆さまを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

特集

特集2019/1/16

パラ陸上競技の大西瞳選手とフェンシングの江村美咲選手の講演会を開催しました!

2019-1 16

パラ陸上競技の大西瞳選手とフェンシングの江村美咲選手の講演会を開催しました!

 今回は、平昌2018オリンピック・パラリンピック冬季競技大会のタイミングで放映した、当社のテレビCM「『たくさんのRESPECT』篇」に出演してくださったパラ陸上競技の大西瞳選手とフェンシングの江村美咲選手に、当社グループ社員に向けて対談講演会を行なっていただきました。

写真左:大西選手、右:江村選手

 大西瞳選手は、区役所に勤務しながらパラリンピックの陸上競技の練習に打ち込んでおり、リオデジャネイロ2018パラリンピックの女子走り幅跳びで6位に入賞、100mで8位に入賞しました。障害者のための情報バラエティー番組の司会者でもあります。
 江村美咲選手は、中央大学のフェンシング部に所属しており、2018年フェンシング全日本選手権の個人戦で優勝するなど、さまざまな大会で優秀な成績をおさめています。
 東京2020オリンピック・パラリンピックの出場を目指すアスリートのお二人に、司会者を交え、質問形式で対談講演会を行ないました。

競技を始めたきっかけ・楽しさ

――まずはじめに、競技を始めたきっかけと、その楽しさについて教えてください。

大西選手:23歳の頃、病気をきっかけに義足の生活が始まりました。はじめは劣等感を持っていましたが、「義足できれいに歩けるようになりたい」と思っていたところ、義肢装具士の臼井二美男さんから「走れるようになったらきれいに歩けるよ」と言われ、パラ陸上競技を始めました。義足という「モノ」を使っているので、いかに使いこなすかが難しさでもあり、楽しさでもあります。

江村選手:私は父が経営しているフェンシングクラブで8歳から始めました。フェンシングは「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目にわかれていて、私ははじめ「フルーレ」でしたが、「サーブル」に転向しました。「フルーレ」と「エペ」が「突き」だけなのに対し、「サーブル」には「斬り」もあるため、動作が大きくダイナミックでスピード感があり、一瞬で勝負がつくのが魅力です。

壇上で競技用の義足に履き替え、実演する大西選手

当社社員を前に、「斬り」を実演する江村選手

※フルーレ・・・「優先権」があり、先に攻撃をした選手に「優先権」が与えられる。相手選手がその攻撃を防げれば、相手選手に「優先権」が渡る。攻撃は「突き」で、胴体が有効面となる。
エペ・・・「優先権」がないため、先に突いた選手にポイントが入る。攻撃は「突き」で、全身が有効面となる。双方が同時に突いた場合は、双方にポイントが入る。
サーブル・・・フルーレと同様に「優先権」がある。攻撃は「突き」と「斬り」で、上半身が有効面となる。

競技を続けるための
「モチベーション」の保ち方

――JR東日本は2018年7月にグループ経営ビジョン「変革2027」を策定し、新たな成長戦略に挑戦しているのですが、アスリートのお二人にご自身の「変革」についてお伺いしたいと思います。
――競技生活の中で挫折したりプレッシャーを感じるなどつらい時期もたくさんあると思いますが、そのようなときはどのようにモチベーションを保って乗り越えましたか?

大西選手:ロンドン2012パラリンピックで補欠となり、とても悔しい思いをしました。でも、この挫折をしたからこそモチベーションを維持できたと思います。その後、リオデジャネイロ2016パラリンピックには出場できたのですが、思い通りの成績が出せなかったため、東京2020パラリンピックを目指す気持ちがよりいっそう強くなっています。
また、私は心臓にペースメーカーを入れているのですが、「ペースメーカーが外れたら危険だから、試合には出さない」とコーチに言われたことがあり、その時も心が折れそうになりました。でも所属するクラブで仲間たちが頑張って練習している姿を見て「自分がここで負けてはいけない」と思い、医師から診断書をとって、諦めずにコーチを説得しました。所属するクラブは私にとって、とても大切な場所でモチベーションにつながっています。

江村選手:私は父がオリンピックのフルーレ代表や監督、コーチの経験者で、母がフェンシング世界選手権のエペ代表の経験者ということもあって、試合で結果を出したときに「江村さん夫妻の娘だから」という声が聞こえてきたことがありました。もちろん両親にも支えられてきましたが、私は「自分が努力してきた結果だということを証明したい」と思うことがモチベーションになりました。苦しくてフェンシングをやめようと思ったこともありましたが、負けず嫌いなので「将来、ライバルがテレビで活躍している姿を見るのは嫌だ」と思うとやめられませんでした(笑)。

力になっている言葉

――周りの人から言われて嬉しかった言葉や、力になった言葉はありますか?

大西選手:数年前、膝から下を切断した高校生に「若いのに大変だったね」と話したら、「そんなに大変ではなかった。小学生のとき、学校にパラリンピックの選手が来てくれたことがあり、足を切断したくらいで何もできなくなるわけではないと聞いていたから」と言われました。その言葉を聞いて「自分にもできることがある」と思えたことを覚えています。それまでは講演会の依頼がきても断っていたのですが、私が明るく元気に話したり走ったりする姿を見せるだけでいいんだと思い、講演会の依頼を引き受けるようになりました。

江村選手:中学生の頃、いつも一緒に練習をする仲間が2人いたのですが、いつも自分が3番手でした。そんなとき母から「ウサギと亀なら亀がいいんじゃない?」と言われて、「今はだめでも、あとで勝てばいいや」と思えました。自分のことを一番わかっている母から言われた言葉だったからこそ、心に響きました。

大会に向けての「目標設定」

――大西選手は、今までの目標設定から東京2020パラリンピックに向けて、何か変わったことはありますか?

大西選手:私はこれまでに北京2008パラリンピックは観客、ロンドン2012パラリンピックは補欠選手、リオ2016パラリンピックは選手として、3つのパラリンピックを見てきて気づいたことがあります。それは自国開催の選手は強いインパクトがあり、その選手の皆が観客を沸かせるパフォーマンスをしていたということです。今まではメダルをとりたいとばかり考えていましたし、今もそれはありますが、東京2020パラリンピックを目指す自国開催の選手としては、高いパフォーマンスをして観客を盛り上げなければいけないとも思っています。

江村選手:今までは目の前のすべての試合に全力で向かっていましたが、昨年腰を疲労骨折してしまってことをきっかけに、とにかく一番の目標である東京2020オリンピックに出場することに集中するようにしました。今では自分の体とも相談し、大事な試合にピークを持っていくように自分をコントロールするようにしています。

「チームワーク」について

――競技ではチームワークも重要だと思いますが、江村選手はチームワークについてどのようにお考えですか?

江村選手:私は今までは個人で勝利したいという思いが強かったのですが、2017年に参加した大会の団体戦で金メダルを取ってから、チームで勝利する喜びを知り、みんなで勝ちたいと思う気持ちが強くなりました。個人で戦うけれど得点はチームでひとつなので、チームの雰囲気がとても重要です。誰かが崩れたときにどうカバーするかを考えたり、自分がうまくいかなくてもチームの雰囲気を崩さないようにしようと意識をするようになりました。また、今まではコーチがチームをまとめていましたが、自分は後輩だからと遠慮せず、選手同士で話し合いをしてチームをまとめていこうと自分から声をかけています。

大西選手:義足を使っての競技ということもあり、義肢装具士さんとのチームワークがとても大事だと思っています。いつもお世話になっているのは義肢装具サポートセンターの臼井さんという方で、著名なベテランの方ではあるのですが、大きな目標のために、遠慮せずに会話を交わすようにしています。また国内ライバルの選手についても、義足情報や海外選手の事情などについて、よく情報交換をしています。ライバルでありながら、チームJAPANとして情報を共有できる関係にあり、切磋琢磨しています。

おもてなしの際に心がけること

――東京2020オリンピック・パラリンピックで、おもてなしの際に心がけることはありますか?

大西選手:北京でもロンドンでもおもてなしという意味では、ボランティアの方々にお世話になりました。その中で、一番印象に残っているのは、フレンドリーに接してくれたこと。ボランティアに限らず、街で出会った人々からも声をかけてもらい、「この国に来てよかった」と思いました。JR東日本の方々も、大会期間中、大会を盛り上げるという気持ちを持って、フレンドリーにおもてなししてくださったら、選手としてとても嬉しく思います。

江村選手:私も同じ意見です。フレンドリーに、にこにこ話しかけてくれると嬉しいです。日本の選手だけでなく、世界中の選手や観客の方にも同じようにエールや声を送ってくださったらいいなと思います。

JR東日本へのご意見

――最後に、鉄道をご利用になる立場として、JR東日本に「こうなったらいいな」というようなご意見をお教えください。

大西選手:バリアフリーはとても進んでいるので感謝しています。ただ、駅で西口から入ったけれどエレベーターやエスカレーターがあるのは東口、というようなことがあります。今から設備を増設するのは難しいと思うのですが、東京2020オリンピック・パラリンピックのときには車椅子の方が利用することも多くなると思うので、分かりやすい案内をもう少し増やしていただければと思います。

江村選手:私は、大分出身なので、東京の電車は難しく感じます。東京2020オリンピック・パラリンピックでは東京以外の方々がたくさん来て、戸惑ってしまうと思うので、案内が増えてもっとわかりやすくなるといいなと思います。

 お二人の競技や大会に対する考えや想いをお聞きして、その強さとまっすぐな姿勢からパワーをいただきました。また、当社としても、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、旅客鉄道輸送サービスパートナーとしての意識をいっそう高めていく機会になりました。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

大西瞳選手
1976年11月14日生まれ。東京都中野区出身。「切断者スポーツクラブ スタートラインTOKYO」に所属。リオデジャネイロ2018パラリンピックの女子走り幅跳びで6位入賞、100mで8位入賞。

[ひとこと]
「義足は走り出しは遅いけれど、スピードにのると速くなります。そこが面白いと思います。また、走り幅跳びは義足で踏み切るので、そのバネの感じにもぜひ注目してみてください。」

江村美咲選手
1998年11月20日生まれ。大分県大分市出身。中央大学に所属。2014年南京ユースオリンピックの個人戦で4位入賞。2018年フェンシング全日本選手権の個人戦で優勝。

[ひとこと]
「フェンシングのダイナミックさやスピードを感じてもらいたいです。選手は点を入れたときに『ヒャー!』っと大きな声を出して自分を盛り上げます。その雄叫びは、実はどの競技よりも激しいのではないかと思います。」

特集

特集2018/12/7

パラカヌー日本代表の瀬立(せりゅう)モニカ選手の講演会を開催しました!

2018-12 7

パラカヌー日本代表の瀬立(せりゅう)モニカ選手の講演会を開催しました!

 瀬立(せりゅう)モニカ選手は、筑波大学の体育専門学群3年生で、大学での勉学に励みながら、東京2020パラリンピックに向けて、日々パラカヌーのトレーニングに取り組まれています。
 今回は、平昌2018オリンピック・パラリンピック冬季のタイミングで放映した、当社のテレビCM「『たくさんのRESPECT』篇」に出演してくださったご縁で、当社グループ社員に向けて講演会を行なっていただきました。

※テレビCM「『たくさんのRESPECT』篇」より

 瀬立選手は東京都江東区出身で、中学生の頃から地元のカヌー協会のカヌー部に所属して、2013年の東京国体への出場を目指していました。
 しかし高校1年生のとき、体育の授業中にバランスを崩して転倒し、ケガを負ってしまいます。そのケガが原因で車椅子生活が始まりました。
 瀬立選手がつらいと感じたのは、入院生活を終えてから。満員電車で嫌な顔をされたり、エレベーターに乗せてもらえなかったり・・・。また「モニカは車椅子だから。」と友達に気をつかわれるのが嫌で自分の意見を言えなくなってしまったそうです。

 そんなとき、地元のカヌー協会からパラカヌーに誘われました。「カヌーなんてできない。」そのことを証明するために、あえてカヌーに乗ってみたところ、転覆しにくいカヌーが用意されていたため、「意外と乗れちゃった。」と笑顔で振り返ります。これをきっかけに、パラカヌーで東京2020パラリンピックを目指すことを決意したそうです。
 瀬立選手は、すぐにパラカヌーの楽しさにも気づきました。「水上では段差がなく、バリアフリー。水面をはっていくアメンボになったような感覚で気持ちのよさも感じます。」と、パラカヌーの魅力を教えてくれました。他人から「車椅子でかわいそう。」と思われるのは嫌だったけれど、「カヌーをしたいから。」と電車に乗り、学校へ通うようになりました。
 パラカヌーは、リオデジャネイロ2016パラリンピックから正式競技となり、瀬立選手は競技を始めてから2年足らずで日本人選手第一号として出場し、8位に入賞しました。しかし世界のレベルの高さを目の当たりにして、むしろ挫折感を味わったそうです。
 それからはトレーニング内容や練習環境などを見直したと言います。大学の授業で習ったことをトレーニングに取り入れたり、大学側に練習環境の整備を交渉したり、自分から動いて声を出すことで、まわりの人々から「手伝おうか?」と声をかけてもらえるようになりました。

 リオデジャネイロ2016パラリンピックでは、世界各国のパラリンピアンたちから刺激を受けて“自分で自分の限界を決めない”ということも心がけるようになりました。また、競技以外の私生活でもハワイでスカイダイビングをしたり、成人式で車椅子用の着物を着たりするなど、さまざまなことにチャレンジしています。「障害があって社会に出られずに困っている方々へ向けてメッセージを発信していくことが、パラリンピアンとしての使命」だと話します。
 また、お母さまからも大切なことを学びました。“笑顔は副作用のないクスリ”。この言葉通り、瀬立選手は常に笑顔で、講演会でも笑いをまじえて、みんなを笑顔にしてくれました。

 最後に、鉄道についての考えもお聞きしました。
 「3年前に免許をとってからは車を運転していますが、社会性を身につけるために、ときどき電車に乗るようにしています。駅員さんが笑顔でサポートしてくれたり、エレベーターで一緒になった方とお話ししたりと出会いがあるのが楽しい。思い切って電車に乗ってよかったと思います。つい吊り革で懸垂したくなってしまいますが(笑)。」
 当社にとっての課題もいただきました。
 「突然1人旅に出たいと思いついてもすぐに行動できないのが残念・・・。とくに都会で車椅子生活を送っている方の中には車を持っていない方も多いので、もっと気軽に電車に乗れるようになったらいいなと思います。」

 瀬立選手が出場予定の「カヌースプリント」については、「レースが200mなので40秒から1分くらいで勝負がつきます。まるで陸上の短距離走や競走馬を見るような感じです。スピード感や迫力、水しぶきに注目してください。」と見どころを語ってくれました。
 瀬立選手が出場するパラカヌーの試合は2020年9月3日~5日に海の森水上競技場で行なわれます。ぜひ皆で一緒に応援しましょう!

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020大会の運営支援を行なっていきます。

瀬立(せりゅう)モニカ選手
1997年11月17日生まれ。東京都江東区出身。江東区カヌー協会に所属。2016年リオデジャネイロ2016パラリンピックの女子カヤック部門のシングル200mで8位入賞。クラスはL1(障害の程度によって3つのクラスに分かれる)。
(※参考URL:https://monikaseryu.com/

「最近のマイブームは囲碁。大学の授業でプロ棋士に教えてもらってから、アプリを5つダウンロードするくらいハマってます。持ち運べる囲碁盤を用意しているので、試合の合間のリラックスしたいときにやりたいなと思っています。もちろん私が勝つまでやります(笑)。」

取組み

取組み2018/11/21

ボッチャ部(仮称)の活動開始しました!

ボッチャ部(仮称)の活動開始しました!

013_page01.jpg 2018年11月21日より、東京2020パラリンピック競技大会で開催されるボッチャの活動組織、「ボッチャ部(仮称)」がスタートしました!

013_page02.jpg 月2回の活動を目標に、当社のみならず、多くのグループ会社の方々にも参加いただき、活動を行っております。

013_page03.jpg 今後もボッチャをはじめパラリンピックスポーツに対する理解やダイバーシティの促進、東京2020パラリンピック競技大会に向けた気運醸成に取り組んでまいります。

取組み

取組み2018/11/10

「ジャパンウォーク in YOKOHAMA 2018 秋」に参加しました!

「ジャパンウォーク in YOKOHAMA 2018 秋」に参加しました!

012_page01.jpg 2018年11月10日に、象の鼻パーク(横浜市)にて、「ジャパンウォーク in YOKOHAMA 2018 秋」が開催されました。

012_page02.jpg 当社は、実行委員会企業として、ブース出展を含む運営サポートに加え、イベント参加者とボランティアスタッフあわせて約340名が参加し、会場を盛り上げました。

012_page03.jpg 当日は多くのオリンピアン、パラリンピアンと一緒に歩きながら交流を深めました。
また、車いすレーサ―体験や車いすバスケットボールなど、普段経験する機会が少ないパラリンピック競技などを体験することもできました。

012_page04.jpg JR東日本ブースでは、駅長制服を着てペットボトルキャップフォトパネルで記念撮影など、沢山の方にお越しいただきました。
今後も、東京2020大会に向け、このようなイベントを通し、スポーツに触れ合うきっかけをつくり、スポーツ気運醸成に取り組んでいければと思っております。

取組み

取組み2018/10/12

「千葉駅deボッチャ」が行われました!

「千葉駅deボッチャ」が行われました!

011_page01.jpg 2018年10月12日に東京2020パラリンピック競技大会で開催されるボッチャ競技の交流会「千葉駅deボッチャ」が、JR東日本千葉駅 中央改札前スペースにて実施しました。(千葉県から「チーバくん」が、また当社から「駅長犬」も参加しました!)

011_page02.jpg 当日は当社千葉駅ほか、周辺の事業者や学校など、計12チームが参加し、大いに盛り上がりました。

011_page03.jpg 今後もボッチャをはじめパラリンピックスポーツに対する理解やダイバーシティの促進、東京2020パラリンピック競技大会に向けた気運醸成に取り組んでまいります。

取組み

取組み2018/10/3

『TOKYO SPORTS STATION』が2018年度グッドデザイン賞を受賞しました!

『TOKYO SPORTS STATION』が2018年度グッドデザイン賞を受賞しました!

007_page01.jpg 東京2020大会の各競技の見どころ・観戦ポイントを紹介する「TOKYO SPORTS STATION」が2018年度グッドデザイン賞を受賞しました!

007_page02.jpg 「TOKYO SPORTS STATION」は、東京2020大会の1000日前を機にスタートした東京地下鉄(株)との共同アクティベーションです。引き続き、皆さまの移動時間を更に楽しんでいただけるものを目指します。(※参考URL:http://www.jreast.co.jp/tokyo2020/tss.html

取組み

取組み2018/9/27

岩手県・福島県の小学生たちにバスケットボールの体験をしていただきました!

岩手県・福島県の小学生たちにバスケットボールの体験をしていただきました!

009_page01.jpg 2018年9月27日に、岩手県・福島県の小学生計38人を対象にスポル品川大井町にてバスケットボールの体験をしていただきました!

009_page02.jpg 昨年に引き続き開催された経済界協議会主催の『COUNTDOWN SHOWCASE』の視察にあわせて本イベントを開催いたしました。

009_page03.jpg 当日は、 アテネ2004オリンピックにも出場されたトヨタ自動車(株)所属の矢野良子さんに先生としてお越しいただきました。あいにくの雨模様のため、場所をテニスコートに移し、バスケットボールに加えて、サッカーボールも使いながらの体験になりましたが、バスケットボールに触れてもらうことができました。

009_page04.jpg 今後も、東京2020大会に向け、このようなイベントを通し、子供たちがスポーツに触れ合うきっかけをつくり、スポーツ気運醸成に取り組んでいければと思っております。

取組み

取組み2018/9/25

パラテコンドー体験会に講師として参加しました!

パラテコンドー体験会に講師として参加しました!

008_page01.jpg 2018年9月25日に東京都内中学校にて、東京法務局主催の教育カリキュラムの一環として実施された課外授業に参加してまいりました。

008_page02.jpg 当日は、東京2020パラリンピックより正式競技として採用されるパラテコンドーの体験会が実施され、パラテコンドー選手でもある当社社員が、講師役として参加しました。

008_page03.jpg 初めての取り組みでしたが、体験会を通して、障がい者スポーツの楽しさを多くの人々に伝え、障がいがある人もない人も、一緒にスポーツを楽しむことができる取り組みとなりました。今後もパラリンピックスポーツを通したダイバーシティを推進してまいります。

取組み

取組み2018/9/9

藤沢駅自由通路にセーリング体験フォトパネルを設置しました!

藤沢駅自由通路にセーリング体験フォトパネルを設置しました!

006_page01.jpg 2018年9月9日~16日に、藤沢駅自由通路にてセーリング体験フォトパネルを設置しました!

006_page02.jpg 東京1964オリンピックでもセーリングが開催された江の島ヨットハーバー。こちらへの乗り換え主要駅である藤沢駅の自由通路にて、『TOKYO SPORTS STATION 』で過去に取り上げたセーリングのトピックスを活用した顔ハメフォトパネルを設置しました。

006_page03.jpg なんと、この顔ハメフォトパネル!顔を出すには、実際のセーリング競技のように、体を倒さないと顔をハメることができません。これまでの見ていただくことに加え、「体験」の要素を加えることで、より皆様に、セーリングを身近に感じていただけたと思います。

006_page04.jpg あわせて、藤沢駅構内の装飾と、体験いただいた方にはサンプリングのカード配布を行いました。

006_page05.jpg 引き続き、東日本地域を事業エリアとする企業として、円滑な東京2020大会の運営を支え、大会開催に向けた気運を高める様々な取組みを進めて参ります。

取組み

取組み2018/7/24

「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」に参加します!

「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」に参加します!

005_page01.jpg 2018年7月24日より、東京2020大会で使用する金・銀・銅あわせて約5,000個のメダルを、使用済み携帯電話等の小型家電から製作する本プロジェクトに参加しています。(参考URL:http://www.jreast.co.jp/press/2018/20180727.pdf

005_page02.jpg 回収BOXを設置する約100職場を対象に説明会を実施しました。これから当社およびグループ会社の社員の皆さんに呼びかけていきます。

005_page03.jpg 回収BOX設置箇所では、担当者が社員に呼びかけて、小型家電の回収をお願いしています。

取組み

取組み2018/7/24

当社の駅に東京2020マスコットが登場します!

当社の駅に東京2020マスコットが登場します!

004_page01.jpg 2018年7月22日にデビューした東京2020マスコットが、東京2020大会開催の“2”年前を記念して、当社管内の各駅にて、特別制作の「東京2020開催まであと2年!」ポスターで登場し、駅を彩ります。

004_page02.jpg ぜひみんなで、東京2020オリンピック・パラリンピックの気運を高め、一緒に応援しましょう!

取組み

取組み2018/7/23

山手線に乗った東京2020マスコットが、東京の街を走り、東京2020開催“2”年前を盛り上げます!

山手線に乗った東京2020マスコットが、東京の街を走り、
東京2020開催“2”年前を盛り上げます!

003_page01.jpg 2018年7月22日にデビューした東京2020マスコットが、当社の山手線に特別車体ラッピングで登場し、東京を走っていきます!(※参考URL:http://www.jreast.co.jp/press/2018/180720.pdf

003_page02.jpg 東京2020大会開催の“2”年前を記念して、E235系山手線の“2”編成に対して、東京2020オリンピックと東京2020パラリンピックの“2”種類のマスコットが、2018年7月23日から9月6日までの間、特別車体ラッピングにて登場いたします。