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特集

特集2021/07/21

JPC委員長・東京2020パラリンピック競技大会日本代表選手団団長 河合純一氏の講演会を開催しました!

2021-07 21

JPC委員長・東京2020パラリンピック競技大会日本代表選手団団長 河合純一氏の講演会を開催しました!

 2021年3月に行われた「オンライン・フォーラム」のなかで、日本パラリンピック委員会(JPC)委員長である河合純一さんに、東京2020パラリンピックを通じた共生社会の実現についてお話を伺いました。

 1975年静岡県に生まれた河合さんは、生まれつき左目の視力がなく、少しだけ見えていた右目も中学3年生の時に見えなくなりました。5歳から続けていた水泳競技で、高校2年生の時、バルセロナ1992大会に出場。以後6大会連続で出場し、金メダル5個を含む21個のメダルを獲得し、2016年には日本人として初のパラリンピック殿堂入りを果たされています。また現在は、JPC委員長及び東京2020パラリンピック日本代表選手団団長としてパラリンピアンたちをまとめ、東京2020パラリンピック競技大会の成功に向けて、ご尽力されています。

パラリンピックスポーツのあゆみと
関連組織

 はじめに、河合さんはパラリンピックスポーツに関連する組織や、国際動向について分かりやすく解説してくださいました。国際パラリンピック委員会(IPC)は1989年に設立。オリンピックのシンボルマークが五つの輪の「ファイブリングス」であるのに対し、パラリンピックのシンボルマークは「スリーアギトス」といってパラリンピックアスリートたちの躍動感を表しているのだそうです。IPCには2020年4月現在、182の国と地域のパラリンピック委員会(NPC)が加盟しています。「しかし」と河合さんは強調します。「すべての国や地域が、東京2020大会に出られるわけではありません。まだまだ地球全体でみると多くの課題があります」。

 日本パラリンピック委員会(JPC)は長野1998パラリンピックの後1999年に、日本障がい者スポーツ協会(JPSA)の内部組織として設立されました。IPCなどの国際競技団体に加盟し、選手の競技大会への派遣や強化など日本国内のパラリンピックムーブメントの推進に取り組んでいます。
 そしてJPCが所属するJPSAの前身である日本身体障害者スポーツ協会は、東京1964パラリンピックの翌年1965年に設立され、現在は、身体障がいだけでなく、知的障がい、精神障がいなど、すべての障がいを含めたスポーツ活動を支えることを通じて、共生社会実現を目指しています。
 河合さんは東京2020大会について、「自分の暮らしている国でパラリンピックがあって出られる可能性があるなんていうのは、もう本当に、ものすごいラッキーなことなんですよ。私は20年、6回出ても一度も当たらないんですから」と自身の経験を踏まえて、語ります。そして、選手たちに向けては、「間違いなく色々な経験ができる、だから全力で取り組んでほしい。限りなく可能性が少なくても、それでも賭けるチャンスがあるなら取り組んだ方がいい。」と言い続けてきたそうです。

リニアの速さで発展する
世界のパラスポーツ

 次に、河合さんはこれまでのオリンピック、パラリンピックでの日本のメダル獲得状況から、日本のパラリンピックの国際的な立ち位置を解説してくださいました。特に夏季パラリンピック大会での日本のメダル獲得数は下降傾向で、前回のリオ2016大会での金メダルは残念ながらゼロ、64位という結果でした。シドニーやアテネでメダルが多かった理由について、「『河合さんがいたからですね』と言うところですよ」とユーモアを交えつつ、「国や企業にもご支援いただき、日本もどんどん選手の強化は進んでいる。しかし、世界の進化発展のスピードの方がそれよりも早い。日本が新幹線なら、世界はリニアか飛行機くらいの速度の差がある。」と世界との差について教えてくださいました。それでも、東京2020大会ではランキング7位を目指し、ここ数年さまざまな活動に取り組んできたということです。

 講演の後に行われた質疑応答でも、今大会での目標について質問がありました。ランキング7位になるには金メダルを20個獲得しなければならないそうです。ただ、河合さんはこう続けます。「JPCとして、また日本代表選手団の団長としてやるべきことは、数を目指すことではなく、すべての選手が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を整えることだと思っています。最高のパフォーマンスを発揮しない限り、金メダル20個にはいかないわけですから。」来年には北京で冬季パラリンピックも開催されます。これからも引き続き選手たちが実力を発揮できるよう環境を作っていきたい、と思いを伝えました。

選手がトレーニングに集中できる
環境を整えるために

 続いて、JPCとJPSAの取り組みについて紹介してくださいました。JPC及びJPSAの主な役割は、選手の強化・支援だそうです。選手やコーチがトレーニングに集中できる環境を整えるために、選手がトレーニングを行う施設の調整や国からの予算交渉などを行っています。また、JPCは日本代表選手団を組織し派遣することのできる唯一の組織として、その準備や情報収集を行っています。

 また、アスリートやコーチのためのさまざまな研修も行っているそうで、その一部をご紹介いただきました。アスリートの生涯を一つのキャリアと捉え、学んできたことを競技やその後のキャリアに活かしていく「デュアルキャリア」についての研修。あるいは「スポーツ・コンプライアンス」「インテグリティー」など、選手たちが守るべきことや、スポーツがどのような意味を持ち、どのようにして応援してもらえる立場や競技にしていくのかといったことを考える研修などがあるそうです。

 その他、栄養学や心理学、トレーニングのための映像分析など、さまざまな医科学情報サポート、アンチドーピング活動、人材育成、広報活動など、幅広く活動しているということです。

すべての人たちの可能性の祭典、
パラリンピック

 東京2020パラリンピックでは、「スポーツには世界と未来を変える力がある。」という大会ビジョンのもと、「全員が自己ベスト」「多様性と調和」「未来への継承」という3つの基本コンセプトが掲げられています。新型コロナウイルスの影響で1年延期となり、状況もさまざまに変わっていますが、「世界にポジティブな改革をもたらす、というこの大会の意味は変わらない」と河合さんは強調します。

今大会では、バドミントンとテコンドーが初めて採用され、合計22の競技が実施されます。過去最大の選手団になると予想されるため、大きな責任を感じている、しっかりと準備をしていかなければならないと大会成功への決意を述べられました。
また、河合さんが考えるパラリンピックについて、「オリンピックは『平和の祭典』と言いますが、パラリンピックは『人間の可能性の祭典』なんです」と言い、「Impossible」と書いてあるオブジェのIとmの間に、車椅子の方がロープでよじ登ってご自身が「’(アポストロフィー)」になり、「Impossible(不可能)」を「I’m POSSIBLE(私は可能)」というメッセージに変えたという、ソチ2014パラリンピック閉会式での印象的なシーンについて触れました。今では「I’mPOSSIBLE」は、世界中のパラリンピック教材の名前にもなっているそうです。

 河合さんがパラリンピックを「可能性の祭典」と考える理由には、もう1つ意味があるそうです。「アスリートたちの持つ可能性だけでなく、皆さん自身の中にもその可能性があります。本当はできるかもしれないことを、無意識のうちに諦めてしまっていた自分がいたかもしれない。と気付くことで、隣にいる人も含めて、誰もが無限の可能性を秘めた存在なんだと再認識する。パラリンピックにはまさにそのきっかけがあると思っています。」と河合さんは教えてくれました。

みんなで一緒にダンスを踊る

 さらに、これからの共生社会を語る上で大切なキーワード、「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)」について、分かりやすく解説してくださいました。
 大会の3つの基本コンセプトの一つ「多様性と調和」は、さまざまな障がいの有無だけでなく、性別、人種、宗教なども含めたお互いのちがいを肯定し認めあえる社会の実現につながっている、と河合さんは説明します。このことを「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)」と言いますが、言葉だけではイメージしにくいかもしれません。そこで河合さんは、海外でよく言われるわかりやすい例えを教えてくださいました。「ダイバーシティは、ダンスパーティーに誘うこと。インクルージョンは、一緒にその場でダンスを踊ること」というものです。
 「例えば、今この空間に皆さんも私もいるので、これは『ダイバーシティー』と言えるかもしれません。そしてこの後、質疑応答などで皆さんとやりとりがあった時に、『インクルージョン』が実現するということです。この後者である『インクルージョン』を実現して初めて共生社会と呼べると考えます。」と河合さんは説明しました。

 最近では、世界記録がオリンピック選手よりも勝る競技や種目も出てきています。そういったパフォーマンスを観ることで、私たちが持ってしまいがちな差別や偏見をなくすことができると続けます。「パラリンピックでそういうスポーツを発展させれば、社会の変化を促進することができる。だからこそ、『多様性と調和』という大会ビジョンを、国の施策や民間企業などと協力して社会に広げていきたい」と訴えました。

東京2020パラリンピックで
社会の変化を促進する

 史上初の開催延期となった東京2020大会。さまざまな議論が各所で沸き起こっていますが、河合さんは言います。「『人間の可能性の祭典』が揺らいだり、大会ビジョンや基本コンセプトが変わるわけではない。この大会があったから今があると後世で言われる大会にすることが、私たちに課せられたことなんです。」
 そして、IPCが目指す究極のゴールについて語ってくださいました。それは「パラリンピック・ムーブメントを通してインクルーシブな社会を創出していく」ということ。共生社会を作ろうとするさまざまな活動すべて、そしてそれに参加する人たちすべてがパラリンピック・ムーブメントの実践者になるのだそうです。「今日講演を聞いてくれた皆さんが、1人でもいいからまた別の方に語ってもらえたら、それがムーブメントになる。相手の気持ちを動かそうというパッションを持ってもらえるだけで、社会を本当により良くすることができます。」。
 大会に向けて競技会場や公共交通機関のアクセシビリティも整備されています。駅にホームドアが設置されたり、点字ブロックが敷設されたりして、町や施設での利便がどんどん良くなっていると河合さんは言います。法律もまた変わってきました。バリアフリーに関する法律ができて、学校施設のバリアフリー化が昨年義務付けられました。このことも東京2020が大きな力になっていると河合さんは評価します。
パラリンピックには「できないをできるに変える」という元来の精神に則り、今パラリンピックアスリートたちは延期ということにこだわらず、しなやかかつ前向きに、彼らのやるべきことややれることに集中しているそうです。

 しかも、夏のパラリンピックを2度開催する都市というのは、世界で東京が初。「東京2020大会のかけがえのないレガシーを世界中に届けることができるのは、東京であり日本に住む皆さんと私たちだけなんだという、素晴らしさと強みを伝えていきたい。」と河合さんは強調しました。

「共に生かしあえる」
これからの共生社会へ

 「お互いを認めあうから、コミュニケーションを取るから、お互いを生かせるんですよね。その場に存在するというのではなく、それぞれをちゃんと認めあえなくては、共生社会とは呼べないんじゃないか。これは当然、会社や地域社会でも同じだと思います。それぞれの持っている強みを、生かしあえるような社会を作っていただきたいです。」と最後にシェアしておきたいこととして河合さんは強く訴えました。

 そして、また面白い例えをだして共生社会のイメージを伝えてくださいました。共に生かしあえる共生社会のイメージとは、個性をすり潰して混ざりあう「ミックスジュース」ではなく、お互いの良さを生かしあって混ざりあう「フルーツポンチ」なのだそうです。
 そして、それを実現するために大切なこととして、「すぐには解決できないハードのバリア(段差)はあっても、ハート(心)のバリアは超えていくことができる、それこそが重要であり、東京2020大会の真のレガシーになるんだと思います。それを子供や孫、あるいは地域の人たちへ伝え続けてもらえれば、それが大きな力になっていくんじゃないかなと思います」と語り、改めて「フルーツポンチ」型の共生社会を、東京2020大会を通じて作り上げていきたいと訴えました。
 また、講演後の質疑応答で、海外と日本の共生社会についての考え方の差について質問があった際、河合さんはある小学生の感想文を読んだときの話を紹介してくれました。「多様性を生かしあうための話し合いはすごく時間がかかったけど、それができ上がった時はみんなが楽しい状態になって、すごく意味があった」とそこには書かれていたそうです。それを見た時に、「この子たちは『ダイバーシティーとインクルージョン』の本質が分かっているな」と思ったそうです。「私たち大人はつい時間を短くすること、合理性に価値があるとしがちで、それによってどこかで切り捨ててしまったり、見て見ぬ振りをしてきていたんじゃないでしょうか。そこに思いが行く人が増えれば、多少時間がかかっても、より価値があり、より魅力的なものを一緒に作りだしていける側に私たちもなれるんです」と理解を求めました。

「超えろ、みんなで。」

 東京2020大会を通じて、みんなで「フルーツポンチ」型の共生社会を作り上げていきたい。

 そのためには、アスリートだけでなく、すべての人たちのチャレンジする気持ちが大切だと河合さんは繰り返します。「超えろ、みんなで。」は、チームパラリンピックジャパンのスローガンであり、今日の講演のテーマでもありました。そこには、アスリートが自らの限界やライバルを超えるという思いに加えて、私たちが心の中のバリアを超えることで、社会をより良くしていくムーブメントにつなげていってほしいという、河合さんの強い思いが込められています。

河合 純一(かわい じゅんいち)
公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会委員長
1975年静岡県生まれ。先天性ブドウ膜欠損症のため15歳の時全盲となる。
競泳で1992年のバルセロナから2012年のロンドンまで6大会連続パラリンピックに出場し、金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得。2016年には日本人として初のパラリンピック殿堂入りを果たした。

特集

特集2021/03/30

パラトライアスロン谷真海選手の講演会を開催しました!

2021-03 30

パラトライアスロン谷真海選手の講演会を開催しました!

 困難を乗り越え日々活躍されているアスリートと、力強く復興への歩みを進める東北地方を応援するテレビ番組の特別編として、その番組にも出演されましたパラリンピアンでもあり、東北人(とうほくびと)でもある谷真海さんをお招きし、ご講演をいただきました。

 困難を乗り越え日々活躍されているアスリートと、力強く復興への歩みを進める東北地方を応援するテレビ番組の特別編として、その番組にも出演されましたパラリンピアンでもあり、東北人(とうほくびと)でもある谷真海さんをお招きし、ご講演をいただきました。

人生を大きく変えた出会い

 子供の頃からスポーツが大好きだったという谷選手。大学時代に骨肉腫を発症し右足膝下を切断することになりました。壮絶な闘病生活を乗り越え、もう一度スポーツをしてみようと思った時に、義肢装具士・臼井二美男さんと出会いました。臼井さんとの関わりを通して、パラリンピックやパラリンピックアスリート達と出会い、もう一度何か新しいことにチャレンジする気持ちを取り戻すことができたそうです。

競技人生のはじまりは、
走り幅跳び選手として

 そこで挑戦したのが、走幅跳。「走幅跳は、他者との競争ではなく、自分の記録を伸ばしていく陸上競技の種目。これが心境に合い前を向くことができた。」と当時の心境をお話いただきました。この種目で3大会連続パラリンピックに出場。「パラリンピックの出場を通して、多くのパラリンピックアスリートの活躍を目にしたことで、障がいを受け入れ自分の可能性を最大限に高めていくような生き方をしたいと思うようになった」と競技人生のはじまりのきっかけについてお話いただきました。

チャレンジすると新しい可能性が
見えてくる!

 また、東京2020大会の招致時のエピソードもお話いただきました。東日本大震災では谷選手の故郷(宮城県気仙沼市)が被災。足を失った自分自身と故郷の状況を重ね、「チャレンジすることを諦めず、前進する勇気を持つために、スポーツが貢献できることは大きい」と強く実感し、東京2020オリンピック・パラリンピック招致のプレゼンターを務め、誘致時の貴重な体験についても語ってくださいました。その後、リオ2016パラリンピックで競技として採用されたパラトライアスロンに転向、そして東京2020パラリンピック出場に向けて奮闘されているお話をいただきました。

障がいのある人もない人も
尊重しあえる社会に向けて

 最後に、谷選手より、共生社会の実現に向けて取り組むべき課題についても語っていただきました。谷選手が日本で生活する中で、あと一歩だと感じることは、バリアフリーなどのハード面ではなくソフト面である“心”の部分。谷選手自身もそうだったとのことですが、「例えば、電車でお手伝いが必要そうな方がいても、見て見ぬ振りをしてしまうことがあります。気軽に声をかけてコミュニケーションできるような雰囲気をもっと作っていけるといいのでは。」とのお話をいただきました。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会に参加する全ての皆さまを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

谷 真海(たに まみ)
1982年宮城県生まれ。骨肉腫により右足膝下切断。
走幅跳で2004年から3大会連続でパラリンピック出場。その後パラトライアスロンに転向し2017年世界パラトライアスロン選手権で日本人として初の優勝を飾る。自ら招致に貢献した東京2020パラリンピック出場を目指しトレーニングに励んでいる。

特集

特集2020/03/27

義肢装具士 臼井二美男さんの講演会を開催しました!

2020-03 27

義肢装具士 臼井二美男さんの講演会を開催しました!

写真左:水谷憲勝さん、中:臼井二美男さん、右:須川まきこさん

今回は、義肢装具士の臼井二美男さんに、当社社員に向けて講演会を行っていただきました。臼井さんは、30年以上にわたって、義肢装具士として切断障がい者の義足製作に携わり、切断障がい者のスポーツ参加をサポートしてきた、この分野の第一人者です。シドニー2000パラリンピック以降、リオ2016パラリンピックまで5大会連続で日本代表選手のメカニックとして同行しています。
この日は、臼井さんが設立した切断障がい者のための陸上クラブの選手会長 水谷憲勝さん、義足のアーティスト・イラストレーターの須川まきこさんも登壇され、義足ユーザーとしての思いを語ってくださいました。

できないのではなく、やらなかっただけ。

 冒頭、臼井さんは「実物に触る機会はめったにないと思うので、ぜひ触ってみてください」と、小学4年生の男の子が使用していた義足と、シリコン製の義手を会場内に回覧しました。参加者の皆さんは、実生活の中で使用されていた義足や義手を手に取り、その構造や重さ、感触などを興味深い面持ちで確かめました。続いて、臼井さんが設立した陸上クラブの活動が取り上げられたニュース映像を紹介してくれました。その中で登場した女性は、小学校2年生のときに病気で足を失い「走ることを諦めていた」と語っていました。その気持ちを変えたのが、臼井さんたちとの出会いです。

スポーツ用の義足は筋力が弱いとうまく履きこなせないため、はじめは転んでしまうこともあったようですが、トレーニングを重ねて走れるようになってくると“諦めていた気持ち”に変化が現れます。そして小学校1年生の運動会以来、実に11年ぶりに陸上競技の大会に参加し、見事に完走! 現在も、臼井さんのクラブで走り続けているそうです。
「できないのではなく、やらなかっただけなんだ」と気づいたこの女性のように、障がいのために走ることを諦めていた人たちも、自身の持つ可能性を知ると「頑張ろう!」と思えるようになると臼井さんは語ります。

歩くことからはじめ、「走りたい」という気持ちをサポート。

義肢装具士として臼井さんが勤務するのは、義肢装具の製作から装着訓練に至るまで一貫したサービスを提供する、民間における国内唯一の総合的なリハビリテーション施設です。30名の義肢装具士が所属し、施設ではもちろん、各地の病院や身体障がい者更生相談所に出向いて義肢装具の相談や製作を行っています。また、付属診療所には医師や理学療法士が所属し、義肢や装具を作るための医学的診断やリハビリテーションなども行っているそうです。

 最近は、義足に特化したリハビリテーション、筋力トレーニング、ストレッチなどを行っていることがテレビやインターネットで紹介されることも多く、難しい症例の方が全国から訪れるようになったといいます。現在は、約5000名の方が定期的に施設へ通っているそうです。
「せっかく義足を作っても、筋力がないと履きこなせないこともあります。まずは入院中に固くなった股関節やひざ関節を揉みほぐし、歩くための体づくりから始めることが大切なんです。」と臼井さんはリハビリテーション施設の重要性を語ります。
また、東京2020パラリンピック競技大会開催を控えて盛り上がりを見せているのが、臼井さんが設立した陸上クラブの活動です。30年前には約4名で発足したクラブでしたが、現在のメンバーは218名。中には理学療法士や若手の義肢装具士、ボランティアの方々も含まれており、今もメンバーは少しずつ増えているそうです。
「ここで指導しているのは『義足で走る』ことです。義足ユーザーは、歩くことはできても走ることは難しいのが現実です。そういったことに気付いたのが30年前でしたが、欧米に目を向けると、当時からパラリンピアンが出ています。日本は『障がい者もスポーツをやる』という意識が遅れていることに気づき、それ以来『パラリンピアンのように走れなくてもいいから、とにかく外に出て体を動かそう』と声をかけ合い、活動を続けています。」と設立時からの思いを語ってくださいました。

 練習は基本的に週1回。臼井さんや理学療法士が付き添い、伴走しながら走り方を指導しているそうです。まずは“走りやすい義足”を参加者に貸し出し、少しずつ大会出場を目指していきます。その一方で、競技目的ではなく純粋に「走りたい」という気持ちから参加する60代、70代の義足の方も増えているそうです。現在は、小学校3年生から75歳まで、とても幅広い年齢層の方が参加しているといいます。
「パラリンピックアスリートを育成したいと考えると10代の方に頑張って欲しいという思いはありますが、高齢の方が『外に出たい』『走ってみたい』と考えるのはとてもいいことです。日本全体の高齢化が進む今日、障がい者スポーツの意義はそこにもあるのかな、と考えるようになりました。実際、3歳でも75歳でも『走ってみたい』という強い思いを持つ人はいるし、その思いをサポートしていると、自然と目標を持って上を目指す選手が出てくるものです。だからこそ、だれでも幅広く受け入れることを心がけています」と障がい者スポーツに挑戦することが多くの人の生きがいにつながっているといいます。

スポーツに取り組むことで、自立意識が生まれる

 ここで臼井さんは例として、13歳で両足を膝上切断した女性の取り組みを紹介します。
「一般に、両足膝上切断だと車椅子で生活する人が多いんです。でも彼女は、テレビでパラリンピックを見て、海外には自分と同じ状態でも車椅子を使わずに走っている選手がいることを知ったんです。歩くだけではなく『走りたい』と考え、チャレンジしてきました。」と語ります。普通の義足で歩くことからトレーニングをはじめ、杖を使わずに通学できるようになりました。大学進学後はパラ陸上部に所属し、大会で両足を膝上切断した人たちの階級であるT61クラスで世界記録を出しました。

 「両足切断で走れる人は、世界的にも多くはありません。けれど、先端技術を取り入れて義足が進歩したこともあり、走るための環境は整ってきています。スポーツに取り組むことは、体幹が強化されてバランスが良くなるだけでなく、自立意識を生む効果もあるので、ぜひ多くの人に挑戦して欲しいですね」と障がい者スポーツを通じて、日々周囲からのサポートを受ける切断障がい者の方が自立意識をもてるようになることの重要性を語ります。
一方で、障がい者が利用できるスポーツ施設は、まだ47都道府県のすべてに開設されるには至っていません。また、生活用義足とは違い、障がい者スポーツ用義足には公費のサポートがないため、育成段階では経済的に厳しい状況が続いているそうです。

自分の体を受け入れるプロセスとして絵を描く

 「障がい者スポーツの観点でお話をしてきましたが、走るのが苦手な人、もともと運動音痴の人など、スポーツに拒否反応を示す人はけっこう多いんです」と臼井さんは語ります。そうした人たちにも前向きになって楽しんで欲しい。そんな思いを義足のアーティスト 須川さんと共有する中で始まったのが、義足ファッションショーです。
須川さんは、14年前、悪性肉腫のために股関節切断という大手術を経験し、義足を履くようになりました。

 「命に関わる病気になり、さらに義足という二重の衝撃が受け入れ難く、辛い時期を過ごしました。」と語り始めます。もともとデザイン事務所に勤務し、イラストを描いていたことから、「自分の体を受け入れるプロセスとして」義足の女の子を描き始めたそうです。
「足を失った自分の体にすごくコンプレックスを感じました。でも、ファッション雑誌に並んでいても違和感のない“キレイな義足”があれば、自分の体を受け入れられそうな気がしたんです。そこで、まだ入院中で点滴も取れていない時期から、ベッドの上で義足の女の子のイラストを描き始めました。」と語ります。須川さんが足を失ったのは31歳の時。イラストを描くことで少しずつ自分の体を受け入れることができたそうです。
「でも、10代で思春期の女の子が義足になったらどうやって乗り越えるのだろう?」
そう考えた須川さんは、自分が描いたイラストを“義足の後輩たち”に見せました。するととても喜んでくれたため、その後は個展を開くたびに“義足を履いたキレイな女の子”のイラストを描くようになったそうです。

認識が変われば、見える風景も変わる

 絵を描くことで自分の病気と障がいを乗り越えてきた須川さんは、さらに一歩踏み出し、ファッションショーの企画を手がけるようになりました。
「発端は、2011年に原宿でゲリラ的にファッションショーをやろう、という企画でした。実はその頃、私はまだ自分が義足であることを隠しがちだったんです。でも企画を通じて『義足だけどこんなに元気に、ファッショナブルにすごしているよ!』ということを、地方にいてなかなか義足の情報を知らない方や、義足のために外出を躊躇している方への思いもあって、全国発信したいと思ったんです。」と須川さんは当時の思いを語ります。

 義足を隠すことなく原宿の街を闊歩する須川さんの姿に、当時は賛否両論があったといいます。それでも須川さんは「時代はきっと私たちの価値観に追いついてくる」という強い信念を持って表現し、発信することを選び、今日まで頑張ってきたのです。
ここで須川さんは、2016年に行われたファッションショーの映像を紹介してくださいました。参加メンバーのコスチュームは義足がキレイに見えることを重視して須川さんがデザインしたものだそうです。

 「ステージに立つことの醍醐味は、普段はコンプレックスに感じている義足がチャームポイントになることです。義足を主役にして、堂々と見せられることが気持ち良くて。『認識が変われば見える風景も変わる』ことを経験できたことが、すごく良かったです。」と自身の義足に対する認識が変わることで、周囲からの認識も変えていくことができることに気づいたそうです。

 東京2020オリンピック・パラリンピックを機に、共生社会の実現が課題となっていますが、共生社会の理念はまだまだ浸透しているわけではありません。須川さんが示唆する通り、「共生社会の実現という価値観に『追いついてくる』時代を、私たちみんなで創っていくことが大切だと感じました。

風を切って“走る”ことの気持ち良さ

 続いて、臼井さんの陸上クラブで選手会長を務める水谷憲勝さんが登壇しました。水谷さんは2001年にバイクの事故で足を切断。自分に合う義足が見つからずに困っていたところ、臼井さんと巡り会い、義足で自然に歩くことができるようになったそうです。そして臼井さんの誘いを受け、障がい者陸上クラブの設立に参加しました。
「初めて板バネのスポーツ用義足を履いた時は、昔の“走る実感”が戻ってきたように感じました。」と水谷さん。そこから半年ほどトレーニングを重ね、全力疾走ができるようになったそうです。

 水谷さんには会場で、スポーツ用の義足を使った走りを実演いただきました。あっという間に生活用からスポーツ用の義足に履き替え、会場内の通路を想像以上のスピードで疾走。そのまま会場の壁を突き抜けてしまうのではないかと思われる力強い走りを間近に見た参加者からは、感嘆の声とともに拍手が湧き起こりました。

 ここで臼井さんが「水谷さんは何気なくやっていますが、これは膝周りの筋力があるからできるんです。初心者はなかなかうまくいきません」と、解説。その上で「たとえば30年後には、日常生活も全力疾走も、すべて一つの義足で対応できるようになるかもしれない」と、未来の可能性を語ってくださいました。

駅と鉄道の設備に期待すること

 ここからは臼井さんと、義足ユーザーのお二人に、駅や鉄道を利用する際に感じることについて、忌憚のない意見を伺いました。
関西出身の須川さんからは、「大阪の鉄道車両は優先席のカラーリングが目立つのでわかりやすくていい」と、アーティストならではの意見をいただきました。
水谷さんは、「駅のエスカレーターはなぜ上りばかりなのでしょう」と疑問を提起。「誤って踏み外すと一番下まで落ちてしまうから、本当は下りの方が怖いんです。できれば下りエスカレーターを優先して設置してほしい」という思いを語りました。ただ全体としては、エスカレーターや洋式トイレを備えた駅が多くなっているので、「車椅子を必要とする人でも外出しやすくなった」と評価してくださいます。

 また、臼井さんは「これまでアテネとロンドンで地下鉄に乗ったが、ロンドンやヨーロッパの方は車いすや足の悪い方に対して反応が早く、反射的にすぐに席を立って、ちゃんと声をかけます。それに比べると日本人は、考えてから動いている。以前よりは席を譲る人が増えてきたと思うけれども、スマートフォンなど個人の時間に没頭していて、なかなか気づけない。」と世界と日本との意識の差を語ります。
また「やはり安全がまず第一に重要であり、次にサービス。そのサービスのなかで、より様々な方にどこまで寄り添うことができるかが大切な時代がやってくる」とお話しいただきました。

 参加者からは「地方駅の中には、設備や係員の配置が十分でない駅もたくさんあります。そうした駅で不便を感じた経験があれば、ご意見をお願いします」と質問がありました。
須川さんは「最近は田舎の駅でもエレベーターが設置されるようになったので、とても助かっています。でも、設備もなく係員さんもいない駅に、それと知らずに降りてしまったらどうするんだろう、と思ったことはあります」とのこと。臼井さんからは、「地方だと、自分でボタンを押すことによって車両のドアの開閉をするものがありますが、車いすの人にとってはぎりぎり届く高さのように思います」とお話いただきました。
お二人の意見を受けて、社員同士の連携とコミュニケーションの重要性と、普段からの「声かけ・サポート」の大切さを改めて考えるきっかけとなりました。

 3名の方のお話を踏まえ、個性がそれぞれ輝く共生社会の実現に向けて、私たちができることについて考え続け、行動につなげていきたいと思います。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

臼井二美男(うすいふみお)
1955年群馬県生まれ。28歳から義肢装具士として義足製作に取り組む。89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作を開始。91年、切断障がい者を対象とした陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」(現・スタートラインTOKYO)を設立、多くのパラリンピアンを輩出している。義足を必要としている人のために日々研究・開発・制作に尽力している。

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