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すべてのひとにとって価値のあるオリンピック・パラリンピックにするために、
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特集

特集2019/1/16

パラ陸上競技の大西瞳選手とフェンシングの江村美咲選手の講演会を開催しました!

2019-1 16

パラ陸上競技の大西瞳選手とフェンシングの江村美咲選手の講演会を開催しました!

 今回は、平昌2018オリンピック・パラリンピック冬季競技大会のタイミングで放映した、当社のテレビCM「『たくさんのRESPECT』篇」に出演してくださったパラ陸上競技の大西瞳選手とフェンシングの江村美咲選手に、当社グループ社員に向けて対談講演会を行なっていただきました。

写真左:大西選手、右:江村選手

 大西瞳選手は、区役所に勤務しながらパラリンピックの陸上競技の練習に打ち込んでおり、リオデジャネイロ2018パラリンピックの女子走り幅跳びで6位に入賞、100mで8位に入賞しました。障害者のための情報バラエティー番組の司会者でもあります。
 江村美咲選手は、中央大学のフェンシング部に所属しており、2018年フェンシング全日本選手権の個人戦で優勝するなど、さまざまな大会で優秀な成績をおさめています。
 東京2020オリンピック・パラリンピックの出場を目指すアスリートのお二人に、司会者を交え、質問形式で対談講演会を行ないました。

競技を始めたきっかけ・楽しさ

――まずはじめに、競技を始めたきっかけと、その楽しさについて教えてください。

大西選手:23歳の頃、病気をきっかけに義足の生活が始まりました。はじめは劣等感を持っていましたが、「義足できれいに歩けるようになりたい」と思っていたところ、義肢装具士の臼井二美男さんから「走れるようになったらきれいに歩けるよ」と言われ、パラ陸上競技を始めました。義足という「モノ」を使っているので、いかに使いこなすかが難しさでもあり、楽しさでもあります。

江村選手:私は父が経営しているフェンシングクラブで8歳から始めました。フェンシングは「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目にわかれていて、私ははじめ「フルーレ」でしたが、「サーブル」に転向しました。「フルーレ」と「エペ」が「突き」だけなのに対し、「サーブル」には「斬り」もあるため、動作が大きくダイナミックでスピード感があり、一瞬で勝負がつくのが魅力です。

壇上で競技用の義足に履き替え、実演する大西選手

当社社員を前に、「斬り」を実演する江村選手

※フルーレ・・・「優先権」があり、先に攻撃をした選手に「優先権」が与えられる。相手選手がその攻撃を防げれば、相手選手に「優先権」が渡る。攻撃は「突き」で、胴体が有効面となる。
エペ・・・「優先権」がないため、先に突いた選手にポイントが入る。攻撃は「突き」で、全身が有効面となる。双方が同時に突いた場合は、双方にポイントが入る。
サーブル・・・フルーレと同様に「優先権」がある。攻撃は「突き」と「斬り」で、上半身が有効面となる。

競技を続けるための
「モチベーション」の保ち方

――JR東日本は2018年7月にグループ経営ビジョン「変革2027」を策定し、新たな成長戦略に挑戦しているのですが、アスリートのお二人にご自身の「変革」についてお伺いしたいと思います。
――競技生活の中で挫折したりプレッシャーを感じるなどつらい時期もたくさんあると思いますが、そのようなときはどのようにモチベーションを保って乗り越えましたか?

大西選手:ロンドン2012パラリンピックで補欠となり、とても悔しい思いをしました。でも、この挫折をしたからこそモチベーションを維持できたと思います。その後、リオデジャネイロ2016パラリンピックには出場できたのですが、思い通りの成績が出せなかったため、東京2020パラリンピックを目指す気持ちがよりいっそう強くなっています。
また、私は心臓にペースメーカーを入れているのですが、「ペースメーカーが外れたら危険だから、試合には出さない」とコーチに言われたことがあり、その時も心が折れそうになりました。でも所属するクラブで仲間たちが頑張って練習している姿を見て「自分がここで負けてはいけない」と思い、医師から診断書をとって、諦めずにコーチを説得しました。所属するクラブは私にとって、とても大切な場所でモチベーションにつながっています。

江村選手:私は父がオリンピックのフルーレ代表や監督、コーチの経験者で、母がフェンシング世界選手権のエペ代表の経験者ということもあって、試合で結果を出したときに「江村さん夫妻の娘だから」という声が聞こえてきたことがありました。もちろん両親にも支えられてきましたが、私は「自分が努力してきた結果だということを証明したい」と思うことがモチベーションになりました。苦しくてフェンシングをやめようと思ったこともありましたが、負けず嫌いなので「将来、ライバルがテレビで活躍している姿を見るのは嫌だ」と思うとやめられませんでした(笑)。

力になっている言葉

――周りの人から言われて嬉しかった言葉や、力になった言葉はありますか?

大西選手:数年前、膝から下を切断した高校生に「若いのに大変だったね」と話したら、「そんなに大変ではなかった。小学生のとき、学校にパラリンピックの選手が来てくれたことがあり、足を切断したくらいで何もできなくなるわけではないと聞いていたから」と言われました。その言葉を聞いて「自分にもできることがある」と思えたことを覚えています。それまでは講演会の依頼がきても断っていたのですが、私が明るく元気に話したり走ったりする姿を見せるだけでいいんだと思い、講演会の依頼を引き受けるようになりました。

江村選手:中学生の頃、いつも一緒に練習をする仲間が2人いたのですが、いつも自分が3番手でした。そんなとき母から「ウサギと亀なら亀がいいんじゃない?」と言われて、「今はだめでも、あとで勝てばいいや」と思えました。自分のことを一番わかっている母から言われた言葉だったからこそ、心に響きました。

大会に向けての「目標設定」

――大西選手は、今までの目標設定から東京2020パラリンピックに向けて、何か変わったことはありますか?

大西選手:私はこれまでに北京2008パラリンピックは観客、ロンドン2012パラリンピックは補欠選手、リオ2016パラリンピックは選手として、3つのパラリンピックを見てきて気づいたことがあります。それは自国開催の選手は強いインパクトがあり、その選手の皆が観客を沸かせるパフォーマンスをしていたということです。今まではメダルをとりたいとばかり考えていましたし、今もそれはありますが、東京2020パラリンピックを目指す自国開催の選手としては、高いパフォーマンスをして観客を盛り上げなければいけないとも思っています。

江村選手:今までは目の前のすべての試合に全力で向かっていましたが、昨年腰を疲労骨折してしまってことをきっかけに、とにかく一番の目標である東京2020オリンピックに出場することに集中するようにしました。今では自分の体とも相談し、大事な試合にピークを持っていくように自分をコントロールするようにしています。

「チームワーク」について

――競技ではチームワークも重要だと思いますが、江村選手はチームワークについてどのようにお考えですか?

江村選手:私は今までは個人で勝利したいという思いが強かったのですが、2017年に参加した大会の団体戦で金メダルを取ってから、チームで勝利する喜びを知り、みんなで勝ちたいと思う気持ちが強くなりました。個人で戦うけれど得点はチームでひとつなので、チームの雰囲気がとても重要です。誰かが崩れたときにどうカバーするかを考えたり、自分がうまくいかなくてもチームの雰囲気を崩さないようにしようと意識をするようになりました。また、今まではコーチがチームをまとめていましたが、自分は後輩だからと遠慮せず、選手同士で話し合いをしてチームをまとめていこうと自分から声をかけています。

大西選手:義足を使っての競技ということもあり、義肢装具士さんとのチームワークがとても大事だと思っています。いつもお世話になっているのは義肢装具サポートセンターの臼井さんという方で、著名なベテランの方ではあるのですが、大きな目標のために、遠慮せずに会話を交わすようにしています。また国内ライバルの選手についても、義足情報や海外選手の事情などについて、よく情報交換をしています。ライバルでありながら、チームJAPANとして情報を共有できる関係にあり、切磋琢磨しています。

おもてなしの際に心がけること

――東京2020オリンピック・パラリンピックで、おもてなしの際に心がけることはありますか?

大西選手:北京でもロンドンでもおもてなしという意味では、ボランティアの方々にお世話になりました。その中で、一番印象に残っているのは、フレンドリーに接してくれたこと。ボランティアに限らず、街で出会った人々からも声をかけてもらい、「この国に来てよかった」と思いました。JR東日本の方々も、大会期間中、大会を盛り上げるという気持ちを持って、フレンドリーにおもてなししてくださったら、選手としてとても嬉しく思います。

江村選手:私も同じ意見です。フレンドリーに、にこにこ話しかけてくれると嬉しいです。日本の選手だけでなく、世界中の選手や観客の方にも同じようにエールや声を送ってくださったらいいなと思います。

JR東日本へのご意見

――最後に、鉄道をご利用になる立場として、JR東日本に「こうなったらいいな」というようなご意見をお教えください。

大西選手:バリアフリーはとても進んでいるので感謝しています。ただ、駅で西口から入ったけれどエレベーターやエスカレーターがあるのは東口、というようなことがあります。今から設備を増設するのは難しいと思うのですが、東京2020オリンピック・パラリンピックのときには車椅子の方が利用することも多くなると思うので、分かりやすい案内をもう少し増やしていただければと思います。

江村選手:私は、大分出身なので、東京の電車は難しく感じます。東京2020オリンピック・パラリンピックでは東京以外の方々がたくさん来て、戸惑ってしまうと思うので、案内が増えてもっとわかりやすくなるといいなと思います。

 お二人の競技や大会に対する考えや想いをお聞きして、その強さとまっすぐな姿勢からパワーをいただきました。また、当社としても、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、旅客鉄道輸送サービスパートナーとしての意識をいっそう高めていく機会になりました。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

大西瞳選手
1976年11月14日生まれ。東京都中野区出身。「切断者スポーツクラブ スタートラインTOKYO」に所属。リオデジャネイロ2018パラリンピックの女子走り幅跳びで6位入賞、100mで8位入賞。

[ひとこと]
「義足は走り出しは遅いけれど、スピードにのると速くなります。そこが面白いと思います。また、走り幅跳びは義足で踏み切るので、そのバネの感じにもぜひ注目してみてください。」

江村美咲選手
1998年11月20日生まれ。大分県大分市出身。中央大学に所属。2014年南京ユースオリンピックの個人戦で4位入賞。2018年フェンシング全日本選手権の個人戦で優勝。

[ひとこと]
「フェンシングのダイナミックさやスピードを感じてもらいたいです。選手は点を入れたときに『ヒャー!』っと大きな声を出して自分を盛り上げます。その雄叫びは、実はどの競技よりも激しいのではないかと思います。」

特集

特集2018/12/7

パラカヌー日本代表の瀬立(せりゅう)モニカ選手の講演会を開催しました!

2018-12 7

パラカヌー日本代表の瀬立(せりゅう)モニカ選手の講演会を開催しました!

 瀬立(せりゅう)モニカ選手は、筑波大学の体育専門学群3年生で、大学での勉学に励みながら、東京2020パラリンピックに向けて、日々パラカヌーのトレーニングに取り組まれています。
 今回は、平昌2018オリンピック・パラリンピック冬季のタイミングで放映した、当社のテレビCM「『たくさんのRESPECT』篇」に出演してくださったご縁で、当社グループ社員に向けて講演会を行なっていただきました。

※テレビCM「『たくさんのRESPECT』篇」より

 瀬立選手は東京都江東区出身で、中学生の頃から地元のカヌー協会のカヌー部に所属して、2013年の東京国体への出場を目指していました。
 しかし高校1年生のとき、体育の授業中にバランスを崩して転倒し、ケガを負ってしまいます。そのケガが原因で車椅子生活が始まりました。
 瀬立選手がつらいと感じたのは、入院生活を終えてから。満員電車で嫌な顔をされたり、エレベーターに乗せてもらえなかったり・・・。また「モニカは車椅子だから。」と友達に気をつかわれるのが嫌で自分の意見を言えなくなってしまったそうです。

 そんなとき、地元のカヌー協会からパラカヌーに誘われました。「カヌーなんてできない。」そのことを証明するために、あえてカヌーに乗ってみたところ、転覆しにくいカヌーが用意されていたため、「意外と乗れちゃった。」と笑顔で振り返ります。これをきっかけに、パラカヌーで東京2020パラリンピックを目指すことを決意したそうです。
 瀬立選手は、すぐにパラカヌーの楽しさにも気づきました。「水上では段差がなく、バリアフリー。水面をはっていくアメンボになったような感覚で気持ちのよさも感じます。」と、パラカヌーの魅力を教えてくれました。他人から「車椅子でかわいそう。」と思われるのは嫌だったけれど、「カヌーをしたいから。」と電車に乗り、学校へ通うようになりました。
 パラカヌーは、リオデジャネイロ2016パラリンピックから正式競技となり、瀬立選手は競技を始めてから2年足らずで日本人選手第一号として出場し、8位に入賞しました。しかし世界のレベルの高さを目の当たりにして、むしろ挫折感を味わったそうです。
 それからはトレーニング内容や練習環境などを見直したと言います。大学の授業で習ったことをトレーニングに取り入れたり、大学側に練習環境の整備を交渉したり、自分から動いて声を出すことで、まわりの人々から「手伝おうか?」と声をかけてもらえるようになりました。

 リオデジャネイロ2016パラリンピックでは、世界各国のパラリンピアンたちから刺激を受けて“自分で自分の限界を決めない”ということも心がけるようになりました。また、競技以外の私生活でもハワイでスカイダイビングをしたり、成人式で車椅子用の着物を着たりするなど、さまざまなことにチャレンジしています。「障害があって社会に出られずに困っている方々へ向けてメッセージを発信していくことが、パラリンピアンとしての使命」だと話します。
 また、お母さまからも大切なことを学びました。“笑顔は副作用のないクスリ”。この言葉通り、瀬立選手は常に笑顔で、講演会でも笑いをまじえて、みんなを笑顔にしてくれました。

 最後に、鉄道についての考えもお聞きしました。
 「3年前に免許をとってからは車を運転していますが、社会性を身につけるために、ときどき電車に乗るようにしています。駅員さんが笑顔でサポートしてくれたり、エレベーターで一緒になった方とお話ししたりと出会いがあるのが楽しい。思い切って電車に乗ってよかったと思います。つい吊り革で懸垂したくなってしまいますが(笑)。」
 当社にとっての課題もいただきました。
 「突然1人旅に出たいと思いついてもすぐに行動できないのが残念・・・。とくに都会で車椅子生活を送っている方の中には車を持っていない方も多いので、もっと気軽に電車に乗れるようになったらいいなと思います。」

 瀬立選手が出場予定の「カヌースプリント」については、「レースが200mなので40秒から1分くらいで勝負がつきます。まるで陸上の短距離走や競走馬を見るような感じです。スピード感や迫力、水しぶきに注目してください。」と見どころを語ってくれました。
 瀬立選手が出場するパラカヌーの試合は2020年9月3日~5日に海の森水上競技場で行なわれます。ぜひ皆で一緒に応援しましょう!

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020大会の運営支援を行なっていきます。

瀬立(せりゅう)モニカ選手
1997年11月17日生まれ。東京都江東区出身。江東区カヌー協会に所属。2016年リオデジャネイロ2016パラリンピックの女子カヤック部門のシングル200mで8位入賞。クラスはL1(障害の程度によって3つのクラスに分かれる)。
(※参考URL:https://monikaseryu.com/

「最近のマイブームは囲碁。大学の授業でプロ棋士に教えてもらってから、アプリを5つダウンロードするくらいハマってます。持ち運べる囲碁盤を用意しているので、試合の合間のリラックスしたいときにやりたいなと思っています。もちろん私が勝つまでやります(笑)。」

取組み

取組み2018/11/21

ボッチャ部(仮称)の活動開始しました!

ボッチャ部(仮称)の活動開始しました!

013_page01.jpg 2018年11月21日より、東京2020パラリンピック競技大会で開催されるボッチャの活動組織、「ボッチャ部(仮称)」がスタートしました!

013_page02.jpg 月2回の活動を目標に、当社のみならず、多くのグループ会社の方々にも参加いただき、活動を行っております。

013_page03.jpg 今後もボッチャをはじめパラリンピックスポーツに対する理解やダイバーシティの促進、東京2020パラリンピック競技大会に向けた気運醸成に取り組んでまいります。

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