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特集

特集2020/03/27

義肢装具士 臼井二美男さんの講演会を開催しました!

2020-03 27

義肢装具士 臼井二美男さんの講演会を開催しました!

写真左:水谷憲勝さん、中:臼井二美男さん、右:須川まきこさん

今回は、義肢装具士の臼井二美男さんに、当社社員に向けて講演会を行っていただきました。臼井さんは、30年以上にわたって、義肢装具士として切断障がい者の義足製作に携わり、切断障がい者のスポーツ参加をサポートしてきた、この分野の第一人者です。シドニー2000パラリンピック以降、リオ2016パラリンピックまで5大会連続で日本代表選手のメカニックとして同行しています。
この日は、臼井さんが設立した切断障がい者のための陸上クラブの選手会長 水谷憲勝さん、義足のアーティスト・イラストレーターの須川まきこさんも登壇され、義足ユーザーとしての思いを語ってくださいました。

できないのではなく、やらなかっただけ。

 冒頭、臼井さんは「実物に触る機会はめったにないと思うので、ぜひ触ってみてください」と、小学4年生の男の子が使用していた義足と、シリコン製の義手を会場内に回覧しました。参加者の皆さんは、実生活の中で使用されていた義足や義手を手に取り、その構造や重さ、感触などを興味深い面持ちで確かめました。続いて、臼井さんが設立した陸上クラブの活動が取り上げられたニュース映像を紹介してくれました。その中で登場した女性は、小学校2年生のときに病気で足を失い「走ることを諦めていた」と語っていました。その気持ちを変えたのが、臼井さんたちとの出会いです。

スポーツ用の義足は筋力が弱いとうまく履きこなせないため、はじめは転んでしまうこともあったようですが、トレーニングを重ねて走れるようになってくると“諦めていた気持ち”に変化が現れます。そして小学校1年生の運動会以来、実に11年ぶりに陸上競技の大会に参加し、見事に完走! 現在も、臼井さんのクラブで走り続けているそうです。
「できないのではなく、やらなかっただけなんだ」と気づいたこの女性のように、障がいのために走ることを諦めていた人たちも、自身の持つ可能性を知ると「頑張ろう!」と思えるようになると臼井さんは語ります。

歩くことからはじめ、「走りたい」という気持ちをサポート。

義肢装具士として臼井さんが勤務するのは、義肢装具の製作から装着訓練に至るまで一貫したサービスを提供する、民間における国内唯一の総合的なリハビリテーション施設です。30名の義肢装具士が所属し、施設ではもちろん、各地の病院や身体障がい者更生相談所に出向いて義肢装具の相談や製作を行っています。また、付属診療所には医師や理学療法士が所属し、義肢や装具を作るための医学的診断やリハビリテーションなども行っているそうです。

 最近は、義足に特化したリハビリテーション、筋力トレーニング、ストレッチなどを行っていることがテレビやインターネットで紹介されることも多く、難しい症例の方が全国から訪れるようになったといいます。現在は、約5000名の方が定期的に施設へ通っているそうです。
「せっかく義足を作っても、筋力がないと履きこなせないこともあります。まずは入院中に固くなった股関節やひざ関節を揉みほぐし、歩くための体づくりから始めることが大切なんです。」と臼井さんはリハビリテーション施設の重要性を語ります。
また、東京2020パラリンピック競技大会開催を控えて盛り上がりを見せているのが、臼井さんが設立した陸上クラブの活動です。30年前には約4名で発足したクラブでしたが、現在のメンバーは218名。中には理学療法士や若手の義肢装具士、ボランティアの方々も含まれており、今もメンバーは少しずつ増えているそうです。
「ここで指導しているのは『義足で走る』ことです。義足ユーザーは、歩くことはできても走ることは難しいのが現実です。そういったことに気付いたのが30年前でしたが、欧米に目を向けると、当時からパラリンピアンが出ています。日本は『障がい者もスポーツをやる』という意識が遅れていることに気づき、それ以来『パラリンピアンのように走れなくてもいいから、とにかく外に出て体を動かそう』と声をかけ合い、活動を続けています。」と設立時からの思いを語ってくださいました。

 練習は基本的に週1回。臼井さんや理学療法士が付き添い、伴走しながら走り方を指導しているそうです。まずは“走りやすい義足”を参加者に貸し出し、少しずつ大会出場を目指していきます。その一方で、競技目的ではなく純粋に「走りたい」という気持ちから参加する60代、70代の義足の方も増えているそうです。現在は、小学校3年生から75歳まで、とても幅広い年齢層の方が参加しているといいます。
「パラリンピックアスリートを育成したいと考えると10代の方に頑張って欲しいという思いはありますが、高齢の方が『外に出たい』『走ってみたい』と考えるのはとてもいいことです。日本全体の高齢化が進む今日、障がい者スポーツの意義はそこにもあるのかな、と考えるようになりました。実際、3歳でも75歳でも『走ってみたい』という強い思いを持つ人はいるし、その思いをサポートしていると、自然と目標を持って上を目指す選手が出てくるものです。だからこそ、だれでも幅広く受け入れることを心がけています」と障がい者スポーツに挑戦することが多くの人の生きがいにつながっているといいます。

スポーツに取り組むことで、自立意識が生まれる

 ここで臼井さんは例として、13歳で両足を膝上切断した女性の取り組みを紹介します。
「一般に、両足膝上切断だと車椅子で生活する人が多いんです。でも彼女は、テレビでパラリンピックを見て、海外には自分と同じ状態でも車椅子を使わずに走っている選手がいることを知ったんです。歩くだけではなく『走りたい』と考え、チャレンジしてきました。」と語ります。普通の義足で歩くことからトレーニングをはじめ、杖を使わずに通学できるようになりました。大学進学後はパラ陸上部に所属し、大会で両足を膝上切断した人たちの階級であるT61クラスで世界記録を出しました。

 「両足切断で走れる人は、世界的にも多くはありません。けれど、先端技術を取り入れて義足が進歩したこともあり、走るための環境は整ってきています。スポーツに取り組むことは、体幹が強化されてバランスが良くなるだけでなく、自立意識を生む効果もあるので、ぜひ多くの人に挑戦して欲しいですね」と障がい者スポーツを通じて、日々周囲からのサポートを受ける切断障がい者の方が自立意識をもてるようになることの重要性を語ります。
一方で、障がい者が利用できるスポーツ施設は、まだ47都道府県のすべてに開設されるには至っていません。また、生活用義足とは違い、障がい者スポーツ用義足には公費のサポートがないため、育成段階では経済的に厳しい状況が続いているそうです。

自分の体を受け入れるプロセスとして絵を描く

 「障がい者スポーツの観点でお話をしてきましたが、走るのが苦手な人、もともと運動音痴の人など、スポーツに拒否反応を示す人はけっこう多いんです」と臼井さんは語ります。そうした人たちにも前向きになって楽しんで欲しい。そんな思いを義足のアーティスト 須川さんと共有する中で始まったのが、義足ファッションショーです。
須川さんは、14年前、悪性肉腫のために股関節切断という大手術を経験し、義足を履くようになりました。

 「命に関わる病気になり、さらに義足という二重の衝撃が受け入れ難く、辛い時期を過ごしました。」と語り始めます。もともとデザイン事務所に勤務し、イラストを描いていたことから、「自分の体を受け入れるプロセスとして」義足の女の子を描き始めたそうです。
「足を失った自分の体にすごくコンプレックスを感じました。でも、ファッション雑誌に並んでいても違和感のない“キレイな義足”があれば、自分の体を受け入れられそうな気がしたんです。そこで、まだ入院中で点滴も取れていない時期から、ベッドの上で義足の女の子のイラストを描き始めました。」と語ります。須川さんが足を失ったのは31歳の時。イラストを描くことで少しずつ自分の体を受け入れることができたそうです。
「でも、10代で思春期の女の子が義足になったらどうやって乗り越えるのだろう?」
そう考えた須川さんは、自分が描いたイラストを“義足の後輩たち”に見せました。するととても喜んでくれたため、その後は個展を開くたびに“義足を履いたキレイな女の子”のイラストを描くようになったそうです。

認識が変われば、見える風景も変わる

 絵を描くことで自分の病気と障がいを乗り越えてきた須川さんは、さらに一歩踏み出し、ファッションショーの企画を手がけるようになりました。
「発端は、2011年に原宿でゲリラ的にファッションショーをやろう、という企画でした。実はその頃、私はまだ自分が義足であることを隠しがちだったんです。でも企画を通じて『義足だけどこんなに元気に、ファッショナブルにすごしているよ!』ということを、地方にいてなかなか義足の情報を知らない方や、義足のために外出を躊躇している方への思いもあって、全国発信したいと思ったんです。」と須川さんは当時の思いを語ります。

 義足を隠すことなく原宿の街を闊歩する須川さんの姿に、当時は賛否両論があったといいます。それでも須川さんは「時代はきっと私たちの価値観に追いついてくる」という強い信念を持って表現し、発信することを選び、今日まで頑張ってきたのです。
ここで須川さんは、2016年に行われたファッションショーの映像を紹介してくださいました。参加メンバーのコスチュームは義足がキレイに見えることを重視して須川さんがデザインしたものだそうです。

 「ステージに立つことの醍醐味は、普段はコンプレックスに感じている義足がチャームポイントになることです。義足を主役にして、堂々と見せられることが気持ち良くて。『認識が変われば見える風景も変わる』ことを経験できたことが、すごく良かったです。」と自身の義足に対する認識が変わることで、周囲からの認識も変えていくことができることに気づいたそうです。

 東京2020オリンピック・パラリンピックを機に、共生社会の実現が課題となっていますが、共生社会の理念はまだまだ浸透しているわけではありません。須川さんが示唆する通り、「共生社会の実現という価値観に『追いついてくる』時代を、私たちみんなで創っていくことが大切だと感じました。

風を切って“走る”ことの気持ち良さ

 続いて、臼井さんの陸上クラブで選手会長を務める水谷憲勝さんが登壇しました。水谷さんは2001年にバイクの事故で足を切断。自分に合う義足が見つからずに困っていたところ、臼井さんと巡り会い、義足で自然に歩くことができるようになったそうです。そして臼井さんの誘いを受け、障がい者陸上クラブの設立に参加しました。
「初めて板バネのスポーツ用義足を履いた時は、昔の“走る実感”が戻ってきたように感じました。」と水谷さん。そこから半年ほどトレーニングを重ね、全力疾走ができるようになったそうです。

 水谷さんには会場で、スポーツ用の義足を使った走りを実演いただきました。あっという間に生活用からスポーツ用の義足に履き替え、会場内の通路を想像以上のスピードで疾走。そのまま会場の壁を突き抜けてしまうのではないかと思われる力強い走りを間近に見た参加者からは、感嘆の声とともに拍手が湧き起こりました。

 ここで臼井さんが「水谷さんは何気なくやっていますが、これは膝周りの筋力があるからできるんです。初心者はなかなかうまくいきません」と、解説。その上で「たとえば30年後には、日常生活も全力疾走も、すべて一つの義足で対応できるようになるかもしれない」と、未来の可能性を語ってくださいました。

駅と鉄道の設備に期待すること

 ここからは臼井さんと、義足ユーザーのお二人に、駅や鉄道を利用する際に感じることについて、忌憚のない意見を伺いました。
関西出身の須川さんからは、「大阪の鉄道車両は優先席のカラーリングが目立つのでわかりやすくていい」と、アーティストならではの意見をいただきました。
水谷さんは、「駅のエスカレーターはなぜ上りばかりなのでしょう」と疑問を提起。「誤って踏み外すと一番下まで落ちてしまうから、本当は下りの方が怖いんです。できれば下りエスカレーターを優先して設置してほしい」という思いを語りました。ただ全体としては、エスカレーターや洋式トイレを備えた駅が多くなっているので、「車椅子を必要とする人でも外出しやすくなった」と評価してくださいます。

 また、臼井さんは「これまでアテネとロンドンで地下鉄に乗ったが、ロンドンやヨーロッパの方は車いすや足の悪い方に対して反応が早く、反射的にすぐに席を立って、ちゃんと声をかけます。それに比べると日本人は、考えてから動いている。以前よりは席を譲る人が増えてきたと思うけれども、スマートフォンなど個人の時間に没頭していて、なかなか気づけない。」と世界と日本との意識の差を語ります。
また「やはり安全がまず第一に重要であり、次にサービス。そのサービスのなかで、より様々な方にどこまで寄り添うことができるかが大切な時代がやってくる」とお話しいただきました。

 参加者からは「地方駅の中には、設備や係員の配置が十分でない駅もたくさんあります。そうした駅で不便を感じた経験があれば、ご意見をお願いします」と質問がありました。
須川さんは「最近は田舎の駅でもエレベーターが設置されるようになったので、とても助かっています。でも、設備もなく係員さんもいない駅に、それと知らずに降りてしまったらどうするんだろう、と思ったことはあります」とのこと。臼井さんからは、「地方だと、自分でボタンを押すことによって車両のドアの開閉をするものがありますが、車いすの人にとってはぎりぎり届く高さのように思います」とお話いただきました。
お二人の意見を受けて、社員同士の連携とコミュニケーションの重要性と、普段からの「声かけ・サポート」の大切さを改めて考えるきっかけとなりました。

 3名の方のお話を踏まえ、個性がそれぞれ輝く共生社会の実現に向けて、私たちができることについて考え続け、行動につなげていきたいと思います。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。
 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

臼井二美男(うすいふみお)
1955年群馬県生まれ。28歳から義肢装具士として義足製作に取り組む。89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作を開始。91年、切断障がい者を対象とした陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」(現・スタートラインTOKYO)を設立、多くのパラリンピアンを輩出している。義足を必要としている人のために日々研究・開発・制作に尽力している。

特集

特集2020/03/27

東京2020パラリンピック日本代表内定のパラ水泳・木村敬一選手の講演会を開催いたしました!

2020-03 27

東京2020パラリンピック日本代表内定のパラ水泳・木村敬一選手の講演会を開催いたしました!

 今回は、ロンドン2012パラリンピック、リオデジャネイロ2016パラリンピックメダリストで、東京ガス株式会社に所属するパラ水泳の木村敬一選手に、JR東日本社員に向けて講演会を行っていただきました。講演に先立ち、東京ガスの東京2020オリンピック・パラリンピック推進部長である八尾祐美子さんにもお話をうかがいました。

東京ガスが目指す
東京2020大会後の未来

 2015年より東京2020大会のオフィシャルパートナー(ガス・ガス公共サービス)である東京ガスでは、東京2020大会を迎えるにあたり、「大会運営への支援・貢献」と「共生社会実現に向けた機運醸成」という2つの柱を掲げ、さまざまな活動を行っています。「大会運営の支援・貢献」では、安全安心な大会の成功を目指したエネルギー面での先進的な取り組みとして、大会会場のひとつである武蔵野の森総合スポーツプラザへ導入している、空調システムにガスを供給しております。「共生社会実現に向けた機運醸成」では、パラリンピックスポーツの観戦応援(2018年度のべ約1600人の社員が参加)や、東京ガスや関係会社に勤めるアスリートによるパラリンピックスポーツの体験会実施といったパラリンピックスポーツの支援に加え、片手でも楽しく簡単にできる料理方法の提案(「片手でクッキング」)、車いす利用社員のガス工事現場同行による作業員への啓発機会提供など、多岐に渡る取組みを行っています。

パラリンピックスポーツの支援を通して得られること

 八尾さんは、パラリンピックスポーツの支援を通して得られることは大きいとも話してくださいました。
「パラリンピックスポーツ大会の会場では、その種目に応じさまざまな障がいを持つ方を目にすることができます。パラリンピックスポーツを体験、観戦することで、障がいが身近な存在になります。そしてごく自然に認識し、配慮できるようになるのです」
 現在、日本は超高齢化社会、外国人増加によるグローバル化、加齢とともに身体が不自由になる加齢障がい者の増加などの課題に直面しつつあります。

多様な人々への自然な配慮ができるようになれば、それぞれの立場に立って本当に必要とされるサービスを考えることができます。この多様化した現代社会において、社会課題の解決は私たち企業人にとっての共通の課題であり、またビジネスチャンスでもあるはずです。

木村選手と水泳の出会い、
パラリンピック体験談
~“自分がどうしたいか”が大切~

 続いて、いよいよ木村敬一選手の登場です。
「こんにちは!」とさわやかなあいさつから始まり、まず聞かせてくださったのは、水泳との出会いとパラリンピックの体験談です。木村選手が水泳を始めたのは10歳の時です。滋賀県で生まれた木村選手は、生まれつき全盲でありながら体を動かすことが好きで、安全に思いきり体を動かせるようにとスイミングスクールに通い始めました。中学校は、「大勢の中でさまざまなことを学んでほしい」とのご両親の考えに背中を押され、東京都内の視覚特別支援学校に入学。寮生活をしながら水泳部で練習に励み、中学3年生の時、19歳以下の視覚障がい者による世界大会で日本代表に選ばれるほどの実力に。それが、パラリンピックという舞台を意識するきっかけになりました。高校時代は水泳部で一人黙々と練習に打ち込む日々を過ごし、2008年、高校3年生で初めてのパラリンピック出場を手にしました。

 大学入学後は水泳普及研究会に所属し、健常者の仲間と練習に励みました。そこで知ったのは、「集団で練習するすばらしさ」。隣で頑張る仲間の存在がいかに人を動かすか、を思い知らされたそうです。2012年、大学4年生の時にロンドン2012パラリンピックに出場し、念願のメダルを獲得することができました。
「ここまでが多分、自分のアスリートとしての折り返し地点かなと思います」と木村選手。
東京ガスに入社し、次なる目標は金メダル。リオデジャネイロ2016パラリンピックに向けて走り出した木村選手は、大学時代の水泳の恩師(野口智博先生)にコーチング指導を受けるとともに、外国人選手に負けない肉体づくりを目指して食生活も改善。朝練習後からエネルギーをしっかり確保できる食事を1日5食食べ続けたそうです。
 そうして臨んだリオデジャネイロ2016パラリンピック。三種目が終了し、銀・銅メダルは獲得できましたが、目標としていた金メダルには届きません。そのうえ、ハードなスケジュールがたたり疲労はピークに。見かねたコーチから、四種目の決勝は欠場も提案されたそうです。しかし木村選手は悩みに悩んだ末、「泳ごう」と決断。そのとき自身ができる限りの準備を行い予選7位から順位を上げ3位に。4枚目のメダルを獲得できました。
「この5日間は人生で最も苦しい時間でしたが、泳ぎきった自分に誇りを持ってもいいかなと今は思えます。それに最終的に人間って、“自分がどうしたいか”だけで動けるんだと知ることができたのは、リオでの収穫でした」
 私たちの知らない厳しい舞台の裏側まで教えていただくことができました。

パラ水泳の特徴と楽しみ方

 次に聞かせてくださったのは、パラ水泳の特徴についてです。ルールは基本的に水泳競技と同じですが、パラ水泳は障がいの程度に応じてクラスが分かれ、同レベルの障がいの選手同士が競い合うのが原則です。視覚障がいでは、全盲の木村選手がいる最重度のクラスをはじめ、3段階に分かれます。また、一般の水泳と比べて泳法に違いはありませんが、大きく2点の違いがあるそうです。1点は、壁の接近を知らせる「タッピング」。特製の棒を使いプールサイドから選手の体を軽く叩くのだそうで、会場では実際に使用しているタッピングバーが回されました。

肩幅より長いサイズで、棒先の丸くて大きなスポンジのような素材はビート板を切り抜いたもの、柄は釣り竿を利用しています。
 「水泳においてターンとタッチはタイムや順位を左右する重要な局面になります。パラリンピック水泳をご覧になる時は、タッピングのスキルや選手とタッパーとの呼吸にも注目すると面白いと思います」
 もう1点はゴーグルです。不正防止のため、レンズを黒く塗りつぶし光が入らないよう加工し、目隠しをして泳ぐことが義務付けられています。

 「日本の選手はメーカーに特注したゴーグルを使っていますが、海外ではレンズをただペンキで塗り潰すだけ、という国もあります。タッピングの棒も、モップの柄とテニスボールの組み合わせだったりするので、日本の細やかなこだわりはすばらしいと感じます」
 パラ水泳、特に視覚障がい者のレースでは、一部のルールや用具など一般の水泳と多少の違いはありますが、基本的なルールは同じで誰が一番速いかを決めるだけなので、レース自体楽しく見ていただけるのではと木村選手はお話しくださいました。

ボルチモアを拠点として学んだ「やるべきことをすべてやる大切さ」

 木村選手は、2018年春からアメリカのボルチモアに練習拠点を移しています。目標としていた金メダルに届かなかったリオのパラリンピックを終え、次の4年間を同じ熱量を持って過ごすため、大きな刺激を取り入れて自分を磨こうと考えての決断でした。新たな地では語学学校に通い苦手な英語の習得にも力を入れているそうです。現地の大会にも出場し、アメリカ人のタフさも目の当たりにしました。
「試合中の食事は、日本人選手ならレースによる内臓疲労を考慮して、消化のいいうどんかそばを選ぶことが多いですが、彼らは『敬一、今日はファストフードのハンバーガーでいいか?』『今日は気分を変えてピザを食べに行こう』って言うんです」
 木村選手はユーモラスな表現で会場を盛り上げます。また、日本人が練習や試合の前後に当然のようにじっくりと行うウォーミングアップやクールダウンも、彼らはほとんどしないといいます。
「それは瞬時に力が発揮できる体だから。私が真似をしてもケガをするので、今は日本にいた時よりも体のケアを行うようになりました。ケアやテクニックなど、日本人は勤勉だからやるのではなく、勤勉になってできることを全てこなさなければ世界で戦うことができないのだとアメリカで学ぶことができました」

東京2020大会への想い

 東京2020パラリンピックについて思うことも聞かせてくださいました。東京2020大会の開催決定を機に、試合では多くの歓声に包まれるようになり、選手として幸せを感じるといいます。
「本番ではこれ以上の大歓声の中で泳げると思うと、今から楽しみでしょうがないです」
しかし、オリンピック、パラリンピックの合同イベントが増え、肩を並べて表現される機会が増えても、木村選手はオリンピック選手への尊敬の念を持ち続けています。
「小さい頃から激しい戦いを勝ち抜いた天才たちが出場できる場がオリンピックだと思っています。一方、パラリンピックの選手層はまだまだ決して厚くありません。僕たちパラリンピック選手は、オリンピック選手に対するリスペクトを忘れてはいけないと思っています」
東京2020大会への盛り上がりが加速する波の中で、最高の競技パフォーマンスが求められていると日に日に実感しているという木村選手。その期待に応えてくれる瞬間を、ぜひとも会場に足を運び、大歓声の応援とともにしっかりと目に焼きつけたいものです。

視覚障がい者の一人として、鉄道へのご意見

 視覚障がい者の一人として鉄道へのご意見も聞かせてくださいました。
1つめは、視覚障がい者の転落事故のこと。誰が悪いということよりも、事故をどのように防ぐかを考えることが大事だとしたうえで、昨今はホームドアの増加はもちろん、声をかけられる機会も増えて、ホームの安全性の高まりを実感しているそうです。
 2つめは、視覚障がい者が駅で一番困ることについて。それはトイレなのだそうです。
トイレは駅構内で見つけにくく、探している時は切羽詰まった状況。ようやくトイレを見つけ向かおうとした瞬間、警備の方が声をかけてくださり、エレベーターを案内してくれた、こう聞くと特に疑問は感じませんが、問題はその状況だと木村選手は続けます。
「エレベーターを待つよりも歩くほうが、気が紛れてマシな場合もありますよね。何が言いたいかというと、人はそれぞれ希望が違いますし、こういうやり方をすれば万事解決という方法はないと思うのです。視覚障がい者にとって何にも言わずに引っ張っていかれるのは一番怖いことなので、まずは希望することに耳を傾けてもらえたらうれしいです」
ホーム上よりもコンコース、それもターミナル駅などの大きくて複雑な駅ほど困ることが多いことも教えてくださいました。また、車内で優先席を譲られることも多いという木村選手は、「正直、優先席を譲っていただいても自分が座るべきか考えてしまいます。優先席は本来どのような人が座るべきなのか、ということを改めて考えて、障がい者だからと一括りにしないほうがいいのかもしれません」
 一人ひとり、求めることは異なります。それは障がいがある・なしにかかわらず、あらゆる人に共通すること。前出の八尾さんからの「さまざまなお客さまの立場に立って、それぞれのニーズに応える」というお話にも通じるのではないでしょうか。

盛り上がった、木村選手への質問タイム

 最後は、木村選手への質問タイムが設けられ、さまざまな質問が飛び出しました。「アスリートにとって企業スポーツとはどうあるべきか?」との問いには、「どんなスポーツでも、人気があってファンも多ければ自然と応援してくれるようになり、企業もそれについてきてくれると思う。だから、まずは僕ら選手が強くなり、社会や企業に応援してもらえるようなパフォーマンスを見せることが大事なのでは」と企業、そして日本を代表する選手として回答をいただきました。

また、「海外のバリアフリーで印象的だったことは?」との問いには、アメリカのバスにはリフトが常設され、車いす利用者が常に何人も乗車していることを挙げ、「その乗降に時間はかかるけれど日本のように時間厳守ではないから成立する。でも公共交通機関としてはどうなのかを考えさせられた」と教えてくださいました。

 木村選手が投げかける具体的な例とユニークなお話の数々は、さまざまな気づきを与えてくださり、共生社会の実現のために私たちが今すぐできることは何なのかを深く考えさせてくれる貴重な機会となりました。

JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。

 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会への運営支援を行っていきます。

木村敬一(きむらけいいち)
1990年9月11日生まれ。滋賀県出身。東京ガスに所属。2歳の時に病気で視力を失い、10歳から水泳を始める。高校3年生で北京2008パラリンピックに出場し、大学4年生ではロンドン2012パラリンピックにて銀メダル1つ、銅メダル1つを獲得。リオデジャネイロ2016パラリンピックでは銀メダル2つ、銅メダル2つを獲得。2019年、ロンドンでのパラ水泳世界選手権の100mバタフライで優勝し、東京2020パラリンピック日本代表に内定。2018年4月からアメリカに拠点を移し練習に励む。

特集

特集2020/03/06

車いすラグビー日本代表チームドクター 田中洋平先生の講演会を開催いたしました!

2020-03 06

車いすラグビー日本代表チームドクター 田中洋平先生の講演会を開催いたしました!

 今回は、車いすラグビー日本代表のチームドクターであり、JR東京総合病院リハビリテーション科の医師・田中洋平先生に、当社社員に向けて講演会を行っていただきました。また、田中先生にご協力いただき、車いすラグビー日本代表の羽賀理之選手、今井友明選手が講演会へお越しくださいました。
9月20日にラグビーの世界大会が開幕し、日本中でラグビー気運が高まる中でのご講演。会場は静かな熱気と好奇心に包まれていました。

障がい者スポーツのルーツ

 講演はまず、障がい者スポーツについてのお話から始まりました。

 障がい者スポーツは、1948年、ドイツ出身のユダヤ系神経外科医であるルートヴィヒ・グットマン医師が実施した車いす患者のためのアーチェリー大会が発祥だといわれています。これは第二次世界大戦で脊髄を損傷した兵士のリハビリテーションの一環でした。
「『失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ』という言葉をグットマン医師は残しています。障がいを負うと、足が動かない、足がない、などとマイナスのことばかりに関心が向きがちですが、そうではなく、残った機能を最大限に生かすように努力しなさい、というのが先生の教えです」。

 日本でも障がい者スポーツの発展に貢献した重要人物がいます。それは、東京1964パラリンピック日本代表選手団長を務めた中村裕医師。九州大学医学部卒業後イギリスに留学、前述のグットマン医師に教えを請いました。「保護より機会を」をモットーに、障がい者の職業的自立を目指す「太陽の家」を、自身の出身地である大分県別府市に設立したほか、いくつかの障がい者スポーツの大会も開きました。その後、1989年にIPC(国際パラリンピック委員会)が設立され、シドニー2000オリンピックでは、オリンピックと同じ年、同じ場所でパラリンピックを行うことが正式に決定されます。

 そして2011年、日本の障がい者スポーツ界に関わる大きな動きが起こります。『スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない』と明記されたスポーツ基本法が制定されたのです。翌年、この法律を基にスポーツ基本計画が策定され、障がい者スポーツが国策として推進されることになりました。「リハビリテーションの医療に従事し、障がい者スポーツについて学ぶうち、障がい者にこそスポーツが必要なのではないか、スポーツが障がい者の健康増進や社会参加のきっかけになるのではないか、という思いから、私は障がい者スポーツに携わるようになりました」。

車いすラグビーとの出合い

 今、パラリンピックにはさまざまな競技があり、その数は夏季競技だけでも22競技あります。オリンピック競技と同じルールという競技もありますが、ボッチャやゴールボールなどパラリンピックにしかない競技もあります。その中の一競技である車いすラグビーと田中先生との出合いは、5年ほど前のこと。「障がい者スポーツ医の資格を取得後、日本障がい者スポーツ協会から車いすラグビーの大会ドクターを依頼される機会がありました。お引き受けして競技を見たところ、競技の激しさや戦略性に魅了されるとともに、選手が楽しそうにプレーしている姿を目の当たりにし、この競技をサポートしたいと思うようになりました」。

チームドクターの役割と夢

 1977年にカナダで考案され、2000年のシドニー2000パラリンピックから公式競技に認められた車いすラグビー。四肢麻痺など手足に障がいのある選手が、4対4の男女混合で戦うチームスポーツです。競技用車いすには、車いす同士の衝突・タックルが認められ機敏に動き回れる攻撃型と、相手をブロックするバンパーのある守備型と2タイプがあります。轟音をたててぶつかりあう、その激しさから「マーダーボール」と呼ばれることも。
 そのような激しいスポーツに携わるチームドクターとは、一体、どんな仕事なのでしょうか。「表には出ない存在なのでわかりにくいかもしれませんが、簡単に言えば、選手の活躍をコートの内外でメディカルの立場から陰で支える仕事です」と田中先生はおっしゃいます。

 その具体的な仕事内容は主に4つ。
 1つ目は、メディカルチェックを通じた体調管理と助言です。メディカルチェックは、強化指定選手であれば毎年1回必ず受けなくてはいけません。これにより、チームドクターは選手の健康状態を把握し、安全に競技に参加できるかどうかを判断します。メディカルチェックの結果でしばしば見られるものに、脂質異常症(高脂血症)や鉄欠乏性貧血があります。これらは頸髄損傷者では比較的よく見られる異常でもあります。脂質異常症や貧血については、近年、栄養士と協力して食事管理に取り組んだところ、異常のある選手を減らすことができたといいます。

2つ目は、大会や遠征でのメディカルサポート。現場での応急処置や、病院搬送の必要性の判断、遠征時のICTを利用した遠隔サポートなどがあります。車いすラグビーは健常のラグビーと違って車いす同士のぶつかり合いなので、負う外傷も異なります。車いすラグビーの競技中に多いのは、手指の骨折、肩関節や肘関節周囲の損傷などです。

3つ目は、障がいに伴って起こるコート外での病気の相談。多いのは、蜂窩織炎(ほうかしきえん・毛穴や傷口から細菌が進入して、皮膚の深い部分の組織が炎症をおこす感染症)、滑液包炎(かつえきほうえん・皮膚と骨との間にある、摩擦を軽減するための滑液包という袋状の組織がおこす炎症)といった皮膚の炎症や、褥瘡(じょくそう・床ずれ)。また、頸髄損傷による感覚の鈍さから起きる熱傷(ねっしょう・やけど)などもあるそうです。

4つ目は、アンチ・ドーピングについての相談です。車いすラグビーの選手を含めた障がい者は、自分の障がいによっては薬を使わざるを得ない場合があり、その薬が禁止薬物に該当してしまうこともあるのだそうです。そこで、チームドクターとして選手による「治療使用特例」の申請手続きを手伝うことが重要になります。なぜなら、事前にこの手続きを行うことによって、禁止物質であっても例外的に使用することができるからです。「申請には主治医による書類の記載が必要なので、チームドクターは選手と主治医をつないで申請をサポートすることも、一つの大きな仕事です」。

 チームドクターは、選手一人ひとりの障がいをよく理解し、服薬状況を把握することが必要で、適切なアドバイスや知識の啓蒙まで行うことも重要なのだということが、田中先生のお話を通して、よく伝わってきます。

 そして田中先生は、チームドクターとしての夢を語ってくださいました。「障がい者スポーツは医学的な知見に十分な蓄積がなくて、まだ手探りのところも多いのですが、私はチームドクターとして、得られた知見を車いすラグビーに還元しつつ、幅広く障がい者のために役立てたいと願っています。車いすラグビーがメダルを獲得できることはもちろんうれしいですが、それだけでなく、さまざまな障がい者がスポーツを行うにあたり、どんなケガが起こりやすいのか、どんなことに気をつければ安全にスポーツができるのか、といった正しい知識を広めるのも目標にしています」。

スポーツを通じた共生社会の実現

 田中先生が考える、パラリンピックのレガシー。それは、障がい者の健康増進、障がい者の社会参加、そして何より健常者の心のバリアフリーです。「どうしても障がい者というと、よくわからない、あまり関わりたくない、そのように思う方もいるのではないかと思います。障がい者スポーツの盛り上がりをきっかけに、健常者の方にはできるだけ障がい者を身近に感じてもらい、困っている時には気軽に手を差し伸べられるような社会になってほしいと思います。それが理想的な共生社会なのではないでしょうか」。
 日本の車いすラグビーは、2018年の世界大会で強敵オーストラリアを決勝で破り優勝しました。世界ランキングは現在(2019年9月時点)2位です。日本チームの強さを知ると、ますますこの目で試合を観戦したくなります。
 「来年の東京2020パラリンピックでは、車いすラグビーは8月26日から8月30日に国立代々木競技場で行われます。選手はきっと活躍してくれますので、ぜひ足を運んでいただいて応援してほしいです」。
 田中先生の思い描く共生社会を実現させるために、私たちにできることは何か。それはパラリンピックスポーツの試合を実際に観て応援し、生の迫力を知るということが、ひとつの大事な足がかりになるのではないでしょうか。

障がい者スポーツを垣根なしに楽しんでほしい

(写真左:羽賀理之選手 右:今井友明選手)

 講演に続いて、車いすラグビー日本代表の羽賀選手、今井選手によるトークタイムが行われました。
車いすラグビーの楽しみ方について伺うと、「健常ラグビーとは異なり、障がいが重い=筋肉量が少ないプレーヤーが、同じチームの屈強なプレーヤーのために体を張って相手をブロックし、ゴールまで導くというのが見どころです。相手チームのプレーヤーの行くルートをいかに先読みしてブロックを行うのか、というところも見てもらえるとうれしいです」と羽賀選手。

 一方、今井選手は、初めは車いす同士をぶつけるなんて野蛮な競技だと思ったそうです。
「だからこそ細かくルールがあり、それをきちんと守れば安全な競技です。車いすもぶつかるための道具であると同時に体を守るための道具でもあり、車いすラグビーはみんなが楽しめるスポーツだと思います。ですから、観る方も、障がい者スポーツとか健常スポーツとかという垣根なしに楽しんでください。カジュアルにわいわい騒ぎながら観てもらうのがスポーツの醍醐味だと思いますから」というお話が印象的でした。

 また、JR東日本のサービスについて感じることもお伺いしました。普段の移動は自家用車が多いという羽賀選手。
「電車を使う時は楽しい気分になります。ただ、やはり車いすでは自分一人で改札を通れなかったり、好きな時に電車を乗り降りできなかったりと、ストレスに思う時もあります。海外では無人の改札でも不自由なく利用できた経験があるので、障がいのある人でも自由に乗り降りできる環境が少しずつでも整っていけばいいなと思います」。お父さまがかつて鉄道の乗務員で、ご自身もその仕事に憧れたという今井選手も頷きます。「ハード面を変えることはすぐには難しいと思うので、ソフト面、いろいろな人のサポートに期待したいです。心のバリアフリーという面でも、身近な乗り物であるJRを通して人と人をどんどんつないでいってもらえたらうれしいです」。

 そんなお話を伺うと、安全で安定した誰にでも使いやすい鉄道を、私たちひとりひとりの「心のバリアフリー」を通して実現することの大切さを思わずにはいられません。

大迫力のデモンストレーション

 続いて、羽賀選手、今井選手は車いすラグビーのタックルのデモンストレーションを披露してくださいました。機敏に動けるようタイヤがハの字に開いて付いた競技用の車いすに乗った両選手は、すばやく会場の左右に分かれて距離を取り向き合います。今井選手の「いきます!」の声に合わせて、両選手はハンドリム(車いすの左右についている大車輪の外側にある、大車輪より少し小さな輪のこと)をゆっくりと数回こぎ、すーっと接近すると、真正面で衝突。ガツンと、重い金属音が会場中にめいっぱい響き渡りました。同時に、車いすがふわっと後ろに浮き上がります。想像以上の迫力ある衝撃と音に誰もが圧倒され、一瞬、会場は静まり返りましたが、すぐに拍手が湧き起こりました。

 「基本的に、真正面でぶつかることはなかなかないのですが、相手が油断している時にこのようにタックルすることがあります。車いすラグビーは倒れるのが悪いプレーで、倒したほうがナイスプレーです。ここも盛り上がる場面のひとつですね」と今井選手。倒れたほうがいけないとは意外なことで驚きましたが、本当にタフさを要するスポーツなのだと痛感します。

 また、会場からも体験希望者を募り、多くの手が上がる中、代表して2人ずつ、2組の方が挑戦することに。そのうちの1人として、司会者からの指名により阪本常務執行役員が体験することになりました。参加者たちは選手に手助けをしてもらいながら競技用車いすに乗り込み、一通りの操作方法を教わったところで、スタンバイ。選手1人と参加者1人が先程と同じように離れた位置に立ち、向かい合います。

 会場中が固唾を飲んで見守る中、いざ、タックル! 1人、また1人と、目の前でぶつかるたびに衝撃音が響き、歓声と拍手が上がりました。「衝撃が体にボーンときました」、「選手が向かってくるときも勢いがあって怖かった。これが実際の試合だったら倒れるだろうし、迫力あるスポーツだと実感できました」など、体験者たちは興奮を隠しきれない様子です。

 最後に体験した阪本常務執行役員からは、「ものすごい衝撃です。びっくりしました。講演の中でも『共生社会の実現』のお話をいただきましたが、その実現のためには、まず相手のことをよく知ることが大切なのだと思います。お話を聞き、体験し、応援するなどのことを通じて、よく知り、知識をつけて、自ら考えてみること。この繰り返しが共生社会実現への一歩と感じました。」とのお話がありました。

 今回の講演会では、田中先生のチームドクターという仕事のお話を通して、障がい者や健常者の垣根のない共生社会を実現させたいという思いを知ることができ、それには「心のバリアフリー」が必要であると私たちに再認識させてくださいました。また、日本代表選手のデモンストレーションという貴重な体験により、車いすラグビーへの関心がさらに高まり、ぐっと身近なスポーツになったことは間違いありません。

 JR東日本は、東京2020オフィシャル旅客鉄道輸送サービスパートナーとして、大会への出場を目指すアスリートたちを応援しています。

 今後も選手やサポーター、ボランティア、観戦者の皆さまを安全・安心に競技会場までお運びし、スムーズにご利用いただくための情報や、快適にご利用いただくためのサービスを提供することで、東京2020オリンピック・パラリンピックへの運営支援を行なっていきます。

田中洋平(たなかようへい)
JR東京総合病院リハビリテーション科に医師として勤務。2011年に整形外科専門医、2013年にはリハビリテーション科専門医と日本障がい者スポーツ協会公認の障がい者スポーツ医の資格を取得。
2014年に車いすラグビーと出合い、車いすラグビー日本代表のチームドクターに。国際大会でのメダル獲得に向け、選手たちを医療面でサポートする。

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