赤穂雷太
(千葉ジェッツふなばし)
&
佐藤優也
(ジェフユナイテッド市原・千葉)
6チームの注目選手や共通点を持つ選手・スタッフが、競技の枠を越えて様々なテーマでトークを行う、『京葉線プラス』限定のスペシャル企画「KEIYO TEAM6 クロストーク」。
第14回は千葉県が誇る“名門”市立船橋高校出身のお二人にオンラインで対談していただきました。ジェフユナイテッド市原・千葉の佐藤優也選手はプロ入り17年目、千葉ジェッツふなばしの赤穂雷太選手はプロ入り1年目の期待のルーキーです。世代を越えた“市船トーク”から、プロで長く続ける秘訣まで、幅広い対談をお楽しみください。
──お二人とも市立船橋高校(以下市船)出身です。佐藤選手は千葉県出身ですが、市船に進学した経緯を教えていただけますか。
(写真:本人提供)
佐藤:実は、当時のボクは高校に進学する気持ちが全然ありませんでした(笑)。一方で、市船のサッカー部でGKコーチを務める方と面識があって、ちょうど県内にいいGKがいなかったらしく、誘っていただきました。もちろん、強い高校なので憧れはありましたが、自分で行きたいと願ったわけではなくて、たまたまお話をいただきました。
──赤穂選手は石川県出身ですが、なぜ市船へ進学したのでしょうか?
(写真:本人提供)
赤穂:家族の影響がありました。2つ上の姉(赤穂さくら/元日本代表)と、双子の妹(赤穂ひまわり/現日本代表)が市川市の昭和学院中学に通っていました。県大会などで目にする機会が多く、自然と市船のバスケ部でプレーしたいと思うようになっていきました。
佐藤:昭和学院ですか。ボクの地元の市川市ですね。中学生の時の担任の先生が、昭和学院で校長先生か教頭先生になっています。赤穂選手とボクには他にも共通点がありそうですね。ちなみに、新潟アルビレックスBBでプレーしていて、今年引退した鵜澤潤さんは知ってますか?
赤穂:もちろん、知っています。自分が高校2年生の時に、OBとしてバスケ部を教えに来てくれました。うれしかったので、よく憶えています。
佐藤:ボクが在学中に教育実習生として来たのが、鵜澤さんだったんですよ。SNSなどを通じて、今も連絡を取っています。やっぱり、いろいろと接点がありそうだね(笑)。
──では、市船の思い出について語っていきましょう。
佐藤:ボクは体育科だったのですが、赤穂選手も体育科ですか?
赤穂:そうです。そこも共通点ですね。
佐藤:体育科の校舎は、3つの体育館に囲まれていました。どこへ行くにも、体育館を通らないといけない(笑)。普通科とのコミュニケーションを求めて休み時間に行こうとしても、時間が足りないぐらいでした。そもそも、体育科と普通科の生徒はあまり出会う機会がなかったかなぁ。
赤穂:基本、体育科はスポーツを真面目にやる生徒ばかりでしたね。自分の時代は普通科の生徒から「なんか恐い」と言われたことがあります。体育科の校舎には行きたくないという生徒もいました(笑)。
佐藤:最寄りの東船橋駅の近くに、菓子パンなどを売っている「フジヤ」があって、よく買っていました。お店のおばちゃんがすごくいい人で、高校生の面倒を見てくれていました。あのお店、赤穂選手の頃はもうなかったかな?
赤穂:フジヤはなかったですね。自分はコンビニの「ローソンストア100」をよく利用していました。お世話になったという意味では、同級生の親がよくご飯を作ってくれていました。下宿していたわけではなかったですが、ホントにありがたかったです。
──いわゆる先輩・後輩の関係はどうだったのでしょうか?
佐藤:今は違うと思いますが、当時のサッカー部は昔ながらの「ザ・体育会系」という感じでした。たとえば、学食ですね。暗黙の了解で1年生は利用できなかったのですが、3年生に頼まれると買うことができた。昼休みになると、先輩からお金を持たされておつかいを頼まれる。そうすると、先輩から頼まれたから学食で買うことができる。基本、1年生が学食を使えるのはこの先輩から買い物を頼まれた時だけでした(笑)。
赤穂:校舎を歩いていて、先輩に見つかるとだいたい買いに行かないとダメでした。だから、自分は極力見つからないようにしていました。廊下に出ると上級生がいるので、面倒くさい時は教室から出ないようにしていました(笑)。
佐藤:はい、はい、よくわかります(笑)。1年生の時に、2年生の教室で一発芸をやらされるとかありましたね(笑)。
──プロになることを意識したのは、いつ頃だったのでしょうか?
佐藤:市船に進学した時点で、真剣にサッカーに打ち込もうと決めていました。同時に、プロになることも意識していました。コーチにも「プロになりたいです。大学には行きません」と伝えていました。それを踏まえて指導してくれたので、早い段階でプロを意識していたのはよかったですね。「進路がプロに定まっているぶん、教えやすかった」とコーチから卒業後に言われました。
赤穂:小さい頃から「プロになりたい」という気持ちはありましたが、具体的な目標ではありませんでした。プロというものを明確に意識したのは、やはりBリーグができてからです。方向性がより定まりました。
──市船はプロ志望の選手が多いイメージがあります。校内の雰囲気はどうでしたか?
佐藤:たしかに、どの競技もすごい選手ばかりでした。ボクの世代では世界水泳に出場した女子がいたし、サッカーでも同級生が5名プロになっています。陸上では大学に行って箱根駅伝を走った選手がいました。いろいろとすごい人ばかりの集まりでした。
赤穂:体育の授業をやると、レベルが高かったですね。バレーボール、バスケットボール、サッカー、体操など……。2018年、2019年に体操の全日本選手権を連覇した谷川翔が同級生にいたので、体育の授業で日本一の演技がみられる感じでした。
佐藤:体育祭もすごくレベルが高かった。リレーはどのクラスもすごく速かった!
赤穂:大縄跳びではみんな飛びすぎて大変でした。自分は背が高かったので、いつの間にか縄をまわす係になっていました。なかなか終わらなくて、まわし続けていました(笑)。
佐藤:ちなみに、赤穂君は学校のイベントだと修学旅行は行った?
赤穂:行ってないです。
佐藤:そうだよね。ボクも行ってない。
赤穂:大会があるので、部活動によっては参加できなかったですよね。
佐藤:そう。そして、修学旅行中の人たちから楽しい話ばかり送られてくるという(笑)。
──それぞれの部活によって、やはり違いがあったと思います。独自のルールがあったりしましたか?
佐藤:ボクの時代だと、バスケ部は体育館の上にあったランニングコートを走っていたイメージがあります。あれはずっと続いているのかな?
赤穂:続いています。練習中に「上を走ってこい」と先生から怒られたら、「戻っていいぞ」と声がかかるまで走っていないといけない。
佐藤:あのランニングコートは、下から見える場所もあったよね?
赤穂:ありました。下から見える場所だけしっかり走って、見えないところはうまくやればよかったので、ちょっと休憩できましたね(笑)。
佐藤:体育館の上にランニングコートがあるのは、市船しか見たことないよ(笑)。サッカー部は基本的に連帯責任で、走る練習の時にひとりでも遅れたら、みんな走り続けないといけない。どうしても遅れる選手がいるので、とにかくずっと走っていました。他にも、テストで赤点を取ると坊主。マラソン大会は全員が100位以内に入らないと練習が休みにならないとか、いろいろありましたね。
──佐藤選手はプロ17年目。赤穂選手は1年目です。佐藤選手はルーキーイヤーを憶えていますか?
佐藤:1年目はただただガムシャラにやっていました。ヴァンフォーレ甲府に入団したのですが、高校を卒業してひとりで暮らすのが初めてで、年俸もそんなに貰えていませんでした。食べていくのが大変で、遊ぶお金なんてなかったです。そういう時代を今振り返ると、よく頑張ったなと思います。
赤穂:若い頃にやっておけばよかったことは、なにかありますか?
佐藤:もっと真剣にサッカーに取り組んでいればよかったと思う部分はありますが、自分の性格を考えるとあまりにも打ち込んでいたら続かなかったかもしれません。経験したことすべてが糧になっていて、長く続けていると物事を幅広く見られるようになってきます。
赤穂:プロになって初めての試合は憶えていますか?
佐藤:初めてベンチに入った試合で、出番がまわってきました。GKというポジションは控えで何年も過ごすことがあって、試合に出るハードルが高い。それを考えると「オレは持っているな」と思える。だけど、その1試合で満足してしまった面がある。今は奢らないように、常に謙虚にというのを念頭においてプレーしています。
赤穂:なるほど。もうひとつ、プロ生活を長く続ける秘訣はありますか?大事にされていることはありますか?
佐藤:サッカーもバスケもチームスポーツです。これからいろいろなチーム、監督と巡り合うと思います。そういった時に、うまく合わせないといけない。もちろん、自分を極めることも大事です。それでトップになれればいいですが、チームスポーツはやっぱりまわりと力を合わせることが大事。監督やチームメイトと意見が合わず、時には理不尽だと感じることがあるかもしれません。それでも、ボクは“合わせる”ということをずっと大事にして続けてきました。
赤穂:まさに今仰っていた“合わせる”という部分に関して、自分自身はすごく難しいと感じています。合わせようとする意識が強すぎて、自分の良さが消えてしまうことがあります。
佐藤:たしかに、そういう時もあります。だけど、自分の適性はこうじゃないと思いながらも、合わせないといけない部分がもちろんあります。一方で、若ければ若いほど「自分のプレーはこうだ」という主張があっていいと思う。この気持ちに関しては、ボクは絶対に失ってほしくないです。自分のプレーを消すのではなく、持ち味を生かしながらチームに合わせていく。すると、「アイツはこういうプレーをする」とまわりが認めてくれるようになってきます。赤穂君はすでに横浜ビー・コルセアーズ(青山大学在学中に特別指定選手で所属)で経験があるから、プロの世界に馴染みやすい部分があると思う。
赤穂:まわりからいろいろと言われると、やはり考えてしまいます。どうやって自分のプレーを出せばいいか難しいと感じる部分があったので、ものすごく参考になりました。
佐藤:ある程度の主張をしないと、自分が潰れてしまう。ブレない1本の芯を持って、その中で合わせていく。ボクはそうやってずっと続けてきました。だけど、すでにそういうことを考えているだけで、赤穂君はいい選手だと思います。中には、考えられない選手もいます。ただ、考えすぎて自分の良さを消すことがないようにしてください。
──最後に、佐藤選手は残り少なくなってきたシーズンへの意気込みを。赤穂選手は開幕したばかりのシーズンについて、見所や展望をお願いします。
佐藤:ジェフはチームとしてなかなか思うような成績が出ていません。残りの試合でひとつでも勝利できるように、必死に戦っていきます。また、コロナウイルスによる規制が徐々に緩和され、フクアリに足を運んでくれる方がだんだん増えています。そういう方々に勝利をお届けしたいと思っています。また、ボク自身がピッチに立てるように、引き続き頑張っていきます。残り少ないシーズンですが、これからもよろしくお願いします。
赤穂:過去2シーズン、ジェッツはプレーオフ決勝で敗れ、あと一歩のところでチャンピオンを逃してきました。今シーズンこそ優勝するべく、一試合一試合、みんなが絶対に優勝するぞという気持ちで常にハードワークして戦っています。そういう一生懸命にプレーしている姿を、より多くのみなさんに見ていただきたいと思っています。
1986年2月10日生まれ。千葉県市川市出身。186cm、93kg。
市立船橋高校卒業後(2004年)にヴァンフォーレ甲府に入団。その後、コンサドーレ札幌、ギラヴァンツ北九州、東京ヴェルディを経て、2016年にジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍で加入。新加入ながら自身初のキャプテンとしてチームを率いた。積極的な飛び出しが持ち味だが、冷静さを保ちつつ最後はプレーで魅せるタイプ。
(写真提供:ジェフユナイテッド千葉)
1998年8月28日生まれ。石川県出身。196cm、94kg。
市立船橋高校卒業後(2017年)、青山学院大学進学。大学3年時にBリーグ横浜ビーコルセアーズへ特別指定選手として登録し、2020年千葉ジェッツとプロ選手契約。父は元住友金属スパークス所属の赤穂真。姉の赤穂ひまわりと、双子の妹である赤穂さくらは共に日本代表経験のあるバスケットボール選手というバスケットボール一家。
(写真提供:千葉ジェッツふなばし / IKEMEN KOHO)