「毛馬内の盆踊」は、先祖供養の意味合いを持つ「大の坂踊り」と、豊年満作を祈る「甚句踊り」から構成されています。
「『大の坂』は大太鼓と笛の囃子が付き、『甚句』は七・七・七・五の唄のみで踊られます。しなやかな振り付けでが特徴で、稲を刈って束ねて神棚に捧げて手を叩く、そういう動作なんですね。それが秋田県出身の舞踏家・石井漠氏の提言で今のような大きな身振り手振りになったそうです」と馬渕さん。
また、甚句踊りの唄もさまざまな種類があると言います。「『甚句踊りの始まる時はへらも杓子も手につかぬ』。これは、盆踊の合図の呼び太鼓が聴こえてくると踊りたくなって、ご飯をよそうへらや味噌汁をよそう杓子も手につかないと、そういう意味なんですね。このように甚句の唄は、盆踊についてやお国自慢、農作業についてなど60もの唄を収録しているんですよ」。
大の坂踊りと甚句踊りが終わると、最後には明治中期頃、弘前の陸軍連隊に入隊した地元の青年たちによって移入されたと言われる「じょんから踊り」も踊られます。
「本当は津軽の方の踊りだもんで、『毛馬内の盆踊』で踊られるのはダメだった。でも、当時の若い男衆が言うことを聞くわけがないよね(笑)。そこで「わんちかだば許す(ちょっとだけなら許す)」ということで最後の10分間だけ踊られるようになったのが続いているんです」。