安政の五カ国条約による開港(1859)をきっかけに、横浜には外国文化が次々と流れ込んできました。多くの外国人と共に文化や技術が導入され、西洋風の建築物が建ち並び、横浜は異国情緒あふれる街へとダイナミックに変化していきます。そして今、私たちが当り前に使っているもので横浜から広がっていったもの、たくさんあるんです。そのホンの一部をご紹介。


1870年(明治3)英国人技師モレルの指導のもとに進められたわが国初の鉄道事業。1872年(明治5)5月品川〜横浜(現在の桜木町)間が仮開業、その後、9月に新橋〜横浜間が本開業。当時の所要時間はノンストップで53分でした。履物を脱いで乗ってしまい降車駅で大慌てなど今では考えられないエピソードも。
毎日満員電車に揺られて通勤する私たち現代人。でも明治のハマっ子や江戸っ子のように乗るだけでワクワク出来るのが「イベント列車」です。期間限定のレトロ列車や眺めが最高の展望車など、大人も子供も楽しめます!
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明治3年横浜の実業家・高島嘉右衛門がフランス人技師プレグランを招きガス灯の設計を開始。柱はイギリスから輸入、灯具は日本人職人によって製造され、明治5年9月県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りの間に十数基が点灯。これがわが国初のガス灯です。当時は「キリシタンの魔法」と怯えた人もいたとか。
初めて灯ったガス灯を見て、行灯やロウソクしか知らなかった明治のハマっ子たちはその明るさに驚きの声を上げたことでしょう。この日本初のガス灯を記念して建てられた史碑が「ガス灯発祥の地碑」。馬車道の関内ホール前に立てられています。
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日本の近代街路樹の発祥は横浜・馬車道。1867年(慶応3)各商店が店の前に競って柳や松を植えたのが始まりだそう。その後、本格的な都市計画に基づいた街路樹の植栽は、1920年(大正9)。長者町車橋〜千秋橋、不老町通りの扇橋〜港橋、松影町通りの亀ノ橋〜港橋にプラタナスが植えられ、街は一層近代的に。
街路樹は街の顔。柳や松ではなく、西洋の樹木プラタナスが街路樹として植えられた馬車道は、さぞや洋風のモダンな街に映ったことでしょう。「近代街路樹発祥の地記念碑」は関内駅そばに。馬車道散策の折りに探してみてください。
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昭和初期開業、マッカーサーが宿舎としていたことでも有名な、横浜を代表する正統派ホテル、ホテルニューグランド。その初代シェフ、サリー・ワイル氏が考案した日本の洋食メニューがシーフードドリア。誕生のきっかけは、風邪気味の銀行家のお客様が食べやすい料理を作るためだったそう。氏の人柄が滲みます!
シーフードドリア発祥の地、ホテルニューグランドの目の前に広がるのが山下公園。横浜発祥の洋食を楽しんでおなかも心も満たされたら、潮風に吹かれながらのんびりお散歩をするのが贅沢な過ごし方。公園側から眺めるホテルも素敵です。
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1864 (元治元) 年6月、ジョセフ彦(浜田彦蔵)が、横浜の元居留地141番で「海外新聞」を発刊しました。彼は江戸末期に船で遭難し、アメリカ人に救出されて米国にわたり、リンカーン大統領と握手した唯一の日本人。開国間もない祖国のため日本最初の新聞を創刊。「童子にも読める」新聞精神を提唱しました。
日本初の日刊新聞が発刊されたのもここ横浜でした。伊藤博文、坂本竜馬など多くの人々に民主政治を伝えたジョセフ彦の功績を称えるために、現在の中華街内にある彼の居館跡には「日本国新聞発祥の地碑」が。
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日本で最初にアイスクリームを食べたのは、開港の翌年、万延元年に渡米した徳川幕府一行。「味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり」と大感激した日記が残っています。初の製造販売は、勝海舟に私淑していた町田房蔵。明治2年横浜馬車道で「あいすくりん」を売り出し、大評判になりました。
発売当時は大変高価だったアイスクリーム。庶民には高嶺の花だったそう。でも今なら気軽に食べられます。赤レンガ倉庫には発祥の味を再現したアイスクリームショップがあるので、馬車道を散歩しながら甘くて冷たいあいすくりん、いかがですか?
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