スペシャルコンテンツ 02

東京駅丸の内駅舎保存・復原が完成グローバルに魅力ある世界の東京へ、進化は続く


100年前の「重要文化財」を再生する

東京駅丸の内駅舎は明治・大正時代を代表する建築家・辰野金吾により設計され、1914(大正3)年に完成した重要文化財である。南北全長335mに及ぶ長大な駅舎には、英国ヴィクトリア朝の建築のエッセンスが凝縮されている。1945年戦災により南北のドームと屋根・内装を消失、戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興し、今回の工事前の姿となった。保存・復原工事では、外観を創建時の姿に忠実に再現すると同時に、巨大地震に耐えうる建築とするため「免震工法」を採用、地下の機能も拡大した。また、創建以来の「駅」「ホテル」としての機能やその後加わった「ギャラリー」としての機能を活かし、未来へ継承していくことも重要なテーマとなった。


ミリ単位の正確さ、前代未聞の「仮受け工事」

工事でもっとも困難を極めたのは仮受けという作業だ。地下空間の整備を行い、免震工事をするため、まず駅舎の下に杭を打ち、その上にコンクリートの梁を作り、その上に駅舎ごと乗せてしまう作業である。それまで基礎で支えていた駅舎の荷重をいったんすべて移行し、古い杭の撤去など地下工事が終了後、新設した地下躯体上に再度移行する。その際、地下躯体と駅舎の間にアイソレータという積層ゴムを埋め込み、免震構造を実現した。しかもその施工箇所は全体で350ヶ所におよぶ。まさに日本最大規模の免震工事である。そしてこの工事をさらに困難にしたのがレンガの存在だった。レンガ駅舎は傾き(面内変形角)が1/1500を超えるとレンガにクラック(ひび)が入る恐れがあるため、それを超えないように工事を行わなければならない。この数字は幅4mの左右の高低差で例えるとわずか2ミリの誤差しか許されない精度である。350カ所を30工程に分けるため、日によってどうしても誤差が生じるが、それをすべてこの精度で実施しなければならない点に高い技術力が求められた。


復原の難しさ、限られた時間との戦い

もう一つ苦労したのが、外壁、屋根、ドームのレリーフなどをいかに創建時の状態に近づけるかということ。土肥らは有識者の方々と10年間で22回に及ぶ意見交換を重ね、つねに進捗状況を確認しながら極力当時の仕様を忠実に再現していった。外壁のレンガは大正3年から残っている部分の色合いと合うように何回も試験焼をした。レンガの間の目地は「覆輪目地」という仕様で、施工ができる職人が日本にほとんどいないため、職人を育成するところから始めた。塔の一部の銅板部分は銅を伸ばして成形していくが、こうした細工のできる職人も希少なため、試作品を何度も作ったうえで、職人を厳選して決めていった。南北ドームの見上げ部分は当時の資料を研究し、創建時のモノクロ写真や他の建造物も参考にしながら復原した。また、鮮やかなクリームイエローの壁は文献の「黄卵色」「麗(はれ)やか」という記述を参考にしたものだ。「今回のプロジェクトは鉄道事業、生活サービス事業の社内関係者はもちろん、ホテル、関係官庁、有識者の方々などの部外関係者との調整が多く、時間を要しました。ときには機能性の観点から設計への要望をいただくこともありましたが、機能性を最大限活かしつつ『大正3年の材料を極力残す』『創建時の姿に復原する』という点だけは死守することにこだわりました」と土肥は全体を振り返った。