中央線沿線は、今も昔も文化人が多く暮らしている街が多いと有名です。今回は山本有三、野口雨情、国木田独歩という明治から昭和にかけて活躍した文豪たちの生活の跡を辿ります。 |
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山本有三は、『女の一生』や『真実一路』、『路傍の石』などで知られる劇作家・小説家。晩年は、参議院議員としても活躍し、それ以外にもふりがな廃止や憲法の口語化運動にも熱心に取り組んだことで知られています。有三は、現在の栃木市で生まれ、その後東京に奉公に出されたことから東京に住み始めました。現在、三鷹市山本有三記念館となっている建物は、1936(昭和11)年から家族とともに住んでいました。当時としては、ひときわ目を引いたと思われるモダンな洋館は、玉川上水のほとりに建てられています。庭には、有三がこよなく愛した竹が植えられており、多くの緑に囲まれた洋館で『路傍の石』などの名作を残したことがわかります。ところが第二次世界大戦後の1951(昭和21)年、この洋館は進駐軍によって接収されてしまい、一家は引越しを余儀なくされてしまいます。数年後、接収は解除されましたが、有三は緑豊かな洋館に戻ることはなく、土地と建物を東京都に寄贈したのです。それが後に三鷹市に移管され、1996(平成8)年「三鷹市山本有三記念館」として開館しました。 |
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三鷹市山本有三記念館では、企画展を開催中です。9月30日まで「『日本少国民文庫』の世界と編集者たち」、10月3日からは来年6月2日までは「山本有三記念館への道―住宅・接収・青少年文庫―」を開催予定。 |
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詩人、童謡の作詞家として知られる野口雨情は現在の北茨城市で生まれ、その後1924(大正13)年に当時の武蔵野村、現在の武蔵野市吉祥寺周辺に住み始め、書斎を童心居と名づけました。雨情は、『七つの子』、『赤い靴』、『シャボン玉』など多くの童謡の名作を残しており、大正時代には北原白秋や西條八十とともに童謡界の三大詩人と評されています。緑豊かな武蔵野村に居を構えた雨情は、自宅近くの井の頭公園周辺を散策しては、新しい作品の構想を考えていたそうです。多くの名作を童心居から生み出した雨情は、晩年病気で倒れるまで、20年以上を吉祥寺で過ごしました。野口雨情の死後、家屋は人手に渡りましたが、その後東京都に寄贈されます。そして書斎は、武蔵野の面影を残す井の頭自然文化園に移築され、現在は一般公開されています。書斎には、『シャボン玉』の詩が額装、『七つの子』が掛け軸に表装されています。また美しく手入れされた庭には、つくばいと清らかな音を奏でる水琴窟があり目だけではなく耳からも楽しめるようになっています。 |
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国木田独歩は、現在の銚子市に生まれた小説家で、『武蔵野』や『牛肉と馬鈴薯』などの作品を残しています。また現在も続く雑誌『婦人画報』の創刊編集者としても知られています。その独歩が、妻として迎える佐々城信子と逢瀬を重ねたのが、幽玄な景色が広がる武蔵野の林だったそうです。国木田独歩と佐々城信子が会っていた明治中頃は、恋人同士の逢瀬も人目をはばかられる時代。ふたりの結婚は身分の違いから反対を受けており、人目につきにくい静かな林の中で、ひそかに会っていたことが偲ばれます。このときの様子は、独歩の作品『武蔵野』の中に描かれ、現在もその名が残る桜橋の名も登場します。桜橋の隣の橋は独歩橋と名づけられ、『武蔵野』の一文が記された国木田独歩文学碑が建てられています。 |
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文豪たちが愛したのは、どこも緑が豊かで心癒される場所ばかり。そんなゆかりの地を訪ねてみると、もっと著書や作品への理解が深まるはずです。 |