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現在、中央線の各駅などで掲出中の跨線橋が舞台となったポスターのロケ地は、三鷹駅から徒歩で7分ほどの場所にあります。この辺りは、森鴎外の墓地や山本有三の記念館など、日本を代表する文豪たちにまつわる場所が多く残っていますが、そんな文豪たちの中でも、もっとも三鷹にゆかりの深いのが太宰治です。太宰治は、晩年を三鷹で暮らし、ポスターのロケ地となった跨線橋も好んでよく訪れていたといいます。今回は、そんな太宰治にまつわるの場所をいくつかご紹介していきます。 |
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太宰治は、1939年に三鷹村下連雀(現在の三鷹市下連雀)に移り住んできました。ポスターのロケ地となった跨線橋のたもとには、トレードマークともいえる黒マントを羽織って橋を降りる太宰治の写真の入った案内板が設置されています。眺めのいい跨線橋は、太宰治のお気に入りの場所で、夕日を眺めに訪れたり、たびたび友人たちを連れて案内をしていたそうです。 |
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そんな太宰治について、もっと知りたいという人には、太宰治没後60年を記念して今年3月に開設された太宰治文学サロンがお勧めです。サロンは、太宰治がよく通っていたという伊勢元酒店の跡地に建てられ、三鷹にまつわる太宰治の写真やゆかりの場所の地図などがパネルで展示されています。 |
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太宰治は、39歳の誕生日目前だった1948年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺を図りました。この玉川上水も、憩いの場として日ごろから太宰治がよく訪れていた場所だったそうです。現在その場所には、太宰治を偲んで、故郷である青森県五所川原市金木町産の玉鹿石で作られた石碑が設置されています。 |
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こよなく三鷹を愛した太宰治の墓は、生前住んでいた自宅にほど近い禅林寺にあり、太宰治が敬愛した森鴎外の墓のすぐそばに建立されました。日ごろから多くの人が訪れ、献花が絶えることのない場所です。そして命日の6月19日には、多くのファンが日本中から訪れ、法要の桜桃忌が営まれています。 |
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