地場産業である織物を求めて、明治時代以降、八王子には日本全国から商人が集まってきていました。そんな織物商人たちの社交場として八王子の花街は発展を遂げたのです。
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「聞くところによると、一番栄えたのは戦前の昭和初期のころだったそうです。そして戦後の復興も早く、当時は280人もの芸者衆が八王子に在籍していた記録もあります。その後は徐々に人数が減ってしまいましたが、芸者がいなくなってしまっては、受け継いできた芸も一緒に消えてしまいます。そこで町会など地元の方と一緒に花街の文化を残そうと活動をしています」 |
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そうした努力もあって、現在では15名の芸者さんが活躍中です。三多摩地区で唯一残る八王子の芸者衆は、地元の人々に愛され、地域に密着したお座敷が多いことでも知られています。 |
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「地元の商工会などの集まりに呼んでいただくほかに、『お婆ちゃんの喜寿のお祝いに』とお身内の方が大勢集まる宴席に招いていただくこともあります。『主人のお祝いがあるから』と奥様からご依頼のお電話をいただくことも珍しくありません。赤坂や新橋の芸者さんなどにお話するとびっくりされますが、私たちにとって地元の方とのお付き合いはごくごく当たり前のことなんです。町会のお付き合いも普通にさせていただいています。ゴミ当番はもちろんのことですし、何かあれば芸者衆総出でお手伝いをします。お付き合いは『しなければいけない』ものではなく、私たちも地域の一員として『一緒にやりたい』と思っているんです」
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それ以外にも、市や町からの要請で八王子まつりやあさがお市などにも積極的に参加して、大切に受け継いでいる芸を多くの人の前で披露しています。 |
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「七夕まつりでは、学生さんの浴衣の着付けをお手伝いしました。八王子には学校がたくさんあるので、日本全国から若い方が集まっています。学生さんが地元に帰ったときに『お祭りで、芸者さんに浴衣の着付けをしてもらった』と八王子での楽しい思い出話をしてもらえれば嬉しいですね」
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地域の方との親密なお付き合いをする一方で、芸事は常に一流を目指して手を抜きません。プロとしてのおもてなしをするために、芸者衆の皆さんは毎日厳しい稽古を欠かさないそうです。「ゆき乃恵」に籍を置く芸者さんは、最低でも日本舞踊と茶道は必須で、それ以外にも三味線や胡弓(こきゅう)、琴など数種類を習っている方ばかり。
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「人数が少ないので、ひとりが踊りを披露しているときは別の芸者が三味線を弾いていたりと、みんなで助け合いながら芸を披露するのが当たり前になっています。八王子には、古くから伝わる機織り(はたおり)の唄や踊りが残っていて、お座敷でご披露するととても喜んでいただけるんですよ」
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芸者衆や花柳界は、その街の古き良き伝統や奥深さを伝える役割も担っています。めぐみさんは、芸者衆が芸を披露することのできる見番と呼ばれる舞台の再興を目指しているそうです。
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「舞台は、文化の象徴的な存在になるものだと思っています。芸者衆だけではなく、学生さんの催し物などにも使っていただけるようなものができたら素晴らしいですよね。次世代に芸を伝えるためにも、ぜひとも八王子に見番舞台を作りたいと願っています」
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